chapter 8
8
話はミランダがプロスペロとの出会いまで遡る。
エアリエル・ペロの競技種目の一種〝クローバ〟はシングルス・マルチサケード競技である。つまり、一対一で、複数機のエアリエルを装備可能な競技なのだ。
ミランダは、しかし練習機を一機だけステイ。
相手の白衣男――プロスペロと自称した――は、見慣れぬ青銅色のエアリエルを五機ステイさせる。
五機というは、通常ありえない。
非常に優れた意識領域を有するマルチプレゼンタですら、三機が限度だ。それ以上はむしろ足かせとなり、一機々々のスムースな機動を損なう。そこまで意識が回らないのだ。
二人は浮上する。その高度、およそ五メータ。
三十メータほどの間隔で対峙する。
ミランダは懐疑的な視線をプロスペロに向ける。
「ワンポイントでよろしくて。こっちは練習メニューを終わらせたばかりなの」
「構わんよ。サーブ一本で終わる」
「終わる――。自分の負けで終わるってことかしら――ッ」
思わせぶりだらけの陰気な男に目がけて、ミランダはサーブを打った。
エアリエル・ペロは世界一危険な球技といわれている。エアリエルを使った空中戦もさることながら、エアリエルをラケットに打たれるボールの速度は、通常のストロークで時速三百メータに達し、最速クラスのファースト・サーブならば、時速四百メータすら超えるからだ。
ミランダが放ったサーブは、ランク上位のプロですらサービスエースを狙える絶好球。
しかし――、
「なんですって……」
陰気な男は、四機のエアリエル――1機は自分の足場だ――を使い、超高速のボールを空中で花びらを摘まむようにとめて見せたのだ。
四機のエアリエルの先端に挟まれて、ミランダのボールが徐々に回転する力を押さえられる。ほどなくして、ぴたりと動きをやめた。
「ルール上、キャッチされたボールはどちらのポイントになるのだろうか」皮肉のつもりだろう、男は眼鏡を直して言う。
「世界大会のルールブックにだって載ってないわ。ありえないもの」ミランダは顔を引きつらせて笑う。そのまま、エアリエルに搭乗したまま男に寄った。
「合格だろうか」男は言う。
「あなた何者。えっと――」
「プロスペロ」
「ええ、ミスタ・プロスペロ」
「差し支えなければ、ドクタと呼んでもらいたい」
「ドクタ・プロスペロ。わたしになにをして欲しいの」
「煤掃除だ」
「比喩表現はやめて。そういうの苦手なの。わかるでしょう」
「プレースタイルどおりだな」陰気な男、改めドクタ・プロスペロは要求する。「君に戦ってもらい相手がいる」
「強いのね」ミランダがにっと口の端を持ち上げる。
「少なくとも、いままで君が戦ってきた相手のだれよりも」
「あなたよりも」
ドクタ・プロスペロは、すぐには答えなかった。
「その点も含めて、君に協力いただきたいのだよ」
「オーケイ。その青銅色したとっておきを使って、どんな相手も負かしてやるわ」
「いいや。君に任せたいのは、これより上位の機体だ」
「嬉しい限り。涙が出ちゃう」ミランダがおどける。「それじゃあ、こちらかも一つ条件を提示してもよろしくて」
「できる限りは協力するが」
その条件が意外だったのか、プロスペロはわずかに表情に驚きの色をみせた。
「ふん。よろしい。契約成立だ」
ミランダにとっての祝福は、すなわち試練である。
強い相手をただひたすら求めていた。
次元の壁を飛び越えて探していた。
そうしているうちに、たった数年でいつのまにか世界の頂に達していた。
ものたりない。
乾きと疼きが、彼女を苛立たせた。
その織に登場したプロスペロはまさに祝福を運んだ、それこそ天使である。
ミランダに与えられた祝福の一つは、ヴェロナ事件を引き起こした張本人であり、いまだイノヴェーションズの手をかいくぐり続ける赤の魔女、灰炎のジュリエットとの対決であった。
「ドクタ・プロスペロ、感謝するわ。こんな祝福ははじめてよ」
声をかけられたプロスペロは、小さく頷いた。
「さて、初手は見せたわ。ここからが白銀のエアリエルの真骨頂よ。いきなさい、チャイルド」
