宇宙人
フジコが歩くと、それに合わせて霧も避ける。
すると地面に人の服が落ちているのが見える。
俺に話しかけてきたおじさんのものだろうか。それとも他の職員か? 黒服もある。突然の出来事で、誰も彼もが否応なく消去されてしまった。彼らに選択肢はなかった。
玄関前で待っていると、中からあわただしく三名の人間が飛び出してきた。
大仰な防護服を装着している。頭からバケツをかぶったみたいなシルエットだ。
俺は銃を手に、彼らへ告げた。
「止まれ」
「ひっ! だ、誰だ!?」
防護服の頭部は透明なシールドになっているから、顔が見える。
幹部らしき初老の男、世話役らしき若い男、そして教祖らしき老婆。以上が、この霧をまぬがれて逃げ出そうとしたメンバーだ。
俺は溜め息をついた。
「誰でもいいだろ。今日で死ぬんだからな」
すると老婆が男たちを盾にして、なにやら喚き始めた。
「ま、待て! 金か? 金ならやる! 手を組もうじゃないか!」
「断る」
「ひぃやっ! 断る? 罰当たりめが! 我は宇宙人民を統べる者。斎部為陀命であるぞ! もし手を出せば、お前は未来永劫、地獄の炎に焼かれることになるであろう!」
うるせーなこいつ……。
さすがにキレそうだ。
いや、少し前からずっとキレている気もする。
少なくとも冷静とは言いがたい。
若い男が天をあおぎ、両手を広げた。
「命、ご心配には及びません! 必ずや宇宙意思が我らを守ってくださいます! こいつの銃弾は、絶対に私たちには当たりませ……ひゃぐっ」
当たらないと豪語したので、俺はトリガーを引いた。
若者は腹を抑えて、よたよたと後退し、そのまましりもちをついた。
「当たるじゃねーか」
弾をムダづかいさせやがって。
初老の男がぶんぶんと手を振った。
「待て待て! 早まるな! 私たちを殺してもなんの得にもならないだろ! いったいなにが目的なんだ? 話をしよう? な? そちらの要求は……ぎぃっ」
二発目。
至近距離から胴体を狙えば、まず外れない。
お互い棒立ちだしな。
老婆はへたり込んでしまった。
「な、なにを……なにをしているか分かっているのか……? もし結社がなくなれば、世界の均衡が崩れるのだぞ……?」
「世界の均衡?」
「我らが関係各所を調停していたのだ! それをお前みたいな小物が壊す!」
「関係各所とは?」
「誰が教えるか! なにも知らぬ小物が、しゃしゃり出よって! もうどうとでもなるがいい! お前はその責任を負って、人類から忌み嫌われて死ぬのだ!」
老婆は怒りに顔をゆがめていた。
烏丸麗とは似ても似つかない。
あるいは彼女も、歳を取ったらこんな顔になるのだろうか……。
ふと、老婆は自分の周囲に霧がないことに気づいたらしい。
そしてフジコの存在を見つけた。
「なるほど、そいつが例の『海を割る者』か。霧にさえ嫌われた醜い忌み子め。こんなのに殺されるとは……」
「銃で死ぬのがイヤなら、霧に消されるという手もあるが」
「冗談じゃない! 私は特別なんだよ! あんな有象無象と一緒にされちゃ困るよ!」
「ならこっちだな」
「ぎひっ、ぎぃっ、ぎっ」
俺は立て続けにトリガーを引き、老婆を蜂の巣にした。
血の海に、遺体が三つ。
カルトの教祖も、その後継者もいなくなった。
団体は存続するかもしれないが、間違いなく弱体化するだろう。
*
青黒い街を背に、俺はフローターを走らせた。
大きな仕事が終わった。
俺は生き延びた。
だが、達成感はなかった。
やたら夜景のキラキラしているのが、いちいち不快だった。
明智さんから通信が来た。
『千里眼とは話をつけた。ちょっとした手違いってことでな』
「それで済んだんですか?」
『そのスピーカーは、もともとカルトを潰すために送られて来たものらしい。お前が仕事を成功させたから、手打ちということになった。納得してないヤツもいるだろうが、ひとまず安全だと思っていい。あとで返却する必要はあるけどな』
「ありがとうございます」
どうでもよかった。
もし千里眼が来たら、ありったけの弾丸をぶっ放してやるつもりだった。
その戦いで死んだって構わない。
俺は大事なものを失ってしまった。
「おなかすいた」
後ろでフジコがつぶやいた。
メシ、か……。
特に食いたい気分でもなかったが、どこかでゆっくり腰を落ち着けたくはあった。
「ファミレス寄るか」
「うん」
*
食事を終えた俺は、社には寄らずに直帰した。
家具のほとんどないガランとした部屋。
依頼主は死亡したが、金は支払われた。
仕事としてはなんらの問題もない。
依頼主の希望通りの結末を迎え、料金の精算も済んだのだから。
俺はベッドに寝転がり、瓶のままビールを飲みながら、窓の外を眺めた。
ほぼ闇。
ネオンもない、寂しい景色だ。
ネットを見ると、すでにニュースになっていた。
宇宙人民結社の本部で霧が発生し、多数の結社職員が消失。
その霧の中、敷地内で銃殺された三名の遺体が発見された。
そのうちの一名は教祖であった。
犯人の行方は不明。
だが、俺にとっては、どこか遠くの出来事として感じられた。
霧は遺体を連れていかない。消し去るのはあくまで生きた人間だけだ。
そして烏丸麗は、霧に連れて行かれた。
きっと世界はよくなる。
そのために、自らの命を差し出した女がいるのだ。
もしよくならなかったら、俺はこの世界を許せないだろう。
*
その後の展開は目まぐるしかった。
誰のどんな工作かは不明だが、教祖の射殺は結社内部のいざこざが原因とされ、よく知らない男が逮捕された。
