約束
草原の日がすっかり落ちてしまう前に、タミラは薪を拾い集めた。
しかし、薪といっても大したものは落ちていない。その辺に生えている木の細い枯れ枝や、雑草の枯れたものをひとかかえどっさり拾ってきて、一晩、何とかして保たせるのだ。タミラにはそういうことはお手の物だった。
そうやって薪を拾い集めると、飛行機のトランクから固形燃料を取り出し、ライターで火をつける。
この作業を完全に日が落ちる前にやってしまわなければ、タミラは腹を空かせた、もしくは縄張り意識の強い肉食動物の格好の獲物になりかねない。
でも、これもいつものことだった。だから、タミラはいたって落ち着いた様子でまずは固形燃料の火を細かいよく乾燥した枯れ草に移す。それに火がつくと、今度は燃え続ける固形燃料を組んでおいた比較的太い枝の薪の中にポイッと放り込み、火のついた枯れ草を細い枝が敷いてあるその下の方へ入れる。そして、身を屈めてフーフーと吹くのである。すると、火は草から細い枝へ、細い枝から太い枝へとだんだん燃え広がっていく。コツを掴めば簡単なことだ。そして、そのコツとはよく乾燥した枝や草を選ぶことにある。
つまり、火をつけることよりも、火がつきやすいものをちゃんと選ぶことの方が大事なのだ。
タミラはこのことを、何か人生の指針のように感じることもある。
が、今のところこのコツにピッタリと当てはまるような状況になったことはなかった。
だから、結局これは「野宿の際に焚き火をつけるためのコツ」でしかない。
それにタミラにはもうひとつ「金持ちになる」という絶対的な人生の指針があったから、そんな感慨はこういった現場を離れると、それはそれですぐに忘れてしまう。
しかしそのことを思うとタミラはいつも
「私、お金持ちになりたいのに、なんでこんな事をしているんだろう」
と、自身の矛盾を考えずにはいられなかった。
タミラは火を起こしながら考える。
でも、答えなんて初めから決まっていた。それは、タミラが飛行機に乗るのが何よりも好きだったからに他ならない。
だから、タミラの頭には常に「飛行機乗りをしながら、お金持ちになる」という選択肢しかなかった。
そして、それは世間的に見たらやはり矛盾している。
飛行機乗りというのは、確かに手に職だが、決して大金が手に入るような職業ではない。どちらかと言えば、好きでやっている、趣味的な職業と言っていい。
確かに余程のことがない限り貧乏はしないだろうが、それ以上でもそれ以下でもなく、体力的にもキツイ仕事だ。とても、金持ちになりたい女性がやる仕事ではなかった。
しかし。
そんな中、タミラは見つけたのである。
一発逆転を狙える方法、それを可能にしそうな男を。
それがナーウッド・ロックマンだった。
古代遺跡専門のトレジャーハンター。
過去にあった「古代研究禁止令」という法律のせいで、まだまだ研究の進んでいない分野に手を伸ばし、学生時代から目覚ましい発掘成果を上げている新進気鋭の考古学者。
そして今は、その発掘の成果を法外な値段で学者やコレクター、はたまた博物館へ売りつけることでも有名な男。だから、それが気に入らない学者連からは「泥棒」「墓あらし」などと揶揄され、大学関係の仕事からは半ば永久に追放されているのだが、ナーウッド自身は別に金なんてどうでもよくて、全てはタミラの指示だった。
タミラは飛行機に乗りながら大金が欲しかったし、ナーウッドはより多くの遺跡を回るために腕の良い飛行機乗りが必要だった。それにナーウッドにしてみれば自分が例え、影で何と呼ばれようと貴重な歴史的資料がちゃんと研究者や蒐集家、博物館などに収められ大事に保存されていくなら、なんでもよかったのである。
こうして二人の利害は見事に一致した。
辺りは真っ暗になった。
タミラは無事に焚き火を安定されることに成功すると、懐から細長いタバコを取り出し、ライターで火をつける。そして、煙を深く、ゆっくり吸い込むと、ふーっと夜空にむけて派手に吐き出した。
「うまいなぁ……」
タミラは思わずそう漏らした。
この仕事の、こういう瞬間だけは格別だと言わざるを得ない。
