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砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第2章 動く人達編
41/136

追跡 1

時刻は午後10時を回っていた。


トカゲは、無事にラシェット・クロードがアストリア軍サウストリア基地に収容されるのを見届けると、気づかれないようにその場を離れた。


そして、一息つく間もなく、今日新たに移ったホテルの自室へと戻る。


さすがに、少し息を切らしていた。


トカゲは街中を、大通りは通らず路地ばかりを選び歩く。


このサウストリアの街はどこも綺麗に整備され、清掃も行き届いたよい所だったが、さすがに路地裏までは違っていた。

そこにはどの都市でも共通の、あのじめじめとした暗さと、鼻をつく匂いが満ち、まるで人生や人の営みの裏側を見せられているような、そんな風景が続いていた。


「ほんと、やれやれですねぇ……」

トカゲは疲れた声で言う。


確かに、そこを通るのはある種の感覚の麻痺が要求された。だが、トカゲはその久しぶりの感覚に、どこか居心地の悪さを感じずにはいられなかった。


本来ならこういう感覚の場所こそ、自分の居場所のはずなのに……


トカゲは不思議に思った。

そして考える。

これは歓迎すべき変化なのだろうか? と。


……いや。

やはりこれは、仕事をする上では捨てなければならない変化なのだ。それは汚い裏の仕事を長年やってきたトカゲにはわかりきっていたことだった。

悲しいかなトカゲはそういう星の下に生まれてきた男なのかもしれない。

しかし、そう悟った瞬間


「はぁ、仕方ないんですかねぇ……」


と、さすがにため息をつかずにはいられなかった。


たった一年ばかりの間ではあるが、トカゲはボートバルの街中を大手を振って歩くことができていた。

それだけではない。入ろうと思えば、路面の喫茶店にも、花屋にも、デパートにも自由に入ることができたし、道を歩く軍人や警察官の気配を気にする必要すらなかった。


そんなことはトカゲの長い人生において、絶えてないことだった。だから、トカゲはその当たり前の幸せを噛みしめるように、ボートバルでの日々を楽しんだ。


それもこれも、あの我が新しい主、リッツの庇護があったからこそである。そういった生活を送りながらトカゲは、だんだんと、あの真っ直ぐで繊細な王子に、深い感謝の念を抱くようになっていった。


もちろん、リッツが自分に何かしらの利用価値があると見込んで自分を助け、保護してくれていることは分かっている。でも、トカゲにとってみれば、どんな理由であろうと自分と人並みに接してくれる雇い主というのは初めてだったし、なによりも普段のリッツの優しさに触れ、心惹かれていた。


トカゲはリッツの元で働くことを「嬉しい」と思った。そんな感情すら、思い出すまでは忘れしまっていた。

だから、トカゲはあの新しい主の望みを是非叶えてあげたいと強く思った。そのためなら、どんな危ない橋も渡るし、罪も犯そうと。でも、リッツにはそんなことは言っていない。言ったらきっと、そんな考え方には反対されるだろうと思ったからだった。


リッツにはそういう甘さがある。


完全に人を利用し切れないのだ。


それは長所でもあり、短所でもあった。だから、トカゲはリッツのその短所の部分を埋めるべく行動を開始した。そして、今こんな街の路地を歩いているのである。


トカゲはそこまで考えると改めて、仕方ない諦めようと思った。


全ては、自分を助けてくれたリッツの為。

そのためには、また臭い路地裏でもなんでも歩こう。そう決めたのは他でもない自分自身なのだ。

ボートバルでの日々がたとえ偽りの平穏だったのだとしても、その世界を垣間見せてくれたリッツ・ボートバルへの感謝の気持ちは変わらなかった。


だからもう、覚悟はできた。


トカゲはすばやく移動し、路地の途切れ目に出ると、そこから顔を覗かせ、左右を確認する。そして、兵がいないと見るや気配を消し去り、道端の石ころにでもなった気持ちで俯きながら通りを歩いた。トカゲは心の中で


「やはり、アストリア兵に顔を見られたのは失敗でしたねぇ」

と呟く。


もし、あの中に昔の自分を知っているやつがいたら、ショットの耳に情報が入るのは時間の問題だろう。そんな心配が頭をよぎる。それもこれも、自分がラシェットに出し抜かれ、手紙を入手できなかったのがいけないのだ。それを考えると、トカゲは悔しさと同時に妙に嬉しい気持ちになり


