石の部屋 ログ
自己紹介しましょ。
キミがそう言うと、それが合図になったのか石板に刻まれた文字がうっすらと輝き出す。
ランタンの光だけでは、まだまだ暗く、全体を見られなかった大きな扉も、その全貌が見えるくらいに明るく……
その様子を驚愕の目で見るナーウッド。でも、ことはまだ淡々と進んでいて、石板のとある文字だけが、より強い光を放ち始める。すると、そこからキミの目をめがけて光の線がすーっと走った。
ピピッ、ピピピピー、ピッ、ピピピー
石板が小さな音を発し、それに呼応するようにキミの目を照射する光の線が小刻みに揺れる。
よくわからないが、何かを調べているのであろう。それはキミの守人である証とも言える瞳を照射していることから、なんとなく察せられた。キミの瞳とあの光の間には、きっと何かしらの秘密のやり取りがあるのだ。
ピーーー
ナーウッドが固唾を飲んで見守っていると、やがて、そうややうるさい音を出し、石板は光を弱めた。
キミの目を探っていた光もすーっとまた石板の中へと帰ってゆく。
「お? 終わったのか?」
ナーウッドはそう思う。
でも、キミはどこか浮かない顔をしていた。キミのその様子に
「まさか、ダメだったのか?」
とナーウッドが、一転、不安に思い、話しかけようとしたその時、ミニスが
「あっ」
と驚きの声を上げた。
だから、ナーウッドも思わず声を飲み込み、足を止めた。
見るとキミの真正面、そこにうっすらと光り続ける石板の黄色い光が、ぽつり、ぽつりと集まり始めていたのだ。
「な、なに…?」
「…………」
ミニスとナーウッドの二人はその光の集まる先を訝しげな表情で見つめる。
その光は下から次第に積み重なり、形を成し、色を変えていく。
それはあたかも、粘土細工のようだった。ぺたぺたとくっつき、集まる光。
そして……それはやがてはっきりと人の形をとった。
見たこともない白い装束を羽織り、茶色い皮のサンダルを履いたひとりの男に。
二人は絶句した。しかし、何とか観察だけは怠らないようにする。
彼は、男…? いや、彼は少年と言っていい年頃だった。背丈もその幼い表情もおそらく、キミとそう変わらないように見える。
薄茶色の髪の毛に、目鼻立ちのしっかりとした顔。瞳は見たこともない、綺麗な水色をしている。髪は長いためか、頭の後ろでお団子状にひとつにまとめているが、とてもサラサラした髪のようだった。
そんなことすらも見て取れるくらい、その光でできた人は鮮明で、まるで本当に人がそこに現れたかのようだが、それでもその人が決して手では直接触れられないであろう存在だということは、感覚的にすぐわかった。
「………」
謎の少年の登場に、まだ戸惑う二人。でも、キミの方は相変わらず、不機嫌そうな顔で腕を組み、その少年のことを臆せずに見つめている。
そして、それは少年も同じで、出現してからというもの、キミの方しか見ていない。ミニスとナーウッドの存在には気づいているのか、いないのか、とりあえず視線すら合わせる気はないようだ。
「あなたが、ここのログ? 随分若いのね」
キミが言った。そんなキミのぶっきらぼうな言葉に
「お前に言われたくはない。それに、私は確かに若かったが、もう歳など無意味な存在になって久しい。お前はまだそうではないのだろう? 若き守人よ。それよりも……わかっているのか? ここは『生命の部屋』。お前の血筋が守るべき、また、来るべき場所でもない。そうだな? キミ・エールグレイン」
と少年は返す。その声はやはりまだ幼さを残していたが、その口調や雰囲気は堅く、威厳に満ちていた。
「ええ、それは「ウルドー」から聞いているわ。それは、あなたも私の名前を調べたのなら、わかっているはずよ?」
それでも、キミはあくまでも気さくに少年に話しかける。そして、少年の方もそんなキミの態度自体にはあまり興味がない様子で、
「もちろんだ。だから、わざわざ私がこうして出てきた。本当にいつぶりに出てきたのか見当もつかないくらい、久しぶりにな。とにかく、キミ・エールグレインよ。お前の要求はこの部屋に入ることらしいがな、それはできない相談だ。ここを通りたければ、古よりの決まりのとおりに、この遺跡を守る血筋たる正当な守人、『生命の守人』を連れて来なさい。話はそれからだ」
