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砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第3章 ラシェット・クロード 時の試練編
81/136

交渉

僕はまた地下室へと続く、冷たい階段を下りていた。


なんだか、こうしていると無性に空が懐かしくなる。


この地下も、あの空も、どちらも同じ世界なのだというのだから不思議だ。

世界というものは本当に広い。

そう考えると、捕まる前までの僕は、なかなか自由だったのだなと、今更ながら思った。


結局、ショットは部屋に来ないまま、僕が皆の看護を手伝うことにオーケーを出してくれた。

直接頼んでみろとのことだったが、どうやらショットは、本当に忙しくなってしまったらしい。


それは僕にとっては朗報だった。

なぜなら、ショットが忙しくなれば、あの忌々しい研究も一時中断ということになるだろうからだ。


しかし、逆に僕以外の人々からしたら、これはあまり歓迎すべき事態ではないのかもしれない。

なにせショットが忙しくなるということは、きっと、アストリアが何かしらの軍事行動をとるか、そのための準備をするということに他ならないのだから。


そんなことを喜ぶなんて、世界中見渡しても、一部の軍事関係者とショットのような変わり者だけだろう。


例えば。


戦争を利用し、この機に自らの地位を確立しようとする軍人。

それに手を貸し、戦争特需を狙う軍需産業。

企業に便宜を図り、そのおこぼれに与ろうとする政治家。

そうやって蓄えた力を行使し、他国の領土や財産や人民を我が物にしようとする国家。

そして、その過程において、己の欲望を満たそうとする大勢の人々……


いや、まだまだこんなものでは収まらないはずだ。

僕は考えるだけでも、気が滅入ってきた。


しかし、僕はいつだって考えてみるだけ、想像してみるだけだ。それを止めようとも、止められるとも思ってこなかった。

もちろん、若き軍人時代には、そのような気概くらいは持っていたとは思うが、それだってすぐに幻想だと気がついた。


そう。僕一人の力など、この世界においては「幻想」に等しいものだ。


いや、もしかしたら「真実」というものだって、ある意味そうなのかもしれない。


本当は誰も戦争など望んでいないのに、最初の誰か一人の「戦争をすべきだ」という声が、だんだんと大きくなって、あれよあれよという間に話が進み、気がつけば世界を巻き込む戦争になっていた、という……