「しかし、相変わらず一筋縄ではいかない方でしたねぇ。ラシェットさんは。おかげで、こんな有様ですよ」


と、楽しげにほくそ笑んだ。トカゲはなぜか、リッツの「敵」とも言えるラシェットに合う度に、不思議な親近感を募らせていたのだ。それは今思えば、あのラシェットの話す雰囲気が、どこかリッツと重なる部分があるからなのかもしれない。

でも、決して油断できない男ではある。


やはり、ラシェット・クロードがグランスール砂漠で撃墜され行方不明だという情報が入った時、すぐにボートバルを発った自分の判断は、間違いではなかったのだ。

よもや、死んではいまいと思ったが、まさか約束を反古にするだけでなく、さらに手紙まで隠していたとは。事前に調査した彼の性格とは、かなり違った行動なため、そこまでは予測できなかったが、念のために網を張っていて良かったというところか。


だが……もし仮に砂漠で、ラシェットが死んでいたとしたら、例のリッツが見た未来とやらにどのような影響があったのだろうか。


トカゲはふと思った。

しかし、いくら考えたところで、その答えはサマルさんにしかわからないはずだし、とにかくラシェットは無事に生還を果たしているのだ。

きっと、そういう運命しか敷かれていなかったのだろう。


そうでなければ、もしかしたら今までとは異なる新しい運命の手にラシェット・クロードは委ねられてしまったということになる。


だとしたら、由々しき事態である。


トカゲは表情を硬くした。

ここで計画を狂わされるわけにはいかない。なんとしてもラシェットにはショットに接触してもらい、あの手紙は回収してしまわなければ。でなければ、リッツさんの見た通り、サマルさんの未来は変えられないということになってしまう……


とりあえず、ラシェットのことはうまくいったのだ。だから次は……


「次は、あの小娘です」


トカゲは決意を新たに呟く。

そして、少し遠くに見える高級ホテルと黄色く輝く月をちらっと見上げ、帰路を急いだ。



自室に辿り着きドアを閉めると、トカゲはやっと安心することができた。

一応、部屋の中を見渡す。

ここにアストリア兵が来ていないところを見ると、どうやら自分にはまだ時間が残されているらしい。すると


「ん、トカゲさん。思ったよりも遅いおかえりだね」


と、窓辺から声がした。そこには自分が雇った部下であるペンギンという、これまた薄気味悪い男が、双眼鏡を片手にこちらに手を挙げ、挨拶をしている姿があった。

「はい、思ったよりも手こずりまして。クックック、で、ペンさん、そちらの方はどうです?」

トカゲはそう言うとペンギンの方へ近づいて行く。

 

 彼の「ペンギン」という名前はトカゲ同様、コードネームだ。もちろん、本名など知らない。もしかしたら、そんなものは最初からないのかもしれないが、まぁ、いずれにせよ、裏の世界の人間は互いの経歴さえわかれば余計な詮索はしないものだ。

トカゲはペンギンの経歴をよく知っているからなおさらだ。


ペンギンは、そのふざけたコードネームからか、アストリアではそこそこ名の通った「何でも屋」だった。

その可愛らしいコードネームと、ぽっちゃりした小柄な体からは想像できないが、彼は暗殺や誘拐、放火、強盗、スパイなどを得意とし、果ては運転手から犬の散歩まで、裏の仕事を数々こなしてきたベテラン仕事人なのだ。


その証拠に、よく近づいて見てみると、その鋭い目つきと乾いた薄い唇、そして散髪もせずに伸ばしっぱなしにしている黒い髪がどことなく真っ当な世界の人間ではないこと感じさせる。


トカゲとペンギンは昔、一緒に仕事をしたことがあり、旧知の仲だった。だから、その実力と人柄も知っていたので、昨夜、今回のこの仕事に彼を雇い入れたのだ。もちろん、このことはリッツには話していない。全くのトカゲの独断だった。


「うーん、いや全然ダメそうだよ。一応、僕の知り合いの二人を送り込んでおいたけど、あのホテルはセキュリティーレベルが高くて、あの部屋にいられる限り、とてもじゃないけど仕事はできそうにないや。ましてや、穏便にでしょ?ここはおとなしく、その娘がホテルから出てくるのを待った方がいいよ」


ペンギンは困り顔で言った。それを聞いてトカゲもちょっと困り顔になる。

「そうですかー。うーん、弱りましたねぇ」

トカゲはそう漏らす。


もう時間があまりないのだ。早く小娘から情報を引き出さなければならないのに、悠長に待ってなどいられない。しかし、一方でこのペンギンという男は、決していいかげんな調査から、そういう報告をするような男ではないことはわかっていた。だから彼が待てといえば、おそらく待つのが得策なのだ。