と言う。その言葉にはさすがのキミも苦笑いを浮かべずにはいられないようで、ちょっと困ってしまった。
「生命の守人?」
またそんな聞き慣れない言葉を聞き、ミニスはそう反復した。その声にようやく、白装束の少年はミニスとナーウッドの方へと顔を向ける。その目はやはりとても少年のものとは思えないほど、強い意思の光を湛えていた。
「ああ、そうだ。ミニス、それにナーウッドよ。今言ったように、ここは生命の守人しか通れない。残念だったな。だが、決まりは決まりだ。お前たちも早々に立ち去るがよい」
少年はにべもなく言う。どうやらキミの目を調べた時にキミの中にある情報も要求も、同時に調べたらしい。だから、少年はミニスとナーウッドの名前がわかったのだ。そのことは、キミの力を知っている分、なんとか二人にも理解できた。
「立ち去れって…けど、そういうわけには……」
少年のその言い方には頑ななものが感じられ、ミニスと、それにキミもこれ以上どう言っていいかわからなくなってしまった。
でも、ナーウッドだけは少し事情が違っていて、少年の前にスッと一歩進み出ると、膝をつき頭を垂れて
「突然のお呼び立て、誠に申し訳ございません。失礼ですが「ウルク王子」とお見受けしましたが、いかがでしょうか?」
と突如、いつもの俺オレ口調をやめ、少年に丁寧に尋ねた。
ウ、ウルク王子?
そのあまりにも急なナーウッドの変わり身に二人は、唖然とし、そう思う。しかし、少年はそのナーウッドの問いかけに、少し意外な、驚きの表情を見せ
「ほう……懐かしい名前を呼んでくれるな。確かに、私はかつてのユーグリッド連合王国の王子の一人だった。しかし、短命でな。今はこの通り記憶と思考だけの存在だ。私自信、今や生きていた頃の記憶などまるで夢の中の出来事のようだ。そんなふうだから、とうに私の名前など人々の記憶から消え失せたと思っていたのだが……よもや、まだ知っている男がおるとは。お前はなかなか博学だな」
と言い、なんとナーウッドを褒めたではないか。
「普段の研究が活きた!」
取っ掛かりができたのだ。
ナーウッドはそれに頬が緩みそうになるのを堪え、続ける。
「お褒めいただきありがとうございます。しかし、お言葉ですがウルク王子。あなたが最後にこの部屋の扉を開いたのはいつのことになりましょう?」
その質問にウルクは
「さぁな。いつ頃になるか……」
と首を傾げる。
早くも二人の話に置いていかれそうになっているミニスには、なんのことやらチンプンカンプンだったが、どうやら首を傾げるほど、昔のことらしい。
「少なくとも、ここ500年の記憶にはないようだな。それ以前になると、もう少し思い出すのに時間がかかる」
ウルクは言う。しかし、その答えをナーウッドは
「いえ、それには及びません。ウルク王子」
と制し、そこで顔を上げた。
「少なくとも500年以上も扉は開けられていないのです。それで、もう王子ならお分かりでしょう。それが何を意味するのか。そして、なぜ我々が『生命の守人』とではなく、このキミさんと一緒にここに来たのかを……」
ナーウッドはそう言って、まっすぐにウルクを見た。
その言葉と目に、すぐにウルクはナーウッドの言わんとすることを知った。
すると、彼は本当に感情のある人がそこにいるのと、なんら変わりなく少し肩を落とし
「なるほどな……そう申すか、ナーウッドよ…」
と、ため息をついた。
そんな二人の成り行きをミニスは黙って見守り、キミはずっと腕を組んで見つめる。
「ふっ……やはり、と言うべきかな……ではナーウッド、つかぬことを聞くが、貴殿はここの守人の眷族、ディボッシュ家とハイネミア家の最期のことは何か聞き及んでいるか?」
やがてウルクはその強い光を湛えた目を伏せ、残念そうにナーウッドに尋ねた。しかし、ナーウッドの答えは
「いえ、すいませんが、そこまでは……」
ということだけだった。
それでも、ウルクは思うところがあるのか、質問を重ねる。