それを幻想と言うか、それとも事実、起こったことと言うのか。

その違い、本当の「真実」など、僕にはまだまだ、わかりそうもなかった。


でも、これだけは僕は知っている。


まず、今回の場合、その問題を起こす「誰か一人」がショットかもしれないということ。


また、もしそうでなくても、少なくともこの城内にいる誰かが、その一人なのだということ。


そしてもう一つ。

結局、どんなときだって、僕は自分自身の目の届く範囲で、とにかくこの手と足と口を動かすしかないのだということだ。


それはどんなことだっていい。

でも選ぶのにはコツがあった。

あまり大袈裟に考え過ぎないことだ。


つまり、自分の身近な問題から少しずつ取り組み、一つ一つ、ちゃんと解決していくこと。


例えば、朝は毎日、必ず決まった時間に起きる。ショットの研究で心身共に疲れ切って、つい寝過ぎてしまうからだ。

そして、朝から必ず食べたいものを食べる。サラダやサンドイッチなどを作って。もう、ここの朝食のフレンチトーストには飽き飽きしているから。


というふうに。


そんなことに何の意味もないのかもしれない。

一見すると、誰もがそう思うだろう。

もちろん、そんなことを積み重ねたところで、ショットやアストリアを止めることができるようになるだなんて、僕だって本気で思ってはいない。

実際に、何の影響も与えることもできないだろう。


でも同時に、僕はいつだって心の奥底では

「自分の個人的な思いが、何か世界に良い影響を与えるかもしれない」

という、そんな希望を捨てられずにいたのだ。


バカらしいことだ。


しかし、確かに今まで僕を辛うじで生かし続けてきたのも、この心の奥底にわだかまっている「諦め」の先にある「奇跡への希望」だったのだ。


だから、これは僕にとってはとても大事なことだった。


そしてこの思いも、きっと「幻想」と呼べる。


まぁ、ただの「妄想」かもしれないが、でもたとえ妄想だとしても、きっと幻想はいつだって、この世界では真実になり得るのだ。


だから、僕一人くらい、世間と逆のことを信じたってバチは当たるまい。


誰か一人の声がいつか戦争を招いてしまうのと同じように、僕のひとつの行動がいつか、ショットとアストリアを止めるかもしれないと。


「やっぱり、バカげてるかな……」


僕は心の中でそう呟く。

でも、そう思い込むことで、やっと頭がまともに働き出した気がした。


どうやら僕はそんな自分の信念すらも、ここでの言いなりの生活で忘れかけていたらしい。

でも、なんとか思い出すことができた。

それも皆のお陰だ。


そんな思い故の、看護への志願だった。


「もう強制されるのは止めだ。僕は誰かに命令されるのは構わないけども、せめて自分の意志で命令を聞きたい。そして、でき得るならば、その命令を拒否する余地を要求したい」


そうだ。


僕は本当は、どこででも自分の好きなように振る舞えるはずなのだ。


そんなことを思いながら、僕は地下室へ下りて行き、そして、その重い扉をまた、開いた。



ーー 初めて看護というものを間近で見たが、女性にはちゃんと女性の看護師をつけているようだったから、僕はちょっと安心し、自然とケーンを担当することになった。


ケーンの体も資料を見る限り、かなりの筋肉質だったはずだが、今はその面影も僅かにしか感じられない。それでも、さすがにだらんと力の抜けた成人男性の体はすごく重かった。


あまり見たくはないと未だに思ってしまうが、ヤンとイリエッタの方を見ると、2人を担当する看護師がいとも簡単げに体を持ち上げ拭いているから、僕は感心した。どうしたらあんな細腕で、あんなに軽々と持ち上げられるのだろうかと。

僕は後ろを振り返り、僕の指導をしてくれるという婦長さんに聞いてみた。

すると、


「コツがあるのよ。長年の経験のさ。真似なんかできやしないよ。わかったら、あんたもごちゃごちゃ言ってないで、さっさとやるっ。まだまだ仕事はあるんだから。ほらっ、こんなペースじゃ終わんないよ」


と、こっ酷く言われてしまった。

なるほど、そりゃそうだ。

僕は言われるがまま、せっせと体を拭き、ヘルメットのような機械の隙間から手を入れ、頭を拭いた。そして、脚や手の筋肉をマッサージして解し、伸ばしてあげる。


うん、これはヤンやイリエッタを担当しなくて本当によかった。しかし…それにしてもこんなハードな仕事を一年もやっているとは、僕は改めて女性看護師の皆さんに頭が下がった。


そうやって最後に服を着替えさせてあげ、手順は全て終了した。

全部で1時間以上はかかっただろうか。 終わる頃には全身汗だくだった。


次に僕は部屋の掃除を任された。

説明によると、まずは掃除機をかけ、その後濡れたモップでゴシゴシと擦り、最後に乾拭きをするという、比較的簡単な手順だった。

「できるな?」

「はい」

掃除係の兵士に聞かれ、僕はすぐにそう答えた。


掃除の方はかなり捗った。

実のところ、僕は掃除が好きなのだった。中等学校時代はクラスの清掃委員もやっていたことがあるほどだ。まぁ、それはあまり関係ないかもしれないが、大人になってからも掃除を苦にしたことなどない。

