❨ Act. Ⅵ
「ゼフィールさまっ!」
幼い少女が家から飛び出して来た。その顔は頬に血が通い、口角を上げ生き生きとした表情を見せながら、一直線に向かって来る。
数日前まで、目が窪み気怠い顔で見上げてきた子と誰が思うだろうか。
元気に走るその姿を眺めながら、ゼフィールは目を綻ばせた。
気が急いたせいか、少女の足が取られ、前へと倒れる。ゼフィールは思わず、腕を広げ飛び込んで来た少女を抱き留め、そのまま胸に抱く。まだ羽根のように軽いが、頬がやや膨らんだように感じた。
「リファ、ちゃんと足元を見ろ」
「だって、ゼフィールさまが見えたから」
少し口を尖らせているリファの頭を大きな手で撫でてやる。それに気を良くしたリファはご満悦なようで、前歯の抜けた笑みを見せた。
「す、すみません。ムーンライト様。いきなり出ていったもので……」
ネイルは眉尻を下げ、少し前屈みになりながら急ぎ足で、こちらへとやって来きた。ゼフィールはそのままリファをネイルに託した。
「いや、大丈夫だ。こんなに元気になって本当に良かった」
リファを抱きかかえるネイルの指先へと視線を向けた。白濁していた爪も、根元から透明な爪が生えてきている。
「ええ、本当に有難いです。ムーンライト様を初め、教会の方々、ノアークさん、そしてウィルさんには大変お世話になりました。それに───」
ネイルは後ろを振り向いた。リファはネイルの服を掴み身を乗り出し、指を差す。その方向には、壁を支えに立つ女性がゼフィールに頭深くお辞儀をした。
「ほら、お母さんも立てるようになったんだよ」
勢い良くこちらへと振り返るリファは、誇るように話した。
「ああ、本当に喜ばしいことだ」
心からゼフィールはそう思った。回りを見渡しても、初めてこのオグナ村へと辿り着いた時とは全く変わった。
村人が少しずつ、外へ出てまだ回復していない者たち世話をする程に村人は活力がついていた。
もう、この村はゼフィール達が旅立っても機能する段階へきていた。
「早くウィル兄ちゃんに、元気になった姿を見て欲しいな……」
顔が俯いた。目を伏せ肩まで落としているリファにゼフィールは優しく頭を撫でた。
「そうだな。俺も早くこの村の姿を見せてやりたい」
アイツが、────ウィルが救ったこの村を。
「お兄ちゃん、司祭様のところにいるんだよね?」
顔を上げ、純真な瞳を真っ直ぐにゼフィールへと向ける。
「だから、心配はいらないさ。もう少しすれば、ウィルは戻ってくるはずだ」
「そうだよね!ゼフィールさま。よーし、じゃあ、今日もいっぱい食べるぞぉ」
リファは元気よく、拳を空へと突き出した。その愛らしさにゼフィールの表情もつられて穏やかになる。
ゼフィールは教会のある方向へと顔を向けた。 ここから、小さく見える教会には黒い雨雲がかかっていた。
冷たい風がゼフィールたちへと吹き付ける。
風が雨の匂いを運んで来た。
どうやら、これから雨が降るらしい。
何とも言い難い胸騒ぎを覚えた。
ゼフィールはリファたちに別れを告げると、ある場所へと爪先を向けた。
またねと健気に手を振るリファを背にしながら、ゼフィールは先を急いだ。
────ガチャ。
ドアを開けると、椅子に座り込み、火の前で刀の手入れをしているホムラと目があった。
「お帰んなさい。えらい遅かったやないの?」
「ちょっと、な。……それよりお前、俺か言ったことやってくれたんだろうな?」
肩をビクッとさせたホムラは、なかなかこちらを見ようとはしなかった。手元が止まった。
刀に映るホムラの目は泳いでいる。
ゼフィールは壁に背を預け、ホムラの背中を黙って見つめる。
暫しの沈黙が続く。炉の火が爆ぜる音が空気を揺らす。
「────そういえば……お前、なんであの教会にいたんだ?」
