姫様来訪5日目 4
前話の後書きで書いた『春奈による「手術」』が始まります・・・・・
宮崎邸の風呂場は1階の真中にあった。
花火大会も大好評のうちに終わり、一緒に風呂に入ろうと約束した美月と春奈は階段を降りて行く間も無駄話をしていた。彼女らの前を藤田が歩いている。
「春奈ちゃん、大変だね。お風呂に入るにも護衛の人が付くんだね」
「まあ、慣れたけどね。トイレもそうだよ」
「それは嫌だ。まさか・・・」
「いや、さすがに外で待っているよ。多少は気を利かせて距離は取ってくれているよね?藤田さん?」
「ええ、職務上ぎりぎりの範囲内ですが」
「ね。そんな事まで気にしていたら、生きていけないよ」
「春奈ちゃん、あんたは偉いよ。その神経の太さを少しは分けて欲しいわ」
「ははは、慣れだよ、慣れ。それにもっとすごい女性を知っているし」
彼女達の話題は警護員マンゴー酒争奪花火大会の話になっていった。
「藤田さんのギャグって下らなくて好きですよ」
「そうそう、最後の反則と短足の言い間違いネタは必殺だね」
「実話ですよ」
「え、まさか? 自衛隊ではそんな言い間違いをする人でも務まるんですか?」
「中学校時代の話をアレンジしただけですよ」
「女性にモテる人って、話術が大切らしいね」
「分かる、分かる。真剣な顔でアレを言われたらイチコロね」
「うん、絶対に噴き出すよね。あ、駄目。また思い出しちゃった。しばらく藤田さんの真剣な顔を見たら、笑っちゃうかも」
笑い出した二人を引き離すように藤田は足を早めた。風呂場の中を素早く点検する。窓から外を確認してから、二人と入れ違いに廊下で立ったまま警備に就いた。
何が楽しいのか、彼女達の笑い声が外まで聞えてくる。藤田は溜息をついた。特製マンゴー酒を獲得した代償は大きかった。
美月は春奈の背中を流して上げながら、春奈の背中に数本の薄い痣が浮かんでいる事に気付いた。肩甲骨の上下に水平の二本、肩甲骨上に垂直に二本が辛うじて判別出来た。
「春奈ちゃん、最近重い物を担いだ? うっすらと跡が付いているよ」
「それは無視して。気にしなくて良いよ」
「そう? なら良いけど」
そう言われても気になる。改めて彼女の背中を見詰める。
何となく指でその痣をなぞってしまった。春奈が素っ頓狂な声を上げた。
「な、何をするの?」
「ちょっと、待って」
美月には指の感触に違和感があった。予想に反して硬い。
そう言えば、さっき背中を洗って上げた時にもかすかな違和感があった。両手の指を全て背中に付けて押してみた。返ってきた感触は脂肪分があまり無い筋肉のそれだった。同い年とは思えないほど華奢だと思っていたが、その背中は鍛え上げられていた。
「春奈ちゃん、何かスポーツをしてる?」
「剣道をしているよ。我が家は全員が剣道を嗜むの。と言っても、私が嗜んでいるのは真剣を使った実戦形式の独特のものだけど」
「どこが独特なの? それとも秘密?」
「詳しくは分かんないけど、こっちに来てから編み出した太刀筋で、本来の剣道とは少し違うみたい。なんせ『双剣士』たるおばあ様が始めた剣術だから。友達の守優紀さんも習いに来てるよ」
「春香様が始めたって・・・ もしかしてあの伝説の剣術?」
「うん、そうだよ。使いこなせる人はいまだに数人しか居ないけどね。そうそう、我が家に来たら家宝の日本刀を見せて上げる」
「にほんとうって何? 初めて聞いた名前」
「日本で作られた刀の事。実用性はあまり無いけどきれいよ。春香おばあ様の形見なの。小さい頃に父親からもらったんだって。武士の家系だったのかな? そこら辺は詳しく知らないの。もしかしたら優紀さんに聞いたら判るかも知れないけど」
「いつか見たいな。春香様に所縁の有る物って、滅多に見れないもの」
「うん、是非とも見に来て。でも、その前にそろそろ背中をモミモミするのは止めてね」
「あ、ごめん。他人の背中って初めて見たから、ついつい」
「さ、交代、交代」
二人がお風呂から上がったのは1時間後だった。藤田達警護員の平均入浴時間の6倍だった。彼らはこの後に交代で入る予定だった。
そして、風呂場から出て来た春奈は開口一番にいきなり謝った。
「ご免なさい。この後、どなたが一番先に入ります?」
「ダントンですよ。どうかしたんですか?」