「ちょっと、貸してみてください」

そう言ってトカゲはペンギンから双眼鏡を借りて、向かいのホテルの一室を眺める。


そこがラシェットの連れの小娘がいる部屋だった。


部屋の中の様子は、完全にカーテンが閉じられているため、伺い知ることはできなかったが、まだ点いている明かりと、時折動く小さな影から、そこにまだ小娘が残っていることだけはわかった。

しかし、それだけだ。ここで見張っていても娘の情報は入って来ない。


やはり、あの娘が自発的にラシェットさんの危機を察し、ホテルから出てくるのを待つしかないということですかねぇ……


トカゲは双眼鏡から目を離すと、ふとポケットにしまっていた2通の手紙のことを思い出した。そして、それについても考えを巡らせる。

 一通はリッツがサマルさんを見つけ出すために是非必要な手紙だった。といっても、リッツと我々だけでは、実際に見つけ出すことはできないかもしれない。

なぜならサマルさんを見つけ出すことは、ラシェットの役割だからだ。

しかし、最後にはこの手紙が必要になる時が来るらしい。詳しいことはわからなかったが、とにかくこの手紙は早いところリッツの元へ届けなければならない。


問題はもう一通の方の手紙である。聞けばこれはアリ大統領からリッツへの親書であるというではないか。なぜそんなものをラシェットが持っていたかは不明だがつい、勢いで持ってきてしまった。

これの扱いはどうするべきか。

トカゲは悩んでいた。

一番簡単な方法は、何も考えずに燃やしてしまうことだろう。そうすれば、とりあえずもう悩まずに済む。しかし、そんなことは素人でも、中学生でもできることだ。もっと、自分達のために活かせる方法はないものか……


ここはひとつ、読んで内容を確かめてみるという手もある。


トカゲは手紙を見下ろした。

しかし、そんなことをするくらいなら、いっそリッツに読んでもらい判断してもらった方が良い考えを示してくれるのではないか。そうトカゲは思いなおし、手紙を2通とも、またポケットにしまった。

それに、もし仮にあの手紙を回収できなかった時、このアリ大統領の親書が役に立つかもしれない……

トカゲはそうも思った。


「どうかしたのか?」

ボーっと考えていたトカゲを見てペンギンがそう言った。

「いいえ。ちょっと考え事をしてました。クックック、ところで、ペンさん」

「ん?」

トカゲはペンギンの方へ向き直った。

「あなたのお知り合いというお二人は今はどこで見張っているんです?」

「ああ、それなら、一人は同じ階の部屋で、もう一人はロビーにいるよ」

ペンギンはそう答える。それを聞いてトカゲはうんと頷き

「わかりました。ではそのまま引き続き、見張りをお願いします。私は急ぎの用事ができましたので、少しまた出てきます。もし、何か動きがありましたら無線でお知らせください。くれぐれも暗号化をお忘れなく」

と言うと、再びドアの方へ歩いて行った。ペンギンはそれを見送りながら


「わかったよ。任せてくれ。でも、あんたのそのタキシードに仕込んである、なんだっけ?あの光学なんちゃらってやつを使ってくれれば、仕事もすぐ終わるんだけどなぁ」


と言った。それを聞くとトカゲは


「クックック、これはものすごく電気を食うんですよ。だから一日、陽に当てても数分しか動かないんです。いやぁ、いくらすごい技術といっても弱点はあるものなんですねぇ。クックック、ではあとは、よろしくお願いします」


と笑いながら言った。

そして、そっとドアを開けると静かにその場を後にした。




その丁度同じ頃、高級ホテルの部屋に一人残されたキミは


「まったく、遅いわねぇ。なにやってるのかしらラシェットったら」


と、痺れを切らした様子でベッドに横になり、枕を抱きかかえていた。


「もう、待ちくたびれちゃったわ」


キミはそう吐き捨てる。

キミはラースでラシェットにあたらしく買ってもらった、すべすべのパジャマを着ていた。これを買うときラシェットは「こんなのは、子供が着るには贅沢過ぎる」と言って反対したが、キミはどうしてもこれを着て寝てみたいと聞かず、ついに根負けして買ってもらったのだった。

そして、着てみると思っていた通り気持ちがいい。こんなものは砂漠にはなかったものだ。

「ふふ。やっぱり買ってもらって正解だったわ」

とキミは思った。でも、それについて一緒に話してくれる人がいないのをつまらなくも感じた。きっと、ラシェットがいたら似合ってるねとか、可愛いよとか、なんとか言ってくれたに違いない。