上を見上げると一番星が輝き出し、遺跡から少し離れたこの茂みの中は昼間と違ってとても涼しい。風が吹くとちゃんと草木の臭いがして、耳を澄ますと付近をそっと歩いている草食動物達の足音や、草を食む音などが微かに聞こえ、そんな動物達の営みの中に自分も溶け込んだような気持ちにさせられる……そんな気持ちにさせられてしまっては、金儲けの勘定だとか、キツイ仕事だとかの小さな考えはどこかへと行ってしまう。
「ほんと、そうそう両方うまくはいかないものね」
タミラはいつものようにそう思うと、もう一回タバコを咥え吸った。そして、今度はポケットからスキットルを取り出し強い酒を一口飲む。喉の奥がピリピリと熱くなるような酒だ。タミラはこれを飲むとよく眠れるのだ。こんな焚き火を燃やしたまま、放置して寝てもいいのかと思うが、それは大丈夫だった。案外、ちゃんと消えずに保つのである。それに、やはりこんなところではさすがのタミラも朝までぐっすりとはいかない。それも計算にいれての一口だった。
「さて、あとは果報を寝て待ちますかね……」
しばらく火を眺めたタミラはそう言うと、おもむろに立ち上がり伸びをする。そして、寝袋を広げると焚き火の近くで横になった。なんとなくだが、今日はよく眠れそうだ。
「それにしても……ミニスさんにキミさん、あの人達も大変ねぇ。ちょっと嫌だけど、お宝が見つかったら、あの子達にも分前をあげようかしら……一割くらい」
目を瞑りながらタミラは柄にもないことを考えた。しかし、この考えは一晩経てば忘れしまうだろう。タミラはいつもそうなのだ。寝る前に考えたことなど、すぐに忘れてしまう。
眠気が襲ってきた。
草の臭いや星の光、焚き火の温かい感触も意識の中を遠ざかって行く。やっぱりそうだ、今日はよく眠れそう。そう思った次の瞬間にはタミラはもう眠りの中に落ちてしまっていた……
が、そのすぐ後、タミラは遠くからした微かな話し声に目を覚ました。
夢ではないのはすぐにわかった。一瞬、背中にヒヤッとしたものが走ったが、気をしっかりと持ち、素早く寝袋から出、立ち上がる。
「……ナーウッド達の声じゃないわね……」
その確信はあったが一応念のため、茂みの影から顔を覗かせ、声のしたアスカ遺跡の方を伺う。
するとそこには、見える限り三人の人影があり、そして灯りを持ったその影は
「えーっ!?ちょっと、なんで?アストリア兵じゃない!」
ということだった。
そのことを認めると、タミラは慎重かつ大胆に焚き火を砂で消す。幸い、飛行機を停めたこの茂みは遺跡からは離れていたから、発見されるには至らなかったが、あのまま火を燃やし続けていたら発見は時間の問題だっただろう。
こうすることで逆に肉食動物に襲われる危険性は増したが、アストリア兵に見つかるよりはマシだ。いや、肉食獣も相当嫌だが…なんにせよ、際どいタイミングだった。
「クッソー……全然気が付かなかったわ…飛行機の音も車の音もしなかったし。たぶん、やつらかなり遠くに停めてそこから歩いてここまで来たのね。慎重な奴ら……油断ならないわね」
タミラはそう思いつつ、向こうの会話に耳を傾ける。すると、最初はよく聞き取れなかった声が、だんだんと慣れてきたのか、その内容もはっきりと聞き取れるようになってきた。
一人の兵士の男が言う。
「本当にここだろうな?入口が見当たらないわりに、誰もいないが」
と。たぶん、隊長格の男だろう。遺跡を指差しながら何やら部下に言っている。ということは三人編成のチームかしら? それならナーウッドがいれば何とかあるかも。タミラがそう思っていると、部下の方が
「はい。確かにここのはずです。飛行機の目撃情報から推測すると、その方角にはこの遺跡しかありませんでしたので」
と言う。
その言葉を聞いてタミラは
「えっ!?嘘っ!もしかしてつけられたのは私達の方!?」
と驚く。
タミラは心のどこかで、ミニス達がつけられていたのではと疑っていたのだ。
しかし、それは間違いだったらしいとわかり、タミラは申し訳なさから、益々二人に分前をあげたくなった。
タミラは苦々しい顔をする。すると、今度はもう一人の方の兵士が
「こういう時こそ専門家に聞いてみるべきです。待っていてくだざい。今呼んで来ますから」