ミランダのかけ声に反応して、白銀のエアリエルの腹部の一部から拳大の端末が発艦する。全部で八機。チャイルドと呼ばれる小型のエアリエルは、ここが定位置とばかりに等間隔で銀河舞踏会を包囲した。まるで熱烈なファンからアイドルを守る警備員のようだ。
「チャイルドはバイオネットワークを介して、戦況をダイレクトに操主へ送るの。これが青銅のエアリエルすら上回る制空支配能力の秘訣よ」ミランダが自慢げに説明する。
「さすがミランダちゃん。そんな高度な情報処理をやってのけるなんてね。それも滞在するだけで頭脳に多大な負荷を強いる銀河舞踏会でさ」
「さあ、わたしを楽しませなさい。飛び道具が貴女にあるのならねっ」
「あるさ。ご期待にお応えっ」
挑発されたから、というわけではなく、ジュリエットはあらかじめ構築していた遠距離攻撃スピルを仕掛けた。これまで彼女は、プライベートな魔法しか使えなかった。ベータ版のフレイムワークはいわばスタンドアロンであり、正式兵装版ならばアーカイヴに公開されたパブリックな魔法の使用を可能にする。
ジュリエットはミュセドーラス=アマダイン・モードを介して、未来と通信した。
「行け、〈Hハープーン〉垂直対地砲」
ジュリエットは右腕を横凪に半円を描く。そのなにもない空間から、焔の矢が五本出現。
さらに、
「アーンド〈Vハープーン〉水平対地砲」
ボールを蹴飛ばすように、足を高く振り抜く。つり上げらた魚のように、空間から上空向きの焔の矢が出現。
「撃てぇ」
対人水平発射砲と、垂直発射型降下砲のスピルである。その名のとおり、対地攻撃を目的に開発された、水平に方向に射貫く〈Hハープーン〉と、一度上空に打ち上げてから地上の敵機に目がけて強襲する〈Vハープーン〉である。
空を飛ぶ手段のないジュリエットは、ミランダに高度をとられたらやっかいだ。彼女が低空軌道にいるうちに片をつけるか、上昇する頭を押さえるしかない。
ジュリエットの初手は、その両方を同時に攻めた。
正面と上空から逃げ場なし――、がミランダには通じない。
「遅すぎよっ」
ミランダは白銀のエアリエルに搭乗したまま突撃。
ジュリエットの水平矢に着弾する直前、エアリエルの速力を利用してカタパルトのように自分自身を射出して〈Hハープーン〉を飛び越える。エアリエルは、急ブレーキとピッチアップをしたのち、すかさずピッチダウンして地を這うよう急速飛行をして焔の矢を回避した。〝バックルターン〟と呼ばれるマニューバである。
実戦で通常使われない、ミランダの神業レベルの曲芸飛行によって、彼女のはるか後方で焔の矢が着弾。
白銀のエアリエルは空中で主人をキャッチ。
その勢いのまま直進。
ミランダはエアリエルの底面に装着したブレードで、ジュリエットを踏み叩きつけた。
ジュリエットはこれを〈焔のレーピア〉で受け止め、鍔迫り合いになる。さすがに、『焔の剣、ジュリエット・レーピア(ハート)』と決めポーズをしている暇はなかった。
「ホント遅い、灰炎の――。せっかくの反応速度も、スピルがぜんぜん追いついてないじゃあない」
「ええいっ」ジュリエットが力任せに押し返す。ミランダはあざ笑うように、また距離をとった。
彼女の指摘のとおり、ジュリエットの反射神経はけしてミランダに劣らない。だが、正式兵装版といえど調整中の武装で、ミランダほどの高速戦闘に対応するスピルを持ち合わせていなかった。
苦戦するジュリエットを知ってか知らずか、お気楽調子のパックの実況が会場に響く。
「すさまじい攻防戦だー。ジュリジュリはあたらしい魔法を駆使するも、ミラミラはさらに上をゆく。物理的にも」
「白銀のエアリエルが青銅のエアリエルの上位機種なのは、カタログに記載可能なスペックよりも、むしろ実験的な運動能力向上機であることだ。むろん、チャイルドすら手なずけるミランダがプレゼンタであればこそだが」自然と解説をするプロスペロ。
「仮にですが、ジュリジュリに勝機があるとすれば、どのような戦法がありましょうか」