「悪ふざけのし過ぎで、湯船が石鹸の泡だらけなの・・・」
「良いですよ、言っておきます」
「ありがとうございます。さ、美月ちゃん、部屋に戻ろっか?」
「そうだね。あ、その前におやつを確保して行くから、先に戻ってて」
「了解」
美月がお菓子を抱えて部屋に入った時には、春奈はベッドの上でノートに何かを書いていた。皮表紙を使った、かなり立派なノートだった。
「何? 何書いてるの?」
「ん、日記だよ」
「ちょっと、見せてもらって良い?」
「うーんと、ダメ。でも今日の分を一緒に書く?」
春奈は書きかけのページだけを見せてくれた。まだ4行ほどしか書かれていないページは、昼のバーベキューでの出来事が途中まで書かれていた。
『・・・・・・。宮崎のおじ様にも好評で安心。太郎様もヨウちゃんの為に肉を切ったりして益々軟化中。』
「やっぱり、水中散歩と美月ちゃんのプリプリ水着は外せないよね」
「私のはナシにして、ね? ね?」
「そしたら、このスペースに水着のイラストを描いてもらおうかな?」
「それならOK」
美月のイラストは意外と上手だった。マンガチックだが水着の特徴を捉えており、春奈の記憶と合致した。
「上手いね。ついでに私のも横に描いて」
「いいよ。こうなってて、そして、ここはこんなのだったね」
美月が書いた春奈の水着姿は先ほどのイラストと違って、妙に写実的だった。
「わ、すごい。よく覚えているね?」
「見たのは今日で二回目だもん。それに自慢じゃないけど、記憶力には自信があるの。どうしても忘れたく無いものは、教科書でも一度見たら忘れない裏技も有るし」
「でも、それってマンガを読んでも一回しか楽しめないって事じゃない?」
「記憶のコツっていうのが有って、長く記憶したいものと忘れたいものを、見たり読んだりする時に仕分けをするの。忘れたくないものを見たままで記憶するから重宝するけど、調子に乗って一気に記憶すると、頭痛がするのであまり使わないけどね。だからマンガはしばらくすると忘れるから何度も楽しめるのよ。でもさすがに3回も読んだら、忘れられなくなるけどね」
「ふーん、すごいねー」
春奈はそう答えながら、天然の能力者という結論の補足材料として認識した。最後の記憶法は『インド人の記憶力』とは明らかに違う。
春香の日記に出て来る言い回しに、記憶力が特別に良い人物を彼女はそう表現していた。別の日付ではラミス人にもその『インド人』の血が混じっているかもと書いてあった。春奈は見た事が無いがよほど優秀な人種なのだろう。
そして、美月が今説明した事は春奈もたまに使う記憶方法の初歩だった。彼女の場合は更にプロテクトを掛ける手間など、より高度であったが、自分で開発した美月も中々であった。
彼女達は知らなかったが、彼女達が使っている記憶固定法はサヴァン症候群を擬似的に起こす危険な方法であった。『インド人の記憶力』はあくまでも通常の記憶力であって、彼女達の様に脳の特殊性に依存する記憶法は人類の通常の記憶方法ではなかった。
彼女達は記憶方法を選択出来て、関連付けも可能な為に本来の意味でのサヴァン症候群では無いが、下手をすると脳内の連動が取れなくなって弊害が出てしまう方法だった。
春奈は美月の追い込みに入る事にした。
「そうそう、水の中のお魚さんを13匹も見つけた方法って、どうやったの?」
「あれはね、視覚をいじるの。口では上手く説明出来ないけど、小さい時にひょんな事から目の前の風景から色を抜く方法を知ったの。それから色々と試していたら、水面の反射を消す方法を発見したわけ。まあ、あまり役に立たないけどね」
「いやいや、立派だよ。自分で能力を開発出来る人ってほとんど居ないよ」
「え、ケリュク保持者が大なり小なり、皆が持っている力じゃないの?」
「ううん。ほとんどの人はそんな力を持ってないよ。能力を持っている人は警察なり自衛隊なりで職務上の必要により教えてもらった人よ。例えば、一緒に来ている警護員の人達がそうね。だって、能力は国家機密だから。ラミス王国にも出来るだけ知られない様に神経を使っているの。残念ながら美月ちゃんは今後、市の監視下に置かれる事になるわ」
美月は自分の顔から血の気が引いていくのを実感した。
自分の置かれた立場が想像を超えた状況に入ってしまっている事に気付いたのだ。