と言い、どこかへと消えた。それを見てタミラは
「せ、専門家?」
と思う。もう嫌な予感しかしなかった。
なにせ、彼の言っているのが「遺跡の専門家」だとしたら、狭い業界だ。絶対に知り合いに決まっている。そして、この業界に仲の良い知り合いなんて、ほとんどいない。特にナーウッドは目立つ存在だったので、なおさら敵が多かった。
「まさか……あいつじゃないわよね…」
タミラは幾分うんざりしながら、その兵士が消えていった方向を見つめる。すると、やがてはっきりとした声で
「なんだい、君達は入り口も見つけられないのかい?仕方ないなぁ。ま、僕にかかれば、すぐに見つかるさ」
と完全に聞き覚えのある声が聞こえてきたので、彼女は力なくガックリと肩を落とした。
「ほ、本当に出た……あのナーウッドの追っかけ野郎…」
タミラはそれ以上言葉にならなかった。
そして、そんなことを思い、気落ちしている場合でもないとわかっていたのだが、ついその顔を確認せずにもいられなかった。その憎たらしい顔を。
「お、ここかい?あー、なるほどね。これは封印型だね…うーん、僕の趣味じゃないよ。狭いし、服が汚れちゃうしね」
さらに数人の兵士を伴い、そう言って遺跡を見回すとその男は、ふいにこちらの方へ顔を向ける。
それにタミラは素早く顔を引っ込めた。
しかし、一瞬見えた、暗いブロンドの髪をキレイに撫でつけた優男。本当に遺跡に潜る気があるのかという、高級ブランド物のズボンとシャツ……もう間違いなかった。
その男の名はロサーリオ・ベットーレ。
年間で一番稼ぐという、名うてのトレジャーハンター。
そして、それはいつもナーウッドの獲物を横取りしているからという、タミラ名づけて「ナーウッド大好き横取り男」。
「ベットーレのやつ……今度はアストリアに取り入ったってか…相変わらず、調子がいいというか、世渡りの上手なやつ…」
タミラが茂みの影でそう思っていると、ベットーレが
「ま、ここに入ったのだとしたら、きっと帰りも同じ所から出てくるでしょう。それを待つのもよし、少し進むのもよし。とにかく、焦ることはありませんよ。必ず依頼の物は手に入れます。それよりも……」
と言って、また辺りを見回した。そして、続けて
「この近くにタミラ女史という相棒がいるはずです。そちらを捕まえておいた方が後々、面倒にならずに済むと思いますよ」
と、言ったのでタミラはギクッとした。
「あの、野郎っ……」
あまりの憎たらしさにタミラは歯噛みしたが、プライドなど今は邪魔になるだけだった。
彼女は素早く立ち上がり、地面を蹴る。
そして、勢い良く飛行機に駆け寄り乗り込むと、ベルトを付ける暇も惜しんでエンジンを始動させた。
静かな草原にけたたましいエンジン音が鳴り響く。
エンジンは昼間の暑さのお陰で、もう行けそうだった。だから、タミラはクラッチを踏む。そして、すかさずスロットルをフルに入れた。
すると、飛行機は勢い良く茂みを突き破り、草原に躍り出た。
タミラの愛機、コスモ重工製二人乗り飛行機807型 《セブンス》だ。
重厚な羽と胴体を持つ、大型の機体。しかし、エンジンの出力は凄まじく、機動性でもその辺の戦闘機に引けを取らない。ただ、的が大きいのはいかんともしがたいが。それに滑走にそれなりの長さを要する。しかし、それでもこの機体の良さを買って、タミラは愛機にしていた。あとは腕でカバーだ。
「ちっ、大丈夫、まだ間に合う…」
タミラはこちらに気が付き、迫ってくる兵士を横目で確認しながらスロットルを入れ続ける。きっと、静かに夜を過ごしていた動物達を怖がらせることにはなってしまっただろうが、それも仕方なかった。今、ここでベットーレに捕まるのだけは嫌だったし、それではナーウッドに合わせる顔がない。それに、もしそんなことになったらナーウッドに違約金を払わなければならないじゃないか。それだけは死んでも嫌だった。
「あと少し……」
微妙に翼が浮力を得始めた。しかし、敵もこちらに向け、使い捨てのロケットランチャーのようなものを取り出し、こちらの離陸を狙おうとしている。