「ふむ…わかった。やはり記録には残さぬか…しかし、それはあのアストリアの小僧どもの仕業なのだろう?」
「こ、小僧? か、どうかはわかりませんが……ええ。おそらく、そうだと思います。調べられる限りの間接的な記録を見ただけでも、アストリアは歴史上、様々な口実で戦を仕掛けていますし、それはここアスカ地方も例外ではありませんでしたから……」
ナーウッドも目を伏せがちにして答えた。
「そうか…いつぞやにネットワークが切断されてからも久しいからな……情報もろくに集められなくなっていたが……やはり彼奴らは小僧だよっ! ろくに力の使い方も、この世界の成り立ちも知らず、無為に暴れまわり秩序と法則を破壊するならず者…小僧集団だ! その挙句に同志たる守人を狩り…それを秘密裏に進めるために、様々な場所で理由をこじつけ、無駄な戦争を……それが、ついにここにもか……」
そこでウルクは黙ってまた俯いた。そして、
「そうか、せめて気付いてやれればな……肉体のないこの体は、本当に…本当に不便だ……」
と小さく漏らし、自分のその光でできた体を見下ろした。
でも、その悲しみの気持ちは光の体であっても、三人に痛いほど届いた。
だから、三人はそんなウルクを見つめ、次の言葉をただ、黙って待つしかなかった。
「キミ・エールグレイン」
「えっ? あ、はい」
しばらくしてウルクが口を開くと、キミの名前を呼んだ。それに、キミは驚きつつも返事をする。そして、ウルクに促されるまま、一歩前に進み出た。
「キミ。貴殿がウルドーのところの『時の部屋』の守人だということはわかっている。ところで、貴殿以外に『時の守人』はいるかね?」
「いいえ。いないわ。母は死んでしまったし、親戚もいないもの」
「そうか……」
キミが首を振って言うと、その答えに今度はナーウッドの方をウルクは見る。すると、ナーウッドは察して
「ウルク王子。残念ながら私の知る限りでも、もうこの世界で守人はたった二人だけです。それはアストリア王国のジース・ショットという男と、ここにいるキミさんの二人」
と話を継いだ。その言葉にウルクは「ジース?」と、ピクッと反応し、
「ジース・ショット。例のアストリアお抱えの『文明の守人』か。ふふふ、あの小僧まで、まさかまだしぶとく生きていたとはな。まぁ、しかしそれも当然か……」
と、不敵な笑みを浮かべた。
それは決して愉快そうな笑みではなかったが、まるで逃した魚にもう一度巡り会えたような、そんな表情にも見えた。
でも、その表情は、本人は気づいていないかもしれないが、初めに現れた時の威厳のある表情よりも、だいぶ生身の人間らしいものに変わりつつあるように思われた。
「えっ? ちょ、ちょっと待って! ウルクさんは、あのジース・ショットのことを知っているの?」
そこでまた、ミニスが口を開く。
というよりも、これは聞かずにはいられなかったのだろう。なにせ、直接二度も対峙したことのある敵の話なのだから。それは聞いて当然だった。その声にウルクはミニスを見る。
「そうか。ミニス、貴殿もショットには会ったことがあるのだったな……いや、私はな、実は直接は知らないのだよ。しかし、以前にログ同士のリンクや、ここに来ていた守人達から、情報を入れてもらったことはある。それだけのことだ」
「でも、あの男がどういう男なのかは、知っているのですよね?」
ミニスはウルクの言う言葉の単語までは、わからなかったが、なおも引っ掛かるところを聞く。すると、ウルクは
「ああ。聞き知ってはいる。あの男がいかに残酷で、無慈悲で、それ故にアストリアは道を誤ったのではないかという、推測くらいのことはな。そして、そんな男が遺跡に眠る技術によって、老いず、死なず、ずっとその力を保ちながら、アストリアの側近として仕え続けていると」
と言った。
「アストリアに、ずっと? じゃあ、歴史上アストリアのしてきたことって、もしかして全部ショットの指示…?」
ミニスは道すがらナーウッドから聞いた、アストリアの歴史を思い出し、背中を震わせた。
話が大き過ぎていまいちピンとこないが、ミニスはあのショットのニヤニヤ顔を思い浮かべてみる。
あの男が何千年、何百年も生きている男?