ゼフィールは顔を持ち上げ、前で黙りを決め込んだホムラへと声を投げた。
ホムラは刀を磨いていた布を、テーブルへ押し付けるように置いた。切っ先を天井へと向ける。刃のキレを確かめるようにホムラは舐めるように刃先を眺める。曇りひとつない刃は鏡のようにホムラの顔を半分映した。その瞳は刀のように鋭く冷たく見えた。
「兄サン、やっと聞いてくれたなぁ。実はさ……」
炉の傍に立て掛けてあった鞘へと手を伸ばした。上から順に指を折る。目の高さまで鞘を持ってくると、切っ先を入れた。そのまま、ゆっくり鞘へと納刀する刃の反射が双眼に光を差した。
シャキンという音が部屋に響いた。ホムラは刀を抱き、椅子に胡座をかくと、片足を立てた。
「あの、坊やが居たシャテリー村。兄サンも関わりあったやろ?その報告書に載ってた件でオレが派遣されたんや」
「それがどうして、あの教会でお前会うことになるんだ?」
「兄サンさ、報告書。ジゼリア姐さんとジゼル兄サンの一緒に作ったんやないの?」
チラッと顔だけ向けるホムラにゼフィールは淡々と返事を返した。
「任せっきりやったわけね。さすが、筋肉馬鹿や」
ハハッと乾いた笑い声を上げたホムラにゼフィールはただ黙っていた。隻眼の瞳は真っ直ぐとホムラに向けられたまま、顔が険しくなっていく。
「そうやろうなと、思ってたけどな」
ホムラは置いてある枯れた木を手に取り、炉へと入れた。入れた薪が、炎に包まれる。
「……姐さんたちの報告書にはこうあった」
肩越しにゼフィールへと顔を向けた。
「とある人物が奴隷商人と繋がりあり。ってね」
「その人物は誰なんだ?」
ホムラの目の色が変わる。射るような目付きでゼフィールを見た。
炎が上がり、ホムラの影が色濃く映る。
「───まさか?!」
ゼフィールの腕が解かれた。目が見開き瞳孔が揺らぐ。無意識に一歩前に出た。
「そう、────マレット司祭さ」
ゼフィールの手はいつの間に固く結ばれ、小刻みに振動した。眉根にシワを作り、歯を噛み締める。
「嘘だろ?……俺たち側の、教会の人間だろうが?!なんでそんな奴が……」
行き場の無い怒りを木の壁へと押し付けた。
───ドゴン。
天井からホコリが落ちた。
「───善人ヅラが一番ヤバイって疑いなさいな、兄サン。……さて、そろそろシッポを出す塩梅やろう」
ホムラは刀を手に取り、椅子から足を下ろすと、ゆっくりと立ち上がる。
「……お前、ウィルを囮にしたのか?」
ゼフィールの低い声が部屋に残る。
ホムラは刀を腰に差す。柄に腕を掛けた。燃え上がる炎を眺めていた。
ホムラは身体を半分向き、目を細めゼフィールへと向き直る。そして、言葉を紡いだ。
「主さんは了承済みや」
氷のような声がゼフィールの耳を突き刺した。
ゼフィールの眉が曲がる。
「何だと!?」
声が荒らげ、ゼフィールはホムラに詰め寄り胸ぐらを掴んだ。胸を上下に動かし、今にもホムラに殴り掛かろうとする拳には筋が浮いている。
ゼフィールの顔は歪み、ホムラを睨みつける。
ホムラは涼しい顔を浮かべ、ゼフィールを眺めていた。
「ゼフィール。そこまで、あの子に肩入れするな。あの子はオレたちとは違うんだ」
掴んだ手を諌めるように、ホムラはその手に触れた。ゼフィールはクソッと言い放つと、乱暴にその手を離し、ホムラに背を向けた。まだ怒りが収まらないかのようで、拳は握られたままだった。
「それに、あの子はそのくらいで、くたばるヤツじゃないってさ」
ホムラは部屋のドアへと向かう。ドアノブには手を伸ばすと、まだ背を向けたままのゼフィールへと言葉をかけた。
「じゃあ、行こうか。雨が降る前に」
ゼフィールは拳に入れていた力を解き、身体をホムラへと向けた。
空は濃い灰色に覆われた。
それはまるで─────