もう、一か八かだ。タミラはギリギリのタイミングで操縦桿を思い切り引いた。
すると、機体は勢い良く夜空へと登って行き、その横すれすれをロケットランチャーの弾が通過して行った。
冷や汗ものだ。第二撃はないようだった。
それでもタミラは、なるべく距離を取ろうとアスカ遺跡からどんどん離れていく。なにせ、相手の装備がわからないのだ。迂闊に反撃はできない。それにあちらにベットーレが付いているのなら尚更だ。きっと、あのロケットランチャーもベットーレが用意させていたに違いない。ほんと、つくづく私とナーウッドの後ろばかりをついてくる変なやつ……そうタミラは思っていた。そして、
「でも、あれじゃあ本当に戻れそうにないわね……ごめんね、ナーウッド。それにミニスさん、キミさん。あとは何とかしてね」
とそれは認めるしかなかったから、心の中で舌を出し、そう皆におちゃめに謝っておいた。
「はははは、やっぱりいましたね、タミラ女史。最近すっかり遺跡嫌いになっちゃって。僕と気が合いそうなのに、いや、惜しいね」
タミラの飛行機が飛び去っていくのを見ながら、ベットーレはとても楽しそうに笑う。その様子を6人の兵士は訝しげに見ていたが、そのうちの隊長格の男が、
「よろしかったのでしょうか?逃がしてしまって」
と聞いた。すると、ベットーレは向き直り
「いいですよ。いなくなってさえくれれば。タミラ女史がいると、なにせ、おっかないですからね。それにナーウッドに逃げるチャンスを与えかねません。今回は失敗は許されないのでしょう?あなた方の恐い上司が言っていたじゃないですか。でも、これ以上はやることはありません。あとは、ナーウッドがいつも通り、無事に物を持って帰ってきてくれることを祈りましょう。そして、それを僕達がいただく。手を汚さない、楽な仕事といきましょう」
と答える。そして、どこからか折りたたみの椅子を持ってくると、それに優雅に腰掛け、
「だから、まずはコーヒーです。コーヒーを淹れてください」
と、取り巻きの兵士に言ったのだった。
ーー「こ、殺す……?」
そう驚く、ミニスの声が広場にこだました。
殺すとは物騒な響きだ。
しかし、キミの目は何を考えているのかわからないほど、冷たく輝いていたし、ナーウッドの目も真剣そのものだった。だから、二人共冗談で言っているのではないことぐらいはすぐにわかった。
三人の間に緊張の糸がピンと張り詰める。
でも、それに乗っかっては話がややこしくなりそうだったので、ここはミニスが
「た、確かにラシェットさんに届いた手紙には、もし生きていたら殺してくれとは書いてあったみたいだけど、でも、ナーウッドさんはサマルさんのお友達でしょう? それも、とっても仲の良い友達。なのに、いくら本人のお願いだからって、殺すだなんて……」
と、なんとかその場の空気を取り繕おうと頑張ったが、ナーウッドは
「友達だからこそだ。友達だからこそ、俺はあいつの望みは叶えてやりたいんだ。たとえ、どんな手を使ってでもな……」
と言う。その言葉には融通のきかない頑固な感じが滲み出ていた。だからミニスは
「あ、そう……」
と言って、引き下がる。なんとも情けない話だが、この感じのナーウッドには近寄りがたい雰囲気すらあるのだ。それはちょうどこの間の夜みたいな表情だった。
しかし、キミはそんなことには構いもせず
「あなた、さっき私の言わんとしていること、運命のこと、可能性のこと、なんとなくわかったって言ったじゃない。あれは嘘だったの?」
と聞く。その迫力もなかなかのものだった。これもキミがショットと対峙した時の表情に似ている。そう思うとミニスは益々傍観者になるしかなかった。ナーウッドはキミの言葉に眉を動かして言う。
「それとこれとは話は別だ。確かに俺は今まで、たった一本の道のみが、運命を変える道だと信じてきた。しかし、それは間違いかもしれないことを知った。全ては可能性の問題だと。そこに至る過程は如何様にもできるし、道は決して一つではない。運命は常に動いていて、そしてそれはいつも自分の目の前にある。だから、運命とは本当は自分で切り開き、歩いても行けるものだと。だがな……俺の至りたい結論は一緒というか、一つしかない。それは変わらないんだ……」