でも、当然のことながら、それも全くピンとこなかった。遺跡に眠る技術というものもわからない。そんな、人を不老不死みたいにする技術なんて、本当にあるのだろうか? それに、仮にそんな技術があったとしても、どうしてショットだけがそうなのだろうか? 歴代のアストリアの王の中に、それを望んだ人は一人もいなかったのだろうか? 権力者なら、誰か一人くらい、不老不死を望みそうなものだが……。
ミニスは聞きたいことは山ほどあったが、それ以上は言葉にならなかった。何をどう、順番に聞いていけばいいか、わからなかったのだ。だから、ミニスの言葉を待たず、ウルクは先ほどのミニスの呟きに応えるように、
「いや、私もアストリアのしでかしたこと、それら全てがショットという男の指示だったとは思わないがな? 何しろあの男は突然、『文明の遺跡』の守人として現れ、権力に近づいたと聞かされたが、それはアストリアの歴史の最初からでは、もちろんないからだ。いつの時点に、どこから現れたのか。それは私も知らないのだよ」
と言った。
その言い方にミニスは素直に
「では、ショットが何者なのか、それを知っている人は、他にいないのでしょうか? もしくは、その手掛かりになりそうなものは?」
と疑問に思ったことを聞く。とにかく思いつくままに聞いていくのが一番だと、そう直感的に思ったからだ。
しかし、その問いにもウルクは腕組みをしたまま
「さぁな……他の文明の遺跡のログなら、あるいは……それよりも、ミニス、キミ、ナーウッドよ。私にもどうも引っかかるところがあるのだが」
と言い、今度は何やら話題を変えるようなことを口にした。
「え?あ、はい」
「な、なんでしょうか?」
そんなウルクにそう応える、キミとミニス。
しかし、ナーウッドはひとり、ずっと真剣な顔でまだウルクの前に跪いている。その様子もミニスは気がかりだったが、今はショットの情報を把握するので、頭がいっぱいだった。
「うむ、いや……私にはな、どうも解せないことがあってな。それはキミ、貴殿のその記憶だ。その中にある今の時代の風景、国、風俗。私が見る限り、それらの全てが、殊の外平和に見えるのだが…それはどういうことなのだろうか? この世界の状況と、ショットがまだ存在しているということが、どうも私の中でうまく結びつかないのだが……」
ウルクはそう言った。
なるほど。それはつまりこういうことだろうか?
ショットとアストリア王国の進めてきたと思われる侵略路線からしてみると、今の世界の姿は様々な都市と国家が独立し、一応、人々も平等に扱われ、自由で、とても平和に見えると。
それは果たして、あのショットのような男が許したことなのかどうか? と。
しかし、そんなことはミニスは知るよしもなかった。当たり前の話だが、この世界はミニスが生まれた時から、ずっとこうだったのだから。
ショットという男のこともつい最近知ったのだ。それどころか、一生懸命に情報を掻き集めても、その存在はおそらくアストリア内部の人間にもあまり知られていないように思われると、結果が出たではないか。
これはいったいどういうことだ? 聞きたいのはミニスの方だった。
すると、
「それは、結びつかないのも当然です……」
と、跪いたまま、真剣な表情をしていたナーウッドが口を開いた。そして、彼は苦しそうに続けて、
「なぜなら、ショットは今から約600年程前に一度、封印されているのですから。時のアストリア国王、ジョナスター三世の手によって…」
と言った。
「えっ!?」
その言葉にミニスは声を上げ、キミはじろっとナーウッドの方を見る。そして、ウルクはというと、「ほう…」と呟き、顎に手を当て、なにやら考えている様子だった。
「な、なんで、ナーウッドさんはそんなことを知っているの? じゃあ、なんであいつは今もまだ、アストリアにいるのよ!わけがわからないわ!?」
やっぱりそう一番先に大声で言ったのはミニスだった。
そして、それは当然の疑問だった。
でも、ナーウッドはそれについて、もう隠すつもりはなかった。
だから、何と言われても甘んじて受け入れようと、顔を上げ、ミニスに向かい、
