❨ Act. ⅩⅡ
凍てついた身体に温もりが帯びる。衣擦れの音が廊下に響く。腕が解け、ウィルは静かにホムラからそっと離れた。
俯いたままのウィルを、ホムラは声を掛けようとはせずに、ただ黙って見つめていた。
顔がゆっくりと上がる。ふたつの深紫の瞳は、まだ靄が掛かったままだった。
艶のないカサついた唇が動く。
「すみ、ません、……時間を、取ってしまいました」
「……いや、気にせんで、ええから」
ホムラの目が泳ぐ。こめかみを爪で掻いた。
しばしの沈黙が流れた。
幾度も轟音が壁を伝い、微細な振動を身体が感じ取る。
ポツリと言葉を零す。
「まっこと、疲れ知らずやな」
窓の外へと視線を送る。また建物が呆気なく崩れていく。
「凄い、力ですね」
「主サンに選ばれた戦士やから、な」
「……あれが、───本当の力」
ゼフィールの姿が直接見えるわけではないが、ウィルは瞬きもせずにその光景を凝視した。
「じゃあ、オレは行くで?」
刀の柄に腕を添え、軽く指先で握りウィルの隣へと足を動かした。ウィルはその声で身体の向きをホムラへと向けた。
心臓を掴まれ、沈んでいくような感覚が襲う。
足が笑い、汗が滲む。
身体の芯が凍りついていく。
「お前は、ここにおってええから」
そうホムラの声が胸で反響するが、ウィルは首を横に振った。
無意識に指輪を掴んでいた。冷たい指輪が、徐々に熱を持ったように思えた。
「いえ、行きます。────それが、生き残った僕がすべきことですから」
瞳の奥は怯えたまま。それでも、前を向く。
震えが止まらない足で、一歩踏み出した。
ホムラはウィルへと向き直り、その深紫の瞳を捉えた。恐怖が拭えていない。身体はとうに限界を超えいた。それでも、気力だけ動いている。
───ゼフィール兄サンが、
あんなにも気に掛けるも、分かった気がするわ。
口角が少し上がり、フッと息を漏らす。
「……それなら、止めはせいへん」
ホムラはゆらっと身体をウィルが来た方角へと足先を向けた。
「なら、行こか?案内頼むわ」
肩越しでウィルを見る。その顔はもう、いつもの飄々とした表情だった。
「そうしたいところは山々なんですが、」
「ん?なんかあるんか?」
「そこまでの道のりは、分からないんです。気絶していたもので……」
ウィルは指を弄り回しながら、睫毛を伏せ瞳を横へとやる。
「そう、なんか……ああ、それじゃあ、しゃあないな」
ホムラの眉尻が下がった。前へと出かけた手をそのまま、頭の後ろへと送り、軽く撫でる。
思い出したようにウィルの目が見開かれた。
「そういえば……あの時」
言葉が途絶え、表情が翳る。
息が絶え絶えになりながら、やっとの思いで声にした。
「…地下の檻にいた、時…祈りの、言葉と、歌が、聞こえて、きました……」
「歌?……それって、讚美歌か」
ホムラの眉が跳ね上がった。
「なら、向かうべき場所はあそこや」
すっ─と、窓へと指先を差した。ホムラが指し示す場所は────
「礼拝堂……」
「しかないやろ?」
ホムラは刀の柄に指を掛けると、素早く引き抜いた。抜かれた刀が神々しく煌めく。
一歩前に出ると窓ガラスの前に立ち、刀を構える。
「な、何を……?」
「何って?近道や」
そうあっさり答えると、ホムラの目が細く鋭く光る。
はっと息を短く切ると、窓に向かい薙ぎ払う。ウィルにはホムラの太刀筋が見えなかった。
ひと呼吸終えた頃には窓ガラスどころか、壁に穴が綺麗に切り取られていた。
身を切るような冷たい風が髪を撫でる。風に運ばれてくる土の埃の香りが、なんだか懐かしい。
「ボケっと突っ立ってないで、行くで」
そう言い終わらないうちに、ウィルの視線が高くなった。断りも無く、ホムラはウィルを荷物のように肩に担いだ。
「……あの、」
「何ぃ?」
「まさか、ここから?──三階です、よ」
ウィルの問いにホムラは答えない。
自分の意思とは関係なく動く視界。
ホムラは迷いなく前へと進み、足先で廊下を蹴った。
─────次の瞬間、
双方の身体は宙へと舞う。
そして、地へと重力に引き寄せられた。
空を割るように落下していく。
ウィルはホムラの聖衣にしがみついた。
地面が近い。
このままいけば、ホムラの足は無事では済まされない。
ウィルは見上げた。
目に映った顔は、恐れなど微塵もなった。
ホムラの瞳が大きく開き、唇が微かに動く。
時が止まったように思えた。
「神名解放───熾劫火刀」
ホムラが握る刀に炎を纏った。まるで生き物のように炎がうねる。
ホムラは地へと刀──熾劫火刀の切っ先を向けると、堂々と声を張り上げた。
「爆炎よ、舞い上がれ───熾天衝ッ!!」
かけ声とともに熾劫火刀を大きく左に振りかぶった。
────ドォオン!!
爆炎が、巻き起きた。爆発により、飛散した小石がホムラの頬を掠めた。
爆風がふたりの身体を吹き上げる。落下速度が和らいだ。
ジャリ。
地につま先が付き、ホムラは片膝を立てた。ウィルを下ろし、頬に流れた血を手の甲で拭う。
「どや?案外楽しかったやろ?」
目を細め、口の片端が上がった。
ホムラは立ち上がると、熾劫火刀を鞘へと納刀し、聖衣についた土煙を払う。
「さて、近道したとこやし、先を急ぐで」
ウィルは頷いた。
ここから見える礼拝堂は、今や半壊していた。その先にゼフィールがいる。
また土煙が立ち上がった。どうやら、戦闘は続いている。
「さっさと行って、ゼフィール兄サンの加勢せんとな」
ホムラはそう呟くと礼拝堂を目指し走り出した。その背中をウィルは追った。