結社は五つに分裂。
火輪エネルギー開発が、内部告発の資料を公開した。
結社は、人間を霧にして、それをエネルギーにしようとしていた、と。自分たちはその命令に最大限抵抗してきたのだと。
政府の損切りは速かった。
すぐさま第三セクターを解消し、旧宇宙人民結社に対して厳しい調査をすると公表した。「処分」ではなく「調査」というところに癒着の痕跡が見えるが……。あるいはまだ生かしておいて、なにかに使うつもりでいるのかもしれない。
だが、日本はあまり変わらなかった。
自分たちの国のことなのに、誰もがどこか遠くのこととして受け止めていた。
関係ない人たちが、なにかやっている、と。
俺も似たようなものだった。
なにも考えたくなかった。
*
「おや、日本という国に失望している? 結構ですよ。誰もがそうです。日本に限らず、どこの国でもね。それが地球という場所です」
例の仕事から一ヵ月は経っただろうか。
名を伏せて接触してきた人物がいた。
そいつらは、俺とフジコのことをよく知っていた。
「ですが我々は違います。あなた方が宇宙人と呼ぶ我々はね」
白髪をなでつけた、初老の紳士といった風貌。
日本人のようにも、外国人のようにも見える。
細身で背が高く、穏やかな表情なのに隙がない。
だが、俺が会いに来たのは彼ではない。
いや、そもそも、俺が会いたいと思ったわけでもない。
フジコがどうしても行きたいと言い、俺はその付き添いで来た。
都内の一等地。
ヨーロッパの映画にでも出てきそうな洋館だ。
ちょっとした金持ちといったレベルではない。大富豪だ。
テーブルには、少女が腰を落ち着けている。
長い髪で、フリルだらけの服を着た人形のような少女。彼女はEXEと名乗った。それがフルネームなのだとか。呼ぶときは単にEでいいらしい。意味は不明だが。
彼女は静かに紅茶をすすっていた。
絵に描いたような金持ちしぐさだ。逆にこんな富豪が実在するのかも怪しい。なにもかもが作り物じみている。
フジコが溜め息をついた。
「それで? あなたが私の妹ってわけ? 記憶に曖昧なところがあるのは認めるけど、妹がいたなんて記憶はないんだけど?」
するとEXEは無表情のままカップを置いた。
「爺やの話がまだ途中です」
「わたしはあなたに会いに来たの。それにね、自慢じゃないけど、難しい話をされても分からないから。小学生でも分かるように話して」
すると少女はごくさめたような顔で、紳士に続きを促した。
紳士の話はこうだ。
「まもなく、この星から国境というものがなくなります。すると大きな混乱に見舞われるでしょう。私たちは、あなたがたを救いたい」
フジコはきょとんとしている。
正直、俺にも理解できない。
EXEはすっと息を吸い込み、こう補足した。
「海底人は、最初から海底人だったわけではありません。もとは地上の住人でした。しかし約五百年前、彼らの島は沈没しました。そのとき、たまたま地球を観察していた宇宙人が、彼らを救ってしまった。まだ地球に干渉すべき時期ではなかったのですが、海底人とだけは交流を続けることになりました」
どうやって海底で生活しているのかと思ったら、宇宙人の謎テクノロジーのおかげだったのか。
フジコは眉をひそめている。
「証拠は?」
「映像資料があります。ご希望でしたらのちほど」
「映像? そんなのいくらでも作れるでしょ? フィクションかも」
「詳細な地形データもありますが……。その様子では、どれも捏造を疑われそうですね。いっそ証拠などないと思っていただいて構いません」
「あのさ、あなた妹なら、もっとお姉ちゃんに優しくしてよね。向井さんのほうが百倍は優しいわ。あの優しさを見習って。もうママよ」
ママにするな。
EXEは目を細め、軽蔑の眼差しだ。
「あなたのママは宇宙人でしょう」
「知ってる」
「そして私の母親でもある」
「いつ生まれたの?」
「十七年前ですね」
「え、なら一緒に住んでなきゃおかしくない? 蒸発する前じゃない」
確かに不可解だ。
母親が妊娠していたらさすがに気づくはず。
「遺伝子が二つあれば子供は作れます。わざわざ危険をおかして人間が産む必要はありません」
人工授精ということか。
しかも宇宙人の謎テクノロジーだ。
フジコが斜めになって虚空を見つめ始めたので、代わりに俺が質問をした。
「国境がなくなるというのは?」
「順を追って説明します。そもそも地球は、私たちにとって交流可能なレベルに達していませんでした」
「レベル? 俺たちに遺伝子的な違いはないはずでは?」
「ほぼありません。ですから、文化レベルのお話しをしています。たとえば、あなたと、戦国時代の日本人、遺伝子に違いはありますか? ありませんね? ではモノの考え方は同じですか? きっと違うと答えるでしょう。ええ、そうです。違うのは文化レベルです。最初からそういうお話しをしています」
「……」
こいつ、ガキのくせに……。
もう少し手加減できないのか。
彼女は機械のように紅茶をすすり、こう続けた。
「原因はシンプルです。自分の頭で考えようとせず、大きなものと同調したがる人間が多いから。これのなにが問題か分かりますか? たとえば誰か有力者の意見が、そのまま疑いもなく大勢の意見になってしまう。つまり一人の意見が水増しされてしまう。多様性を欠いた重複データです。こんなのが無数に発行されても意味がありません。そもそも自分で考えていないのですから、最初から存在しないのと同じことです」
いきなり差別かよ。
これが宇宙人の本音なのか?