「ミニスさん……それは、俺が。このバカな俺が、その封印を、そんなことすら知らずに解いてしまったからなんだ!……今から一年と少し前、アストリア王国の北東部にある、名前も忘れられていた遺跡の最奥部。そこで発見した石の部屋の中、そこの中央に眠るように棺に入れられていたショットを得意げに調査し、またこの世に放ってしまったのはっ!この俺なんだ……」
そう告白した。
その表情には、真剣さや申し訳なさ、後悔の念や口惜しさなど、様々な感情が入り混じっていて、とても簡単に非難できるような顔ではなかった。
だから、ミニスは勢いのやり場を失い、
「ナ、ナーウッドさん……」
と、そんなナーウッドの顔を見つめる他なかった。
それ以上何と言っていいかわからない、そんな気持ちにミニスはなるしかないではないか。そんな顔をされたら……
「そ。そういうわけなのね。やっと、わかったわ」
すると今度は、今まで黙っていたキミがそう言った。そして、続けて
「ずっとおかしいと思ってたのよ。あいつの目を見た時の、あの情報量。それに、戦い慣れした力の行使。とても、同じ存在とは思えなかったもの。でも、お陰でその正体がわかって、安心したわ。私とショットはそもそも経験値が違うんだって。あとちょっとで自信を失くしちゃうところだったわ。ありがとう。ナーウッドさん」
と、まるでナーウッドを責める様子もなくあっけらかんと言った。
「え?」
そんなキミをナーウッドは呆然として眺めた。
わけがわからない。
ナーウッドはいつか言わなければならない、この自分の過ちを言った時、いったいどんな罵声や非難が浴びせられるのかと、ずっと心配し、また覚悟していたのだ。
でも、キミはそんなことはまるで気にしていない様子だし、ミニスもどちらかと言うと今は、ナーウッドのことを心配そうに見つめている。ウルクにしても、ただ自分の思案に耽っている感じで、特にナーウッドを怒ろうなどとは考えていないようだった。
「そ、そんな……いいのかよ……っ」
ナーウッドはそう漏らした。それは心の奥底から漏れてきた本音だった。
その声に三人はナーウッドの方を見る。逆にナーウッドの顔の方が三人よりも怒っているように見えた。
「いいのかよ!!それでっ!お、俺はっ……俺はっ!」
ナーウッドが立ち上がり、感情を爆発させ叫ぶ。
すると、誰からともなく、三人は仕方ないなという感じで見つめ合い微笑した。その雰囲気を感じ取り、ナーウッドもまた黙る。すると、キミは
「いいもなにも。だって、仕方ないじゃない? 知らなかったんでしょ? さっき、そう自分で言っていたわ」
と言った。それを受けてミニスも
「そうね……そりゃ、事態は深刻かもしれないけれどさ。まだ現実には何も大事に至っていないじゃない。それはまだやり直しが効くってことなんじゃないの?」
と言う。また、それを受けてキミは続ける。
「それに、この問題で一番苦しんできたのは、他でもないナーウッドさん自身じゃない。サマルさんやお友達を人質に取られて。ずっと一人で抱えて頑張ってた。だったら、私達は協力はするけど、非難なんかしないわ。してもねぇ?」
「ええ。そんなことしてもしょうがないわ。今はとにかく、ちゃんとその後始末をできるように頑張るだけよ」
二人はそう言ってナーウッドに笑い掛けた。
実は二人には、もうわかっていたのである。昨日、散々彼と話し合い、本音をぶつけ合って、それでもなお、彼が夜も眠れないほどの悩みを抱え込んでしまっているのを。
それはキミでも見通せないほど彼の深く暗い所にあった。でも、それは別に心など覗かなくとも、ちゃんと彼を見ればわかることだった。そして、昨日、今日と二人はちゃんとナーウッドのことを見ていたつもりだ。もちろん、その具体的な内容まではわからなかったけれども。
だから、二人はそれぞれ言葉にはしなかったけれども、受け入れる準備はできていたのだ。そして、それを加味しての昨日までの協力宣言だったのだが…どうやら、そこまではナーウッドには伝わっていなかったらしい。でも、真面目で律儀なナーウッドらしいと言えば、ナーウッドらしかった。
「………」
そんな二人の笑顔に、ナーウッドはもう言葉にならなかった。
この二人には、もう何回もありがとうを繰り返し言ってきたが、それだけでは足りないような気もした。でも、ナーウッドにはありがとうという言葉しか出てこなかったのだけれど、それすらも涙で出てこなくなってしまっていたのだ。
ナーウッドは情けなくなって、余計に泣いた。