というわけで、こちらも手順通り、無事に終了した。


まだ何か仕事があるかと思い、僕は地下室で働く研究員の間をうろちょろしたが、もう僕の手出しできる仕事など、転がっていないようだった。


ここからは専門的な知識を要する仕事ばかりだからだ。


しかし、本当はここにある機材のことは、実験に通っているうちに全て把握してしまっていた。

だが、それをバラすわけにもいかない。

なにしろ、僕にもまだ、なぜここにあるコンピューターの知識を僕が持っているのか、その理由すらもわかっていなかったからだ。

だから、この事実は隠すことにした。

幸い、ショットもまだ気づいていないようだし、もしかしたら、いつか役に立つことがあるかもしれない。


「じゃあ、僕は上に戻ります。いいですか?」


僕がそう言うと、研究員の人達はさほど感心がないように「ええ。どうぞ」と、口々に言った。どうやら実験体としての僕以外には、ほとんど興味がないらしい。

なんとも有り難いことだ。

お陰でこっちは動きやすい。

僕はその隙を確認するように、もう一度うろちょろした後に、扉の前にいるスコットの所に向かい、それから地下室を出た。



階段を上がりきった所で僕は、相変わらず後ろからついて来ているスコットに、


「ところで…食堂ってどこにありますかね?」


と聞いてみた。

すると、その言葉にスコットはなんだか嫌そうな顔をする。彼はこのようなイレギュラーな言動が嫌いなのだ。


「夕食なら、いつも通り部屋に配膳される。お前が食堂に行く必要などない」


僕の予想通りの答えが返ってきた。しかし、ここで引き下がるつもりも僕にはなかった。


「はぁ、わかりました。じゃあせめて献立を変えてくれませんかね。もう毎日、似たような味付けと食材ばっかりで飽きたんですよ、僕は」


僕がため息をつきながら言うと、スコットはまたさらに顔を険しくして、


「よくも抜け抜けと飽きたなどと……お前にはなぁ、ショット様からの計らいで、特別にアストリア王国式の最高級料理を出してやっているんだぞ。味のわからない捕虜になど、勿体ないくらいのな」


などと言う。

そう。そんなことはもちろんわかっていた。

しかし、料理が高級なことと、味に飽きる飽きないは関係がない。どんな美味しいものでも、毎日は食べれば美味しくなくなるし、それが味付けの濃い、コテコテした料理なら余計だ。


その辺のことを僕は言いたかったのだが…たぶんショットもスコットもわかってはくれないだろうとは踏んでいた。

やはり、僕の思った通りだった。

そんなことは配慮どころか、頭の片隅にもなかったらしい。


「そうですね。そんな高級なもの、ほんと、僕なんかには勿体ないですよ。ですので、やはり僕は、今度から食堂で食べます。その方が安上がりですし、料理を運ぶ手間もかかりません。なんなら、これからはお金も払います。財布も戻ってきたことですしね。それで好きなものが食べられるのならば、僕はその方がいい」


僕は淡々とそう言った。

でも、それを聞くスコットの顔はちっとも晴れない。それにもやはり問題があるらしく、彼はまた口を開く。


「貴様は……またそうやって警備を難しくしようとしているな? ダメだ。食堂で食べるなど…貴様は部屋にいればいいのだ。余計なことはせずにな」


「別に余計なことじゃないと思いますけどね。ちょっと食堂で食事を摂るだけですよ? それに、心配しなくても、僕は逃げたりなんかしない。僕は人質を取られているんだ。何もできるはずないだろう?」


僕はなるべく穏やかに言った。しかし、それでもスコットは首を縦に振らなかった。本当に、任務には忠実な男だ。付け入る隙がない。


だとしたら……やっぱりここは、上に許可を出してもらうしかないだろう。

彼の忠義は、逆に言えば上が許可さえ出せば、僕の言葉を否定する根拠がなくなるということなのだから。


「わかりましたよ……じゃあこの件もショットに聞いてみましょう。ショットがいいと言えば、文句はありませんね?」


僕は言った。

それにスコットはうーむ、と唸ったが、やがて

「まぁ、いいだろう。ショット様がお許しになればな」

と渋々、その提案だけは飲んでくれた。



僕らが部屋に戻ると、なんとそこにショットがいた。彼はやっと人心地ついたといった感じで、ソファに座り紅茶を飲んでいるところだった。そんな疲れた様子のショットも、僕は初めて見た。