パックが押しつけるマイクを、プロスペロがみごとなスウェーで回避する。
「奴のことだ。窮地窮地に追い込まれるほど、オリジナルのスピルを見せるに違いない。だが、それこそミランダが上を行く」
「物理的に」パックがツッコミ待ちで顔を寄せる。プロスペロはあえて無視した。
「言いたいことはわかるよ。でもさ」ジュリエットは呼吸を整えて言う。「いつものぼくは知らない相手と戦って、相手はこっちを研究して対策を練ってくる。でも今回ばかりはその逆だ。ぼくはずっとずーと、きみらがぼくを知るより、ぼくはミランダちゃんを知っている」
「挽回の策でもあるのかしら。そういうの、こちらこそ飽き飽きなのよねッ」
「たとえば、防御一辺倒の戦術とか」
ジュリエットが碧眼をきらりと輝かせると、ミランダがわずかに眉をひそめる。
「つまらないことやってくれないで」
「どうことですか、メガネさん」
「世界ランク一位のミランダは、世界一戦術を研究されるプレーヤだ。あらゆる攻略法を挑まれ、それでも彼女はすべてを撥ね除け、無敗を貫く。しかし唯一有効策といわれているのが、徹底した防御戦術といわれている」
プロスペロが導入部を話し、同意見のジュリエットが解説を続けた。
「近年、珍しくミランダちゃんが3ゲームも落としたセットがあった。この対戦相手がとった戦法がガッチガチの防御重視。苛烈に攻めれば攻めるほど、ミランダちゃんは倍の威力で攻め帰してくるから、あえて試合ペースをスローにして防御を固めたんだ。ミランダちゃんは持ち味をぜんぜん出せなかったんだ。まあ勝ったけど」
「そうね。つまらない試合だったわ」
「ぼくも似たようなタイプだからわかるよ。ランアンドガンこそ、エアリエル・ペロだ」
「だったら、せいぜい激しく打ち合いましょう」
言葉どおり、ミランダが上空から激しい閃光を嵐のように打ち続ける。だたし、『打ち合う』ことはなく、ジュリエットはピンヒールブーストを点火させ、舞台を大きく一方的に逃げ回った。
「博士。少尉。隅っこに隠れてて」ジュリエットはエアリエルの迫撃砲の嵐のなか、仲間を気遣うも、
「これ以上どうしろって――」博士は壁際で、後頭部を守りながら伏せている。
「ジュリエット嬢」駿河少尉が叫ぶ。
ジュリエットは駿河に向かって、人差し指を耳に当てて合図した。
「駿河少尉、君も伏せて」観月はもう一度呼ぶ。「少尉」
「大丈夫。ジュリエット嬢には、やはり策があるようです。両耳を塞いでおきましょう」
駿河少尉が察するとおり、ジュリエットはただ逃げ回っているだけではなかった。
終わりのないミランダの激攻の前には、ジュリエットはキャストタイムすら与えられなかった。だから、ジュリエットは無作為に逃げるように見せかけて、一定の場所にばかり通過して罠を仕掛けていた。
座標に固定するタイプのスピル。
「逃げ回ってばかりね。灰炎の――」
ジュリエットが急ブレーキを掛ける。
ヒールと床の接点から火花が散った。
「いっけー」ジュリエットは拳を固め、ストレートのように強く突き出す。「密集砲撃、〈ファランクス〉」
しかし――、
「読んでいたさ」プロスペロが独り言つ。
ばこん、という鈍い音がした。
ジュリエットの頭が跳ね上がる。彼女は、一瞬理解できなかった。なぜか視界が天井に変わっていて、冷徹な瞳のプロスペロが自分を見下ろしていた。その視界の片隅で、エアリエル・ペロのボールを認識する。
「しまっ、た……」
ジュリエットは理解した。
これはエアリエルによる攻撃情報・サンダストローク通信による殺傷力のある砲撃ではなく、『ただ高速なボールがアッパーカットのように顎を直撃した』だけだ。
正式兵装版のフレイムワークには、一定の力に対して障壁を展開するオートランの防御スピル〈バックファイア〉が備わっている。しかし、ぶつかって怪我をする程度の力には反応しない。
盲点をつかれた。
この一瞬を見逃すミランダではない。
事実、すでに彼女はジュリエットに手が届く距離に迫っていた。
勝機――。
だれもが試合終了のコールを耳にした……、がそれはとんでもない幻聴だった。