立ったまま泣き、その涙もなんとか堪えようとはしているのだが、それは無駄な努力のようだった。それを、からかうようにキミは
「ちょっと、なによ、泣きすぎじゃないの?」
と言うが、そんなことはキミにしか言えなかった。
だからミニスはそんな二人を見て、やれやれと思う。そして、ウルクの方を見た。
ウルクはミニスと目が合うとふっと笑った。ウルクもミニスと似たような気持ちのようだった。
でも、ウルクは口を開き
「なるほどな。これで大体の事情はわかった。つまり、ナーウッドよ。貴殿の言いたいことは、決まり通り、生命の守人を連れて来たいところだが、そもそも守人という存在はキミ・エールグレインとジース・ショットを残して、消え去ってしまったと考えられると。だから、キミの力でなんとかここを通してもらえないかと、そういうことだな? そして、その目的はショットの復活と何か関係がある」
とナーウッドにそう言った。
そう言われるとナーウッドはまた素早く跪き、頭を垂れ、
「はい、その通りです。そして、私が探しているのはショットを殺し、そしてショットと同じ体にさせられてしまった友人を殺すための薬品『アンチオリハルコン』なのです」
と言った。
「サマルさんは、ショットと同じ体に…?」
「アンチ、オリハルコン…?」
また新たに出てきた単語に二人は疑問を持った。しかし、もう一応の理解は届く。要するにそれがサマルを殺す武器、もしくは手段なのだろうと。
「なるほどな。オリハルコンを使ってしまったのか…だから『アンチオリハルコン』を。それは厄介だな…確かに精製は可能だと聞いてはいるが……残念ながらここの部屋にはその材料となる高純度の「オリハルコン」も、精製方法も、その装置もない。なにせここは『生命の部屋』、バイオテクノロジーと種の保存を目的に作られた部屋なのだからな」
そうウルクは言う。しかし、ナーウッドは
「いいえ、それでも構いません。もとより、あてどのない旅。だったら、少しでもヒントや手掛かりが欲しいのです。どうか、ここを通してください」
と言って、再度ウルクにお願いをした。
「ヒント?」
ナーウッドの言う、その言葉にミニスは何かを思い出したかのように言った。
そう。色々な情報の出現にすっかり忘れていたが、ミニス達は、元はといえば、この扉のレリーフに刻まれているという、サマルの居場所を探すためのヒントを見にここまで来たのだった。
だからミニスはすっかり話し込んでいるナーウッドとウルクの話がまとまる前に
「あ、あのウルク王子!その前に一つよろしいでしょうか?」
とウルクに話掛けた。なぜかミニスも敬語になっていた。なんとも不思議だが、ウルクには自然と人をそういう態度にさせる雰囲気がある。まぁ、キミは別にしてだが。
「ん? なんだね? ミニス」
「あ、はい。あの…お聞きしたかったのは、この扉に刻まれているレリーフのことについてです。私達には、このレリーフの情報がどうしても必要で…元はといえば、これの解読も兼ねてここに来たんです。でも誰も読めなくて…だから、是非教えていただきたいのです。ここには何が書かれているのでしょうか?」
ミニスがそう聞くと、ウルクはうむと頷き、なんだそんなことかといって感じで、
「ここに刻まれている情報か?……確かにこの情報はここにしか刻まれていないが、大したことではないぞ? まぁ、だからこそ他の遺跡には刻まれていないのだがな。これは各地の遺跡の名称さ」
と言った。
そのウルクの答えにナーウッドは
「遺跡の名称!?そっ、そんな簡単なことだったのか」
と思わず大きな声を上げる。その反応にウルクは、はははと笑った。初めて見る表情だった。
「なるほどな。ナーウッドよ、それは君が下手に博学だから引っ掛かるんだ。確かにこの文字組みは複雑だ。それ故に重要な内容が隠されていると思いがちだが、往々にしてそれはフェイクなのだ。そして、それが歴史の知恵というものさ。時代を下れば下るほど、簡単さ故に、どんどん難しく解釈されていく。本当はもっとシンプルなものなのにな。しかし、この名称の情報も当時は陳腐なものだったが、情報が失われた現在においては、確かに貴重な情報源かもしれないな」
