思考停止
埼玉北部ではほとんど車両を見かけなかったが、都心へ近づくにつれて交通量が増えてきた。このあと帰宅ラッシュになれば、さすがに混雑してくるだろう。
日は傾きつつある。
機械音声が通信を送ってきた。
『きっと今回の配達先に戸惑っていることと思います』
まったくその通りだ。
エスパーでなくとも、俺の気持ちは分かるだろう。というより、いきなりカルト本部にスピーカーを持ち込めと言われたら、誰だって同じ疑問を抱く。
「事情を説明してくれるのかな?」
『もろもろの事情が重なって、本部の警備が手薄になっています。今日やったほうが成功率が高い。そう判断しました』
「いいよ。あんたの鉄砲玉になる。もし死んだら花でも添えてくれよな」
烏丸麗が墓参りに来てくれるなら、死ぬのも悪くない。
いやそんなわけはないが。
想像しうる他のケースと比較すれば、まあまあマシなような気がした。
彼女は、しかしやや間をおいて、思いつめた様子でこう続けた。
『あなただけ死なせるようなマネはしません』
「は?」
『私も現場へ向かいます』
「いや、来なくていい。問題を増やさないでくれ」
こっちはただでさえお荷物を抱えているのだ。
そのお荷物は、俺が通信中だというのにクソデカい声で歌っている。
『もしこのまま本部へ行っても、荷物はゲートで弾かれるでしょう。ただし、私の荷物であるということにすれば、怪しまれずに内部まで搬入されるはず』
「だからってあんたが来る必要はない」
『母と話をする必要があります』
「霧を使うんだぞ?」
『そうです。誰かが霧の装置を作動させないといけません』
「それも俺がやる」
『不可能です。警備員がいますから』
一理ある。
個別の目標は、銃を使えば可能かもしれない。
だが、派手に発砲しながら進んだら、教祖は危険を察知して逃げるだろう。
教祖を安心させたまま、霧の発生装置を作動させ、なおかつスピーカーを運び込む。こんなことは、内通者がいなければムリだ。
「分かったが、そちらの安全は確保できるのか?」
『工場に防護服があります。それを着用すれば問題ありません』
「信じるぜ」
信じるしかない。
頼るしかない。
このバカみたいな作戦を成功させるためには、誰かが危険をおかさなければならない。
通信はそこで終わらなかった。
『この作戦を引き受けてくれたのがあなたでよかった』
「なんだよ急に……」
『あの日、公園であなたを見たときから確信していました。きっと結社を倒すのは、あなたみたいな人なんだろうって』
「公園? あの学生時代の恥ずかしい演説のことを言ってるのか?」
できれば忘れて欲しいな。
いますぐに。
彼女は柄にもなくふふっと笑った。
『もっと恥ずかしいことを言っていたの、記憶にありませんか?』
「身におぼえがありすぎて、どれのことだか分からない」
『世界一の男になると言ったのです』
「……」
言ったかもしれない。
当時の記憶はほとんどない。
だが、これは昔からずっと思っていることだから、きっとぽろっと喋ったんだろう。
『あなたは言ったのです。世界一の女と付き合いたい、と。そのためには、まず自分が世界一の男になるんだと』
「ま、志くらいは立派じゃないとな」
恥ずかしすぎるので、いっそ開き直るしかない。
いい女と付き合いたいなら、こちらも相応のいい男にならないといけない。
それが俺のポリシーだ。
だが当時の友人にはバカにされたおぼえがある。実際、世界一の男とは程遠い存在だから、人前では言わないようにしている。
黒歴史を蒸し返さないで欲しい。
『あの言葉を聞いて、私も世界一の女になろうと決意しました。そして、もしそうなったとき、あなたも世界一の男になっていたなら……。などと、淡い夢を見ていた時代もありました』
「なんだかフラグが立っている気がするが」
この作戦で死ぬつもりじゃないだろうな?