「それは、サマルさんが死んでいなくなる世界のこと?」
スープの入ったカップを手に、じっとランタンを見つめながら話すナーウッドに、キミは問いかけた。それにナーウッドは、ゆっくり
「ああ」
と答える。
「でも、正確に言えば少し違う。俺とサマルの望みは「サマル一人だけがキレイにすっぽりといなくなる世界」だ」
「サマルさん一人だけが?」
それにはミニスも聞いた。
「そ、そんな簡単に……」
ミニスが言いかけると、キミが
「やっぱり。あなた何もわかってないじゃない」
ときっぱりと言ったので、ミニスは黙る。なんか、本当に蚊帳の外だなと思いつつも、ミニスはナーウッドを見た。
「何がわかっていないと言うんだ」
「色々。でも、一番わかってないのは運命や可能性というものが、必ず「連鎖するもの」だということかしら…だから、サマルさん一人が死ねばいいなんてことには絶対にならないわ。その影響は一人の死には止まらない。人が死ぬということは、多くの運命や可能性を引き連れて死ぬということなのよ」
そうキミは言う。しかし、ナーウッドは
「なるほど?だがな、俺はその影響こそ引き出したいんだ。そして、それはサマル自身の死によってのみもたらされる。これは、他でもないサマルがそう俺に言ったんだ。だから俺はサマルとの約束は必ず守る。ラシェットやリッツのように、サマルを裏切ったりはしない」
と答え、考えを変えようとはしなかった。
「……ラシェットがサマルさんを生かそうと、助けようとしているから裏切り者だと言うの?」
キミが聞く、それにナーウッドは曖昧にだが、頷く。
「ああ。あいつらこそ、俺以上に何もわかっちゃいない…サマルがどんな気持ちでいるのか、あいつがなんで俺達3人にこんなお願いをしたのかをな」
「……ふーん」
そこまで聞くとキミは黙って、スープを飲んだ。そのことで、ほんの少しだけだが、場の緊張が緩められたような気がする。それにミニスが、ほっとしたのもつかの間、またキミが
「何か、あなたも真面目というか、なんというか…やっぱり間が抜けてるのかしら」
と呟いたから、ドキッとする。でも、キミは続けて
「ねぇ、サマルさんも助かって、同じ結果になるよう頑張ってみるつもりはないわけ?それこそあなたの手で運命を切り拓くように」
とナーウッドに向けて言った。さらにキミは
「少なくとも、ラシェットはそうしようとしているわ」
と、付け加えたからナーウッドは苦笑するしかなかった。
「……俺だって、一瞬そう考えなかったわけじゃないんだぜ? でもな、キミさん。俺は俺で、やっぱりサマルの言っていることをないがしろにはできないって決めたんだ。だって、そうだろ?俺はサマルのことを友達だと思っているし、決して嘘はつかない奴だとも思ってる。だから、他の奴らはどう動こうと、俺だけはあいつの意に沿って動きたいんだ」
ナーウッドはキミの目を見て言った。そして、それは掛け値なしのナーウッドの本心だった。ナーウッドだって辛くないわけはない。ただ、真剣さのベクトルが他の皆とは違うだけで、その思いの純粋さは同じのように思われた。
「うーん……つまり、あなたはラシェットやリッツのやろうとしていることは、容認してもいいと思うようになったけれど、あくまで自分のやろうと思っていることは曲げないつもりなのね?」
だから、そうわかるとキミは困ってしまった。ナーウッドの決意は物騒なもので、ラシェットの思いとは正反対のものだが、その目の光を見る限り、どこか悪い予感というものがしてこない。いくら守人の力を行使したところで、やはり見える未来は不透明なものだし、完全に互いを理解できたりなどしないのだ。キミは判断に迷った。
ナーウッドが口を開く。
「ああ、そう通りだ。だから、キミさん……理解はできなくても、今だけは力を貸して欲しい。せめて、いざという時の備えはなくちゃダメなんだ。そして、それはこの遺跡に眠っているかもしれないんだ」
「……」
その言葉にキミは考え込むように黙った。だから、ここは自分がと、ミニスが
「備え? 備えって何?」
と聞く。それに対してのナーウッドの答えは