「だから、これからの暮らしは少しだけ窮屈になるはずよ」
「そんな・・・。だって、そんな事は知らなかったんだから・・・・」
「まあ、仕方が無いよ。私も監視下に置かれているけど、慣れればどうって無いよ」
春奈は簡単に自分の立場を説明した。
それによると、彼女に付いて来た警察と自衛隊の警護員は警護目的もあるが、監視団としての役割もあると云う事だった。
確かに春奈のような人物を野放しにするほど市は甘くなかった。
孫とは言え、現市長の祖父は、警護と同時に監視を付けられる様に、自ら市警察と自衛隊に春奈の滞在予定を申告していた。
「どうしよう? 毎日誰かに監視されていると思っただけで、普通の生活が出来なくなる・・・・。ねえ、何とかならないの?」
「うーん、それは無理と思うよ。だって、一度発見した能力者は徹底的に監視する必要が有るからね。例えば、拉致されたり悪用されたりする可能性があるもの。それに、美月ちゃんはもう監視対象になっているし。私が掴んだだけで十数人がこの村の周りに居たよ」
美月は自分には退路が無い事を悟った。春奈はしれっと言ったが、彼女なら造作もなく監視に気付くだろうし、慣れているから無視も出来るだろう。
だが、普通の女の子にとって常に監視されていると思う事は耐えられない。一歩も外に出ない生活をする事は考えられないし、外に出れば監視の目が気になる。うつむいた美月の目に入っているのはベッドのカバーシーツだけだった。思考が落ち着かなかった。
春奈は美月が状況を呑み込む時間を与えずに言葉をつないだ。
「そこで提案だけど、我が家に来ない?」
美月はのろのろと春奈の顔を見た。春奈の表情は真剣だった。
「監視下に置かれる者同士、仲良くしましょう」
「え、今、何て言ったの?」
「関根家に来ないか? と言ったの。今からだとぎりぎり新学期から一緒に小学校に登校出来るわ」
美月は信じられない様な、信じたい様な気持ちで訊いた。
「そんな事、出来るの? いえ、して良いの?」
「普通は無理ね。でもね、私の方で根回しをしておいたから大丈夫と思うよ」
美月は何とか事態を理解しようとした。
『能力』、『監視対象』、『関根家』、『転校』
言葉を頭の中で整列させる。
『能力』 知らない間に禁断の道に入っていた様だった。国家機密という言葉が自分の人生に割り込んで来るとは考えた事も無かった。
『監視対象』 逃れる方法は無さそうだった。しかもいつからかも分からないくらいに巧妙に監視されていた事に恐怖を感じた。
『関根家』 春奈と一緒に居られる事はかえって良いかも知れない。春奈が何を見て、何を考えているのかを知れば、もっと仲良くなれるかもしれない。魅力的な申し入れだった。
『転校』 一番厄介な問題だった。母親との約束に反してしまう。しかも自分の存在意義が無くなってしまう。
「無理だわ。私、お母様と約束したの。お父様とお兄様の面倒を見ないといけない。二人を置いて行けない」
「良ければ、お母様がなんと言ったか教えてくれる?」
春奈の声は優しかった。美月は春奈にすがりつく様に、この三年の間彼女を守って来た言葉を語った。
「お母様は亡くなる2時間前に『美月、お父さんとお兄ちゃんをお願い』って私に言ったの。だから頑張れてきたの。今更、忘れるなんて無理」
「そう。本当に家族の事が分かっていたお母様ね」
「どういう意味?」
美月は不思議そうな顔をして、春奈の目を見詰めた。
自分の顔が、虹彩さえも真っ黒な瞳に映っていた。
『綺麗な目・・・・・・・』
その反射率の高さから、室内に在る“ロウソク”の光が瞳のあちらこちらで輝いていた・・・・・
如何でしたでしょうか?
mrtkの記憶では、瞳の色が薄い程、暗い中でもよく見える、という話を聞いた事が有ります。
まあ、常識的に考えて、薄い色の瞳の方が外界の光を通すのですから当然と言えば当然な気もします。
となれば、黒い瞳孔+茶色い虹彩を持つアジア系の方が暗い状況では不利なんですが、瞳全体が真っ黒な春奈さんは、もっと不便なんでしょうね(^^)
あ、そうそう、虹彩と瞳孔の反射率ですが、自分の瞳孔で試した限りでは虹彩の方が低い結果でした。だから多分正解の筈・・・ 違っていたらごめんなさい(^^;)