「……ラシェット、大丈夫かしら?」


ふとそんな不安が頭をよぎった。


ラシェットがここを出て行ってから、かれこれ3時間以上経っている。まだ、遅すぎるということはないが、少し心配になってくる時間帯ではあった。それに、どうもこの街についてから不吉な予感が頭にこびりついて離れない。それは初めは小さな予感だったが、だんだんと大きな予感に変わりつつあり、現在もむくむくと膨らみ続けていた。


「……もう、寝よ」

キミは明かりをつけたまま、枕を顔に押し当て眠る姿勢になる。


ラシェットは信じて待てと言ったのだ。

だから、信じて待つしかない。

そうキミは思ったのだ。


ラシェットのことだ。どうせあと二時間もすれば戻ってくるだろう。

それまで、ここで大人しく寝ていよう。そうすれば、次に目覚めた時にはもうラシェットは帰ってきているはずだ。

そう思い、キミは浅い眠りに就いた。

頭の中ではまだ、エンジンとプロペラの音が聞こえていた。でも、それが今は調度いい具合に作用し、キミを眠りに誘っていった。


………………


しかし、その二時間後、キミは目が覚めてしまった。


しかもそこにラシェットの姿はなかった。時刻は午前0時半。


「いくらなんでも、遅すぎるわね」


キミはそう思った。額には少し汗を掻いている。嫌な夢でも見ていたのだろうか。でも、そんなことはひとつも覚えていなかった。


キミはベッドからガバっと起き上がると、着ていたパジャマをぽいっぽいっと脱ぎ捨てた。そして、クローゼットまで行くと中から、これまた新しく買ってもらったブルージーンズを取り出して穿き、肌着と白いシャツを取り出して着た。


そこまでをほんの40秒程度で終わらせると、キミはサングラスを掛け、スニーカーを履く。そして、自分のバックの中にルームキーを入れたのを確認すると、おもむろに部屋を出た。


ちらっちらっと左右を確認する。

さすがに深夜のためか、廊下にはエレベーターの前に立つガードマンしか人は見当たらなかった。


「もし、ラシェットの身に何かが起きたのだとしたら、ここにも誰かがいるはずだわ」


キミはそう思った。そしてこう考えていた。


「まずは、そいつから事情を聞いてやる」と。


キミはエレベーターを使い一階へ降りた。

そして、広々としたロビーへと出る。


そこは、カウンターバーとカフェが深夜も営業しているためか、意外と人で賑わっていた。

キミはそれを横目に出口に向けてゆっくりと歩く。そうして様子を見ていたが、あからさまに自分のことを見ている人間が多過ぎて、どれが怪しい人物なのかは判別できなかった。

それはそうだ。こんな夜中に、高級ホテルのロビーを一人でうろつく少女など、そうそういない。でも、これではキミの思惑どおり、探りを入れることはできそうになかったので、思い切って街に出てみることにした。