ショットは僕達が扉を開け、入って来たことに気づくなり、またいつものように大袈裟に両手を広げ、


「ふふっ、おかえりなさい。いやいや、今日はすいませんでしたねぇ。なにせ、急だったもので」


と言う。

僕は別に謝られなくてもよかったし、むしろ謝るのならば他のことに対して謝って欲しかったが、とりあえずそれは置いておいて、


「いや。それで、もう用事は済んだのか?」


と聞いてみた。

すると、ショットはニヤケ顏のまま、肩を落とし


「いやいや、今はただの空き時間ですよ。すぐに戻らなければなりません。それに、たぶん明日からもこのような状況が続くでしょうね……ですから、残念ですが、ラシェットさんとの研究はしばらくお休みということになります。だから、そのお知らせに来たのですよ」


と、本当に残念そうに言った。

でも、僕としてはショットの顔を見ないで済むのなら、それだけで嬉しかったし、全然残念ではなかった。

まるで、奴の一方的な片想いという感じだ。


「そうですか。それは残念ですね」


僕は心にもないことを言う。

それに対し、ショットは、とても愉快そうに笑い、

「ええ。本当に残念です。せっかく、ラシェットさんがやる気になってくださったのに」

と言う。


やる気。

なるほど、そうショットは捉えたらしい。やはり僕に看護の許可を出したのには、何か研究の役に立つだろうとの計算があったからなのだ。


これでまだまだ、僕の付け入る隙がある目算がついた。


僕は思いきって話を切り出す。


「まぁね。ところで、やる気ついでに、もういくつかお願いしたいことがあるんだが……」


と。

その言葉にスコットの鋭い視線が、僕の背中に突き刺さるのを感じる。けど、それは無視だ。スコットに気を遣わなくとも、ショットとさえ交渉できれば、それでいいのだから。

僕がショットの方をじっと見ていると、すぐにショットが


「はい。なんです?」


と聞いてきた。

だから、まず、僕は食堂のことを聞いてみた。

部屋に料理を運んでくれなくていいから、好きな時間に好きなものを、好きなだけ食堂で選ばせてくれないか、と。

すると、ショットはなんだそんなこと、という感じで、


「ふふっ、ええ。僕は構いせんよ。何も問題ありません。自由に食堂をお使いください。代金もいりません。私が出しておきましょう」


と、言ってくれた。

やはり、ショットは僕がきちんと研究の手伝いをするという意思さえ見せれば、ある程度の要求は受け入れてくれるようだ。

スコットはたぶん、僕の後ろで苦虫を噛み潰した様な顔をしているだろうが、僕は構わず、また話を続ける。


「あと、朝は調理室も貸して欲しい。朝食は自分で作りたいんだ」

と。


「は?」


僕の申し出に思わず声を出したのはスコットだった。しかし、すぐに自分の無礼に気がつき、黙る。さすがに、そこまで気を配らなくてもいい気もするが、本人がそうしたいのだ。好きにさせておこう。


「はぁ…ラシェットさんは、物好きなんですねぇ。ふふっ、ええ、僕は全く構いませんけども…でも食材の都合まではできませんよ? 僕は食堂の管理までは、任されていませんからね」


一方のショットは僕の言うことを真面目に考えてくれた。

もちろん、僕だって冗談ではなく大真面目に言っている。

そのための準備もちゃんと考えていた。


「ええ、大丈夫ですよ。食材は買い出しに行きますから」


と、そういうふうに。


「なっ!?」

「おやおや」


今度は二人とも驚く番だった。

特に、スコットなどは無礼など知ったことか、という感じで


「貴様っ、そうやって脱走しようなどとっ!ナメた口を聞いてっ!」


と、怒りを露わにしている。

その意見も、もっともだった。

でも、僕は逃げも隠れもする気はない。もちろん、きちんとここに戻ってくるつもりだ。


「そんな間の抜けた脱走方法なんて考えませんよ。それに食材はついでです。部分的に足りないものがあるから、自分の足で買いに行きたいだけです。」


「足りないもの? ……それは看護と何か関係があるものですか?」


スコットの剣幕を気にせずに、ショットが僕に聞いてきた。僕の話に興味があるらしい。

それに僕はええと、頷いてから続きを話し始める。


「そうです。今日、初めてやってみて気がついたのですが、三人とも思っていたより、肌がボロボロなんですよ。確かに、色々とよくやってくれていて、看護師の皆さんには頭が下がるのですが……やや、流れ作業過ぎて、細かいところまでケアが行き届いていません。なら、その部分は僕が補おうかと。そのために、化粧水とオイル、乳液を買いに行きたいんです。それと石鹸やタオルも僕のおすすめの物に替えたいですし、できればシャンプーも泡の出ない何かで代用したい」