聞こえたのは、むしろ雑音。
銀河舞踏会の観覧席を占めるイノヴェーションズの面々が、みな眉をひそめて耳を塞いだ。彼らの鼓膜を不愉快に刺激したのは、ジュリエットの『とんでもなく音を外した歌声』だった。
間近で食らったミランダが一番の被害者。エアリエルの操縦を誤り、ジュリエットを通り越して床を強烈な勢いですっころんでいった。もはやギャグ漫画としか言えないような転けっぷりで、それはもう、ズコーっと……。
「な……、なんなの」全身打撲のミランダが、痛む躰を押して振り返る。
「やだなぁ、もう。ぼくの美声じゃあないかぁ。ぼへぇ~」ジュリエットは、アメリカンホームコメディのパパ役がやりそうな『やれやれ』な感じで肩を竦めた。
「そういえばジュリエットって、とんでもなく歌がド下手クソだったよな……」観月の額に大きな汗の雫が一つ。
「しかし、ただのド下手くそではありません」冷静な駿河少尉の指摘。「三半規管を狂わせるほどのド下手くそです」
もちろん、ジュリエットは魔法によって、〝自称美声〟を拡声したうえミランダに指向して脳を震わせた。しかし、彼女だからこそ過敏に反応してしまう理由もあったのだ。
「ミランダちゃんの最大の強さの秘訣は、超人的な身体能力でもなければ不屈の精神力でもなく、エアリエルの超絶技巧ですらない。実はここ」ジュリエットは赤毛を耳にかける。「聴覚だ」
ミランダは、先天的に身体能力を強化した〈フィア・ノウ・モア〉や、あるいは電子・工学的に拡張身体を獲得した〈ムーンライトセレネード〉の住人よりも聴覚が優れている。可聴周波数の広さと、最小可聴値のレベル。優れた夜行性の猛禽類と同様、彼女はその聴覚によって相手の行動を先読みできるのだ。
エアリエルの作動音や、ボールの打撃音の微妙な差異。あるいは無意識的なプレイヤの舌打ちさえもミランダの観測範囲内。これによってミランダは、ボールの軌道はもとより、対戦相手が〝動くまえの初期動作〟すら知覚可能なのである。
そんな彼女にとって、ジュリエットが発した〝強烈な歌声〟は、まさに天敵であった。
「名付けて、美声拡声器〈ピンク・アンプリファイヤ〉。どう、酔いしれちゃった。『酔うなら乗るな、乗るなら酔うな』ってね」
ジュリエットがにこっと笑ってから表情を戻す。
「さあて、いっちょやりますか。狙うはシャンデリア――。いや、本命を一直線だ。集え、狂熱の焔」
呼ばれた光がジュリエットの拳に集中する。
すると生まれる、彼女の新たな焔の矢。
「銀河の衝突。スター・ラヴバケーション」
二本指で銃を作ると、蓄えた大量の焔を解き放った。
向かう先は、〝氷結の焔塊〟――。
「行って、エアリエル」
白銀のエアリエルが、〝氷結の焔塊に〟の間に入り、高速回転しながら光学系の障壁を展開。
エアリエルにジュリエットの決め技が衝突した。だが、受け止め切れたのはほんの数瞬にしか過ぎない。
粉々に砕け散るエアリエル。
〝氷結の焔塊〟への衝突は不可避――、がイノヴェーションズは抜かりなく、仕込み罠を用意していた。ハムレットら〈ムーンライトセレネード〉が配備した〝アマデウスの楯〟である。
目映い光を放ち、エアリエルの何倍も分厚い光学系シールドが展開した。
衝撃力を光エナジーに変換して威力を殺す。
やがて閃光は弾け、会場を揺るがした。
厚い黒煙が支配する。その雲がゆっくりと晴れると、変わぬ様子で〝氷結の焔塊〟が鎮座していた。ロメオとロザラインを閉ざしたまま……。
「ふんすっ。やっぱりそうだよね。なんの策もしないわけがない」ジュリエットが鼻から息を噴射する。
「恋人に向かって躊躇無く発砲するとは」ハムレットは立ち上がる。「いやすまない。恋人という設定の男、だったな」
「どーも。剣の王子様は皮肉の切れ味も最高だ」ジュリエットは腰に両手を当てるポーズ。
「今宵はよい余興だった。異種格闘技戦とはいえ、まさか灰炎のジュリエットの前には、銀盤の天使も煤まみれ、か」ハムレットはおきまりの台詞で締めくくる。「トラフィックコンジェション。撤退する」