しかし、外に出ようと回転扉の前まで来たところで


「失礼ですが、お嬢様。こんな時間にお一人で外に出られては危険ですよ」


と親切なガードマンに止められてしまった。だから、キミは咄嗟に

「ご心配ありがとうございます。でも、すぐそこまでお父様が迎えに来ているんです。ですので、大丈夫です。どうぞここを通してください」

といつになく柔らかい声で言った。しかし、咄嗟のこととは言え、内心「父と待ち合わせ」と口にしてしまったことに対し、少し心が痛んだ。

すると、ガードマンはその言い分に困ってしまい、

「そうですか。しかし、そこまでが心配です。よければ、そちらまで私がお送りしましょうか?」

と言う。

今度はキミが困ってしまった。

この親切なガードマンには悪いが、今そんなことをされても邪魔なだけなのだ。なんとかして、一人で出してもらわなければ。

「いいえ。せっかくですが大丈夫です。いつものことですので、そうご心配なさらずに。それに持ち場を離れられては他の皆様にも悪いですから。どうぞお気になさらず……」

「いや、しかし……」

ガードマンがそう言おうとした、その時


「では、私がそこまでお送りいたしましょう」


と後ろから声がした。


そこにはスーツを着た人の良さそうな初老の紳士が立っていた。紳士は白髪混じりのグレーの頭に、口ひげを生やしている。

それを見るや、ガードマンは

「おお、本当ですか?いや、それはありがたい」

と口にした。

そして、次にキミを見て、

「お嬢様、この方が送ってくださるとのことです。いやぁ、よかったですね」

とキミの気持ちをまるで無視するかのように言う。しかし、今となってはそちらの方が都合がいいので

「はい。では、そういうことならお言葉に甘えて」

と言い、この紳士の提案を受け入れることにした。



ホテルのロビーを後にして、少し歩くと紳士がキミに

「お父様はどちらでお待ちなのですか?」

と聞いてきた。だから

「ううん。ごめんなさい。あれは嘘なの」

と言った。

「ただ、ちょっと外で遊びたかっただけ。だから、もうおじさんも私のことは気にしないで。ここまで来ればあとは大丈夫だから」

キミは笑っていった。すると紳士も笑いながら


「はい。そうですね。確かに、ここまで来ればもう大丈夫です」


と言い、立ち止まった。


それをキミは振り返って見る。


紳士と目が合った。


しかし、その目は先ほどまでの優しそうな目とは打って変わり、とても冷たく鋭かった。


「どういうことかしら?」

キミはサングラスを外し、身構えて言う。


「なにが大丈夫なの?」

キミが聞くと、紳士はふんっと笑い、


「のこのこ出てきてくれて、手間が省けたということだよ、お嬢さん?それに今なら手柄を独り占めできるから、なお良い。感謝するよ」

と言った。


「ふーん」


キミは興味なさそうに呟いた。


「ということは、他にも何人かいるのね?あなたみたいな人が。それで、あなたたちはラシェットを追ってきた人達なわけ?ラシェットはどうしたの?」


キミは単刀直入に聞いた。

すると、紳士はニヤッと笑い


「ははは、なるほど。私はまんまとお嬢さんに釣られたというわけか。いやはや、なかなか度胸があるお嬢さんだ。気に入ったよ。でも、それはあなたが知る必要のないことだ。だから、お話をするのはお嬢さんの方なんだよ?ひどい目に遭いたくなければね」


とキミを脅してきた。

さっきまでの紳士的な顔は、もう原形をとどめていなかった。男はじりじりとキミに近づいてくる。


「あっそ。話す気はないのね?わかったわ。じゃあ、無理矢理聞かせてもらうだけよ」


キミがあくまで涼しげにそう言うと、男は痺れを切らしたのか


「いいねぇ。どうやって無理矢理聞きだすのかな?」


と、キミの腕を捕まえにきた。

それをキミは必死に避けるが、相手はプロだ。逃げられるはずはなかった。

すぐに片手を掴まれてしまった。


「痛いわねっ!離しなさいよっ!」

キミは言う。しかし、いくら暴れても離してくれそうにはなかった。

「ははは、さぁどうするのかな?それとも、やっぱり素直におじさんの言うことを聞いてくれる気になったかな?」

そう言うと男はさも愉快そうにキミの顔を覗き込んだ。

キミはその顔をキッと睨みつける。

男と目が合った。


「お?お嬢さん、よく見ると珍しい目の色してるねぇ。それに、かなりの美形だ。これは売ったら高く売れそう……」


そう言おうとしたが、男の言葉は途中で途切れてしまった。


キミはなおも男の目を睨み続ける。


すると、だんだんと男の目の焦点が定まらなくなり、どこか遠くを見ているようなそんな目になってきた。


キミの腕を掴んでいた手の力も徐々に抜けてきている。


キミが怒りのままに睨み続けること30秒あまり、あっという間に男の表情はなくなってしまった。


それを確認すると、キミは

「痛いから、その手を離して」

と言った。

すると、なんと男はすぐに手を離し、

「はっ、失礼しましたっ」

とキミの前で姿勢を正したのだ。


「あなた名前は?」


「はいっ。ロウレン・ムルアと申します。しかし、仲間からはシュナウザーと呼ばれていました」


男は気をつけの姿勢のまま、きびきびと答える。

キミは痛めた腕を摩りながら

「シュナウザー?犬の名前じゃない。そんなの犬が可愛そうよ。もっと適当な名前でいいわ。そうね……よしっ、今からあなたの名前はヒゲよ。ヒゲ。いいわね?」

と言った。それを聞くとさすがに一瞬、不満そうな顔をしたヒゲだったが、直立不動の体勢のまま

「了解いたしましたっ」

と言った。


キミはその姿をちょっと、堅苦しかったかなと思う。どうやら、ラシェットの軍人時代の話を聞くうちに、こういうイメージが頭の中で強くなってしまったために、こんな軍人の仕草になってしまったようだった。


「はぁ、ま。いっか」

キミはそう思った。


そして


「じゃあ、ヒゲさん、まずはあなたの知っていることを全部、洗いざらい話してもらうわよ?いいわね?」


とキミは腰に手を当てて、きっぱりと命令したのだった。



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