そんな結末、俺は望んじゃいないのだが。
彼女はもう笑いもせず、淡々と続けた。
『そうですね。話の続きは、お互い生きて帰ってからにしましょう』
「同意する。作戦については了承した。ミスがなければ成功するだろう。しばらく運転に集中する」
『はい』
ようやく通信が切れた。
これから命がけの大勝負だというのに、心臓に余計な負担がかかってしまった。
いつのまにか歌をやめていたフジコが、後ろから身を乗り出してきた。
「なんなの? クソなの? 見せつけてくれるわね。私が彼氏を作る前に、あなたが彼女を作るなんて失礼よ」
くだらないことで張り合ってくる。
中高生かよ。
「そっちは相手を選ばなきゃいつでも付き合えるだろ。ツラだけはいいんだから」
「ところがツラ以外もいいのよね。けど、私も世界一の男と付き合う予定だから」
「そのためには世界一の女にならなきゃな」
「は? もうなってるんだけど? 侮辱する気かしら?」
こいつは薬漬けにされたとき、チンパンジーの脳でも移植されたのか?
あまりに自己肯定感が高すぎる。
*
攪乱が成功したのか、あるいは別の事情があるのかは分からないが、千里眼の追跡はなかった。
千里眼とカルトは犬猿の仲だから、本部へは不用意に近づきたくなかったのかもしれない。
ともあれ、カルトの根城についてしまった。
街全体がカルトの支配下にあるような、異様な雰囲気だ。
そこら中に結社のポスターが貼られているし、いたるところに黒服が立っている。少しでも不審な動きをすれば、即座に取り囲まれるだろう。
烏丸麗によれば、荷物が来ることは通達済みだそうだ。
俺はいかにも運び屋という帽子をかぶっているからか、誰にも止められずに済んだ。
結社の本部は、ちょっとした庁舎のような外観だった。
白い直方体の建物。
中でなにをしているのかは知りたくもないが、ここに例の教祖がいる。名は斎部為陀命。アメリカのプロジェクト「インベーダー」からそのまま名前を採用したらしい。
気の毒な話だが、もしこのままカルトが存続すれば、烏丸麗がその名を襲名することになる。心の底から同情する。
ゲート前に黒服が立っていたので、俺は軽く頭をさげてこう告げた。
「運び屋です。烏丸麗さん宛てにお荷物です」
「左手に荷物の搬入口があるので、そちらへ」
スライド式の鋼鉄の門扉が、ガラガラと音を立てて開いた。
話が早くて助かる。
俺はゆっくりとフローターを進めながら、周囲を警戒した。
怪しまれてはいないが、ずっと監視されている。
不審な行動はできない。
フジコも「なんか不気味ね」と小言をもらした。
機械音声の通信が来た。
『地下工場に入りました』
「展開が早いな。こいらはいまゲートを抜けたところだ。荷物はどうすれば?」
『搬入口の手前で停車して、しばらく待機してください。私からの指示だと言えば、まわりのものも納得するはずです』
「了解」
言われた通り搬入口の前で停車した。
正面玄関からは少し離れている。来客用ではなく、業者用の出入口というわけだ。
警備員が近づいてきた。
「荷物の搬入ですか? お手伝いしましょうか?」
「いえ、大丈夫です。烏丸麗さんから、少し待つよう言われてまして」
「なるほど。分かりました」
そう言って彼は向こうへ戻っていった。
普通のおじさんだ。
カルトの施設で働いてはいるが、見た目だけではカルトかどうか分からないものだ。きっと信仰が絡まなければ、たいていはこうなのだろう。本人は、自分が悪に加担しているとは微塵も思っていない。むしろその逆だと自認しているし、そのように振る舞おうとしている。だからこそ厄介だ。
フジコが溜め息をついた。
「ねえ、言っていい?」
「待てよ。不適切なジョークは、帰ってからにして欲しいんだが」
カルトの本部でカルトを煽ってもいいことはなにもない。
だが彼女の口調は、とてもつめたいものだった。
「違う。霧が出るって伝えたかったの」
「えっ……」
いや、プラン通りだ。
烏丸麗は地下工場に入った。操作をすれば霧は出る。当然の話だ。
だが、稼働させる前に一言くらい連絡が欲しかったな。
建物の裏側で、もわっと青黒い煙があがり始めた。
警備員たちも、その煙を見上げ始めた。
日は暮れかけている。
オレンジ色の空に青色スモッグが混じり、どす黒いような、紫のような、不気味な色に見えた。
俺はヘッドセットのマイクに語り掛けた。
「こちら向井。霧の発生を確認した」
そして返事を待つ。
一秒一秒がやけに長く感じた。
『霧が満ちたら、スピーカーを作動させてください』
「そちらは? 安全を確保できたのか?」
『心配しないでください』
「分かった。じゃあ仕掛けるぞ」
『ありがとう』
通信が切断された。
ありがとう?