僕がそこまで一気に喋ると、ショットは時折、ふむふむと頷きながら聞いてくれた。

果たして、僕の言っていることの意味がショットに、どのくらい通じているのかは定かではないが、彼は僕が一旦話を切ると、顎に手を当て


「それで? 他には?」


と聞いてきた。


「看護に関してはそのくらいです。あとは、マッサージの方法などを変えたいだけですので、買い足しは必要ありません。掃除に関してはスポンジやハタキ、雑巾なども使いたいのですが、それはこの城の備品にあるかもしれません。それをチェックして、あと残りはついでに買う僕の食材くらいです」


僕が身振り手振り言い終わると、暫しの沈黙となった。


ショットは相変わらず顎に手を当て、ふむふむと小さな声で呟いている。

スコットの方も試しに見てみたが、物凄い目つきで僕のことを睨みつけてきていた。だから、やはり無視することにした。

すると、


「それで、ラシェットさんはあの三人と、きちんと向き合えるようになりますか?」


やがて、ショットが唐突に僕に聞いてきた。


ずっとショットの方を見ていた僕の視線と、彼の視線がぴったりと合う。

彼の瞳は今日も暗い緋色をしていた。

つい目を逸らしたくなるが、僕はそれをグッと我慢して、ショットの目を見続けた。そして、


「はい。そう思ったからこそ看護に志願したんです。しかし……わからないこともあります」


と、躊躇いつつも言った。


「わからないこと……ふふっ、いいでしょう。この際、特別に聞いてあげましょう。何がわからないのです?」

「わからないのは一つだけです。あなたは僕とあの三人を引き会わせて、いったい何を引き出そうというのですか?」


僕のその質問にショットはより一層ニタリと笑った。

なんとも気持ち悪い顔だが、この感じならきっと、何か答えてくれるだろうと僕は思った。

だから、僕はショットの言葉を待った。


すると、割りとすぐにショットは口を開き、


「それは、あなた方4人に共通する「何か」ですよ」


と言った。


「共通する…何か?」

「ええ。そうです」

「それは、身体的なものか? それとも記憶とか、もっと体験的なものか?」

「それは完全に体験的なものです。思い出、なんて言うとわかりやすいでしょうかね」

「思い出、だって?」


そこまで聞いて僕は、またよくわからなくなってしまった。

思い出と言われたって、僕とあの三人は全くの初対面なのだ。共通する友人はいるけれど、それだって一緒にいた時期がまるで違う。これでは共通するものなんてありはしないではないか。