「それは、今は言えない。でも、絶対に必要になるものなんだ。この約束を果たすためには」
と何とも煮え切らないものだった。
それに、頬を掻くミニス。「どうも、私が口を挟んでも無駄みたいね……」と。すると、何やら考えていたキミが顔を上げ、
「……約束を果たす。それって、サマルさんを殺すってことよね?」
と言う。
「つまり、ナーウッドさん。あなたは世界中の遺跡を巡って、サマルさんを殺すための武器、もしくはその手段を探しているの?」
「あっ!」
ミニスは驚いた。
ナーウッドの顔にはまた強い、殺気の影が滲む。でも、すぐにそれを引っ込め、諦めたように
「そうだ。キミさんの言う通り、俺はサマルに依頼され、それをずっと探している」
と言った。
ミニスは益々、驚く。と、それと同時にある疑問が浮かんできたので
「え?ちょっと待って。手段ってどういうこと? そんな「手段」とかを用意しないとサマルさんは死ねないって、まさかそういうこと?じゃあ、サマルさんは自殺するって言っていたけど、自殺なんてできないってことじゃない!?」
と思わず大声で言ってしまった。
広場にミニスの高い声がこだまする。それはやがて、闇に吸い込まれて消えた。
スープはもうすっかり冷めてしまっていた。でも、ミニスの体は熱くなったり、寒くなったり忙しかった。ラシェット・クロードの件に関わっている人達はみんな、わけのわからない隠し事ばかりしている。ミニスはそう思う。
ミニスの言葉が闇に吸い込まれていっても、それ以上誰一人口を開く者はいなかった。
ミニスは堪り兼ねて何度も口を開きかけたが、何とか我慢した。ここはやはりナーウッドの言葉を待つしかない。でないと、自分たちは自信を持って前に進むことができなくなると思われた。
ーー広場に吹くはずのない、風が吹いたような気がした。すると、
「サマルはな……死ねない体になっちまったんだ……それに、もう元のサマルじゃなくなっているかもしれない…」
しばらく後、ナーウッドは絞り出すようにそう漏らした。
それは、とても聞き取り難いくらい小さな声だったが、この静かな空間ではよく聞き取れた。でも、ナーウッドは二人に疑問を挟まれるよりも前に、
「全部、全部俺のせいなんだ……だから、頼む。俺にチャンスをくれ。サマルを救ってやれるチャンスを」
と言い、深々と頭を下げたから、もうミニスも、そしてキミもこれ以上聞いても何も話してはくれないだろうとわかってしまった。
それに、これ以上のことは信頼の問題だった。
まだまだ、会ったばかりなのにここまで話してくれた、そう思うことにしようと。全てを知って、それで風通しがよくなるということばかりではないのだ。全てを聞いてしまって、それでかえってギクシャクしてしまうこともある。あとは適度に信頼をし合うしかない。特に、こんな遺跡の中では尚更だ。ここでは、絶対に三人の協力が必要不可欠なのだから。
「わかったわ」
やがてキミが言った。
それにナーウッドが無言の眼差しで答える。
「あなたの目、悪い目じゃないもの。お互いの友達との約束のため、頑張るしかないわ。たとえ、矛盾した協力関係だとしてもね」
「そうね。結局、それしかないわね」
「…………ありがとう、キミさん、ミニスさん」
ナーウッドはまた頭を下げ、二人に礼を言った。
それは、力を貸してくれることへの感謝と、これ以上聞かないでいてくれたことに対しての礼だった。
三人は話が終わると、景気づけだと言って、ビスケットも食べた。そして、ナーウッドがまたまた隠し持っていたインスタントコーヒーを奪い取り、それも飲んだ。
そして、朝4時までと決めて、眠りについた。
全員バックやリュックを枕にしての地面でのごろ寝だ。
しかし、意外にも眠りは早くやってきた。
それは慣れない場所のはずなのに、この場所が妙に落ち着くからだった。
ミニス、キミの順番で眠った。最後まで眠れなかったのは慣れているはずのナーウッドだった。
そして、それはいつも目を瞑ると思い出してしまう、遺跡調査での仲間達との楽しい日々とその後の悲劇が彼の頭の中に消えない傷のように焼き付き、ぐるぐると駆け巡っていたからだった……