「そんなの、解決策なんかあるか?」
「彼らの希望を叶え、存在を同調させます」
「は?」
「例の霧を使います。あれは人類を、巨大な群体に同調させるシステムです。地上で初めて使用されたあの日、特に同調傾向の高い人間たちが群体に取り込まれました」
「ただの虐殺だろ」
ふざけた話だ。
意見が重複しているという理由で、人間を消去したのだ。
だが、確かに、理由はつく。
無差別攻撃ではなく、意図のある行為だった。
「その誤解は解かずにおきましょう。ですが一点だけ訂正しておきます。あれは確かに宇宙人のテクノロジーですが、使用したのは私たちではありません」
「なら、海底人が?」
俺がそう尋ねると、彼女はつまらなそうに肩をすくめた。
「少しはマシだと思っていた海底人も、私たちの算定よりはるかに愚かだったようです。地上のレベルがお気に召さないのなら、接触しなければいいだけの話なのに。彼らには彼らなりの理由があるようですが……」
フジコが急に正気に戻った。
「ねえ、あなた、ホントに私の妹なの?」
「生物学上はそうなりますね。父親は違いますが」
「え、誰?」
「宇宙人です。AIがマッチングしました」
「いっぺん『お姉ちゃん』って呼んでみてよ?」
「あとにしてください」
こんなところでディヴァイダーの素質を披露しなくていい。
俺は隙をつき、なんとか会話に割って入った。
「世界はこれからどうなるんだ?」
「地上の人口減少により、やがてどこも国家を維持できなくなるでしょう。すると海底人が支配を始めます。ですが……どうでしょうね。一時的な混乱は免れませんが、地上のレベルを見る限り、いまより生活水準があがるのではという気もします」
「……」
海底の連中に支配されたほうが、いまよりマシだと?
言ってくれる。
「納得いかない、というお顔ですね。しかしどうでしょう? カルトの教祖を殺害して、日本はよくなりましたか? 政府は考えを変えましたか? 国民は考えを変えましたか? 答えはノーです」
「俺たちのしたことはムダだって言いたいのか?」
「いえ、ムダではありません。あのカルトはどのみち障害でしたから。しかし情報が制限されていたために、より大なるものが考慮に入っていなかった」
そりゃそうだ。
宇宙人だの海底人だの、そんなのがいるとは思わなかった。
せいぜい、カルトを潰せば、少しは政府を動かせるかも、という程度の認識だ。
「本気で地上を救済するつもりなら、もっと霧を使うべきでしょうね。その『救済』の意味するところが、海底人への勝利ならば、ですが」
EXEはすました顔で言った。
到底理解できない。
人間を救うために、人間を消すなど……。
「姉のことは私が保護します。ご希望であれば、あなたのことも。お選びください。保護を受けるか、それとも、このまま地上で混乱に巻き込まれるか」
気に食わない二択だ。
だが、きっと善意なんだろう。
海底人の支配が始まり、社会は混乱する。すると秩序は失われ、パニック、食料不足、略奪が横行する。一時的とはいえ、それは社会に甚大な被害をもたらす。
断る理由はない。
だが、フジコの意見は違った。
「お断りよ! なんなの、急に出てきてデカいツラして。こっちはお姉ちゃんよ?」
これにEXEは反論しなかった。冷静な表情のまま、こちらを見た。
「あなたはどうします?」
「俺もいい。自分だけ助かりたい気分じゃない」
烏丸麗は戦った。
俺も逃げるわけにはいかない。
少女は目を細め、静かに告げた。
「では、お話しは以上です。お帰りください」
(第一部 完)