「ラシェットさん。あなたの疑問はもっともです」


僕が考え込んでいると、その思考を読んでいるかのようにショットは言った。

そして、さらに彼は続けて


「でも、それが必要になってくるのです。それがなければ、あなたとあのお三方は、絶対に会うことができないのですから」


と、また僕にはよくわからないことを言った。


絶対に会うことができなくなるって言ったって、実際にはもう会っているではないか。

僕がまた、言葉を発することができず、じっと考えていると、


「ふふふっ、はい。では質問の件は、ここまでですかね。買い出しもいいでしょう。その代わり、スコットも一緒に連れて行ってください。念のためです」


とショットは一方的に話を切り上げ、扉の方へ歩き出してしまった。

「あっ…」

僕はそれに気がつくと、急いで振り返る。しかし、ショットは僕が何か言うより先に


「大丈夫です。心配しなくても直にわかりますよ。前に言った通りです。ふふふ。では、しばらく顔は出せませんが、よろしくお願いします」


と言い残し、足早に部屋を出ていってしまった。


残された僕とスコットは、二人、部屋の真ん中でポカンとなった。

しかし、何はともあれ、買い出しの許可は下りたのだ。

だから、僕は気を取り直して、


「ま、許可ももらったし、買い出しに行こうか」


とスコットに言った。すると、スコットも気を取り直したらしく、厳しい顔をする。

僕はその表情を見て


「なんだ? 街中での監視は、一人じゃ不安か? なんなら、監視役をもっと増やしてもらっても構わないが?」


と言ったのだが、それにスコットは猛反発し、


「くっ…貴様の監視など、私一人で十分だっ!」


と言った。

やはりスコットの方がわかりやすい。ちょろいものである。



ーー街に出ると、もう夕暮れが近づいてきていた。


アストリアの歴史ある石畳の上を踏みしめながら、僕はスコットと並んで歩く。

なんとも、不思議な感覚だったが、それでもやっぱり久しぶりの外は気持ちが良かった。これだけでも、思い切って交渉してみてよかったと思う。


アストリアの建築物はこの足元の道同様、全部、石造りで出来ている。

だから、どれもこれも1000年くらい前の姿をそのまま留めていて、まるで遺跡の中を歩いているようなものなのだが、行き交う人々は皆賑やかで、そんな歴史ある建物には、電気屋や八百屋やスーパーマーケットが平然と入っているのだから、やっぱり現代の都会なのだなぁと、なんとか確認することができた。


そんな風情のある街角にタバコ屋があったから、早速僕が立ち寄ると、

「タバコなんて、買い出しの予定に入っていないぞ」

とスコットが堅いことを言う。でも、僕は

「いいだろ? ついでなんだから」

と言って、躊躇なく好きなタバコを買った。


「この次の角を曲がったところに、確か、大きな薬局があったはずだ」

スコットが前方を指差しながら言う。

それに僕はわかったと答える。そうしながら、目はもの珍しい景色にすっかり釘付けだった。

ちょっと来ない間に、すっかり店が入れ替わってしまっていたのである。


見慣れない服のブランドもあった。あの店はきっとキミが好きかもしれない。

昔寄ったことのある古本屋はなくなってしまっていて、その後にはアイスクリーム屋が入っていた。これもキミが喜ぶに違いない。

あ、あそこのジャンク屋、まだやってたのか…クラフトのパーツがあるかもしれないな…


そんなふうに楽しみながら、街を歩いていると、やがて大きなカフェテラスが右手に見えてきた。

そのカフェは記憶にあった。確か『キャット』とかいう名前の老舗のカフェだ。

なんでも、その昔、名だたるアストリアの芸術家達や作家達が常連にいて、一種の社交場やサロンのようになっていたという話だ。


僕らはその横を通り過ぎる。

相変わらず大繁盛しているようだった。いつも満席で、僕は寄る機会を逸していたが、どうやら見る限り、今日も満席らしい。

色々な人々、老若男女が向かい合い、コーヒーやビールを飲んでいる。なんとも羨ましいことだ。できれば僕もそうしたい。


「けど、今はそういう場合じゃないんだよなぁ」


と、僕が思って眺めている時、僕はそれに気がついた。


その鋭い視線に。


その男はカフェテラスの一番店内側の席に座り、頬杖をつきながら真っ直ぐに僕のことを見てきていた。


僕はその男と目が合うと、一気に全身が熱くなった気がした。


男は帽子を目深にかぶり、メガネを掛けている。服はカーキ色のズボンに、白いTシャツ。組んだ脚の先には、ごつい革のブーツを履き、足元にはリュックを置いている。


そして、男はかなり背中を丸め、コーヒーカップを持っていたが、それでその体格を隠せると思っているのだろうか? 僕からしてみれば、その男がかなり背の高い男だということはバレバレだった。

帽子にしたって、メガネにしたってそうだ。変装のつもりなのだろうか?

帽子からは、収まりきらない長い金色の髪がはみ出ていたし、メガネの奥では燃えるようなグリーンの瞳が好戦的に輝いている。


僕はすぐに目を逸らした。


しかし、確信した。直接会ったことはないが間違いない。きっと彼だと。


そして、なぜだかわからないが、彼は無事で、しかもこの僕に会いに来たのだと。


「ナーウッド・ロックマン……」


僕はそう心の中で呟くと、先程のまでのリラックスした気分はどこへやら、握りしめた手のひらに、じっとりと汗を掻いていた。



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