そう言うとウルクは上から順に読み始めた。それをナーウッドは今後の参考にすべく、リュックからノートとペンを取り出し、必死にメモし、聞き耳を立てる。その集中力もまるで勤勉なうさぎのようだった。
「いいか。上から時、文明、生命、神話、これらが所謂『人の遺跡』だ。そして、大地、天、海、記憶、これらが『星の遺跡』。そして時はひとつ、文明は4つ、生命のふたつ、神話はふたつ、大地は5つ、天はひとつ、海はひとつ、記憶はひとつ。これはそれぞれの遺跡の数を表している。そして、天は空に。海は底に。記憶は島に、とも書かれている。これは遺跡の存在する場所を表している。それ以外の記述のない遺跡は大地にあるということだ」
「記憶は島に!」
ウルクの解説を聞き、ミニスとキミは声を揃えて言った。
サマルは確か、島にいると書いていたではないか。そして、その島の存在はここに書かれていると。だとしたら、サマルは今、その『記憶の遺跡』があるという島にいるに違いない。
もうわかったも同然と思い、ミニスが
「ウルク王子、その記憶の遺跡があるという島はどこにあるのですか?」
と聞いた。これでチェックメイトだ! と。しかし、ウルクの口から返ってきた言葉は
「いや、それは私にもわからないな。なにしろ、あの島は常に移動していて、ひと所に留まっていない。それに、記憶の遺跡の守人やログにも会ったことがないからな……」
という予想を裏切るものだった。
「そ、そうですか……」
「うむ、すまないな。力になれればよかったのだが…」
とても、残念そうな顔をする二人に、ついウルクも謝ってしまった。なんとなく、この王子も打ち解けてきたような雰囲気がある。
「いや、がっかりするのはまだ早いかもしれないぞ」
すると、ナーウッドがノートにペンを走らせながら言った。そして、続けて
「時間が掛かるかもしれないが、もしかしたら、このレリーフの文字組み。やっぱり、単なる遺跡の名称だけを表しているのではないかもしれない。まぁ、それもこの文字組みをウルク王子に教えて貰ってから気がついたんだが、きっとこれは地図にもなっているんだ。各遺跡の場所を表した地図に。だとすると、その島の位置も、もしかしたら把握できる可能性がある」
と、力強く言った。それはもう、いつものナーウッドに近かった。だからキミもミニスも自然と調子を合わせて
「本当!?」
と、はしゃいで言う。
「ほう……」
そんな三人の様子を目を細めながら見て、ウルクは呟いた。そして内心、なるほど、新アストリア語も応用すればそうなる可能性もあるな、と考え
「やはり、この扉はよく歴史を知っている……」
と思った。そして、その歴史を導く役目を少なからず、自分も担っているのかもしれないとも…
「ふふっ、ではそろそろ行くかね?」
ノートを見つめ盛り上がる三人にウルクは言った。突然話は元に戻ったが、それに三人は顔を上げ、
「はい、是非」
と、すぐさま応える。その表情はウルクの声を聞いた瞬間に強く引き締まっていた。なんとも、頼もしい三人ではないか。
「よろしい。では特別に通すことにしよう。だがな、本当はあまりお勧めはできない。前例がないから定かではないが、おそらく中にいる者にまで私の制御は届かないのだ。だから、もしもの時は自力で排除せよ。よいな?」
ウルクは最後の忠告をした。
「は、はい…」
そのよくわからない言葉に一転して、頼りない声を出す、約一名。しかし、それも一応返事だと解釈したウルクは
「よし、では中に入れ。守人達よ」
と言うと、また光の粒に姿を変え、石版の中へと消えていった。
すると、次の瞬間、音もなく、その大きく重そうな扉がゆっくりと開き始めた。
それを、ナーウッドなどは口を開けて見ていたが、ミニスは先ほどのウルクの言葉が気がかりでならなかった。
「自力で排除って……?」
と。
ネズミや蛇くらいならいいのだが、絶対にそんなことはないだろう。そのくらいの想像力はもうミニスにもついていた。だからこそドキドキしていたのだ。
キミはと言うと、相変わらず冷静な顔をしている。しかし、内心はやはりドキドキしていた。なにせ、自分の所以外の、遺跡に入るのは初めてだったのだから。そこに何があるのか興味があった。
そんなふうに、三者三様のドキドキを煽りながら扉はゆっくりと開く。
そして、その先を見極めるように、三人は眩しさに目を細め、手を顔の前にかざす。
そうして、扉は完全に開いたのだった。