妙な返事だな。
だが、俺も黙ってフローターにまたがっているわけにはいかない。
人工の霧とはいえ、意識を飛ばされる可能性がある。大丈夫なときもあるのだが。ともかくスピーカーで反応させておけば、少なくともフジコの周囲だけは安全が確保される。
「フジコ、耳栓してくれ」
「もうしてる」
スピーカーはとんでもない音を出す。
至近距離でビープ音を聞くと耳がぶっ壊れそうになる。
俺はトランクをあけ、操作を開始した。
手順は分かっている。
中国製だが、表示は英語だ。
俺は手でサインを出して、フジコにスイッチを入れるぞと知らせた。
彼女はうなずいた。
やや緊張しながらも、指でトグルスイッチを弾く。
巨大な音に備える。
なにかが爆発的に広がって、空気が一変した。
だが、音はない。
いや、ある……?
聞こえるかどうか分からないくらいの高音が、凄まじいエネルギーでピーンと空気を振動させている。体にすごくイヤな感じがある。
十秒ほど続いただろうか。
俺たちの周囲にうっすらかかっていた青色スモッグが、まるで吹き飛ばされたようにはけた。こいつらはフジコに触れたくないのだ。理由は不明。
ともあれ、ひとまずすべきことをした。
「スイッチを入れた。そちらの状況は?」
通信機に尋ねると、返事が来るまでやや時間がかかった。
『ごめんなさい。閉じ込められたみたいです』
「えっ?」
『防護服もありませんでした』
「どういうことだよ……」
『残念ですが、この事態は結社の想定内だったようです。私が地下工場に入った時点で、誰かが対応を始めたのでしょう。もしそうなら、母は防護服を着て施設から逃走するはず。絶対に追い詰めてください。もしここで終わらせられなければ、次のチャンスはありません』
「そんなことより、あんたはどうする? 生きて帰れるのか?」
俺はつい声を荒げてしまった。
勝手に悲劇を引き起こしやがって。
『気にしないでください。犠牲は覚悟の上です』
「こっちは覚悟してない。いまどこにいるんだ? 救助に行く」
『施錠されていますし、おそらく間に合わないでしょう。私のことより、母のことを頼みます』
「……」
ぞわぞわする。
烏丸麗は、もうすぐ霧につかまってこの世から消える。
俺がスピーカーを操作したせいで。
『あなたと一緒に仕事ができてよかった』
「ふざけんなよ。そのセリフは、仕事が完了してから聞かせてくれ。ひとまず言われた通りにあんたの母親を始末する」
『……』
返事はなくなった。
心がグチャグチャになりそうだった。
とにかく大きな声を出したかった。
だが、ひとまず深呼吸した。
いまは思考を停止して、なすべきことに集中したほうがいい。
教祖を逃がせば、なにもかもが台無しになる。
もしそうなれば、俺はただ後悔するだけじゃ済まなくなる。
通信を切ってフローターにまたがった。
「フジコ、乗ってくれ。裏口へ回る」
「その必要はないわ」
「は?」
「正面玄関から来るみたい。霧がそう言ってる」
濃霧で見えないが、玄関までは数十メートルといったところ。
歩いてすぐだ。
「オーケー。なら正面玄関で出迎えるとしよう」
俺はフローターからおりて、内ポケットから拳銃を抜いた。
こっちはゴム弾じゃない。
実弾が入ってる。
(続く)




