第4話 長安の学童
司馬章と孫操備は、天理討伐に必要な思超家を求め、思超堂へと足を踏み出す。
思超堂
長安南部にそびえ立つ巨大な蔵書の館であり、あらゆる思想家がここに集う。
あらゆる学問の書が保管されており、多くの学者がいた。
右を向けば熱い議論を行う者。
左を向けば清談を行う者。
前を向けば読書に励む者。
数多の学者が、この「長安の学童」の空気を楽しんでいた。
「ここが思超堂か……想像していた以上に大きいな」
「当然さ。ここは“長安の学童”だからね。思超家だけじゃなくて、普通の学者もいる。というか、そっちが大半だ」
孫操備が答えた。
よく見ると、この場で思超家らしき人間は一人もいない。
皆、何かの学者であるかのようだった。
二人は堂内へと足を踏み入れた。
高く伸びる柱、天井近くまで積み上げられた戸棚、行き交う学者たちの清談の声。
歩くだけでも知恵を得たような気分だ。
司馬章は少し前を歩き、戸棚の蔵書に触れる。
論語、史記、春秋、詩経、漢書、孫子、荘子、荀子、墨子、韓非子…
思想の垣根を超えた、あらゆる学問の書が立ち並ぶ。
司馬章の目に光が差し込む。
司馬章は手に取った「論語」を開こうとした。
「何してるんだ、司馬章」
操備の声で司馬章は我に返り、「論語」を閉じた。
操備が後ろで待っている。
彼は司馬章の表情を見ると、少しニヤついた顔をした。
「気持ちは十分分かるが、まずはこっちだ」
「ハハ…すまん…」
「おや、お久しぶりですな。操備殿」
数名の学者が足を止め、声をかけてきた。
思超堂の学者は、思想の異なる者とも友好的に交わる。
変に他派と正面から対立するより、清談などの自由な議論を通して知恵を深める方が得だからだ。
それ故に、ここは自由な学問が保証され、「長安の学童」と呼ばれている。
「こんにちは、皆さん」
操備が挨拶を返す。
学者の一人が、もう一人の存在に気がついた。
「おや……そちらの方は?」
「炎を探求する思想家にして、炎を操る思超家・司馬章です」
「どうも」
司馬章が一礼する。
学者たちは一瞬の沈黙ののち、何かに気づいたようにざわめいた。
学者の一人が彼に問う。
「……ということは、君はあの司馬典殿の縁者か?」
「……はい。孫にあたります」
「そうか、そうか。司馬典殿はよくこの堂に足を運ばれてね。何度も我々と議論を重ねたものだ」
彼らは和やかな喜びを出す。
司馬典と聞いた瞬間から、全員が緩やかな笑顔になっていた。
もう一人が訊く。
「最近はどうかね。ご健在であったかな?」
司馬章は言葉に詰まった。
「亡くなりました」と告げるべきだと頭では理解している。
だが、彼らの語り口から、祖父がどれほど深い親交を結んでいたかが痛いほど伝わってきた。
「祖父は……」
(また、じいちゃんに会えると……楽しみにしていたのかもしれない。それでも……)
「……亡くなりました」
「!」「!」「!」「!」
学者たちは、その一言に言葉を失った。
涙は流れない。
だが、衝撃と悲しみを、眼が露わにしていた。
「……そう、か……それは……」
彼らは皆、司馬章よりも年長であった。
かつて彼も大切な者を失った。
その記憶を胸に呼び起こしたのだ。
だが同時に、相手を気遣い、言葉を選びながら告げたであろう。
そんな彼の心中を察していた。
堂内に、しばし静かな沈黙が流れた。
それは悲しみではなく、追悼を意味する沈黙であった。
「ところで……司馬章殿は、どういう理由でここへ?」
一人の学者が、そっと話題を変える。
司馬章は、また言葉に詰まった。
ここに来た真の目的…祖父を殺された復讐のためだとは、どうしても言えなかった。
それを口にすれば、先ほどの話と結びつき、場の空気をさらに重くしてしまう。
「……旅をしてます。その道中で、力ある思超家を仲間に迎えたいと思い、ここへ来ました」
「今、李光はいますか?」
操備が代わって、学者たちに問いかける。
「ああ、彼なら三階にいるはずだ」
操備は司馬章に近づき、小声で囁いた。
「他にも思超家はいるが、まずは李光という思超家を誘おう。アイツは、僕の友人なんだ」
「分かった」
二人は階段へと向かった。その途中、司馬章はふと思い立ち、孫操備に声をかける。
「なあ……思超って、いったいどれほど種類があるんだ?」
「思想をまとめた書の数だけ、思超はあると思えばいい」
「俺、天理とじぃちゃんが戦っていたとき……天理が、真っ黒で、この世のものとは思えない“何か”を操っていた気がするんだ」
孫操備は歩みを緩め、しばし考え込んだのち、静かに答えた。
「それは……陰だろうね」
「…陰?」
「いいかい、司馬章。思超は大きく六つの“式”に分類される。あの書を取ってくれ」
司馬章は足を止め、階段に沿った近くの書架から、一冊の分厚い書を抜き取った。
表紙には、力強い筆致でこう記されている。
【思超大全】
司馬章は、そっと書を開いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
思超は、次の如く分類される。
司質式
物質・感情など、言葉にできる概念そのものを我がものとし、自在に操る思超。
特定の対象に焦点を当てた思想・学問はここに繋がる。
数学式
数的な状態・状況を操作し、現象を成立させる思超。
数に関する原理を生み出した思想・学問はここに繋がる。
成体式
肉体を強化・変質させ、別の個体へと変化させる思超。
自らの存在の再定義を試みる思想・学問はここに繋がる。
環境式
周辺の環境を変化させる思超。
世の存在の再定義を試みる思想・学問はここに繋がる。
護獣式
神・霊・獣などを顕現させる思超。
存在への崇拝または信仰の色を持つ思想・学問はここに繋がる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「理解できたかい?」
孫操備が尋ねる。
司馬章は髪を掻きながら答えた。
「何となくな。つまり……俺は司質式で、操備は数学式、ってことか?」
「そういうこと。こうして分類して考えれば、その思超家が何を信じ、何を探究しているのかも、自然と見えてくるだろう?」
「確かに……司質式は、一つの概念を突き詰める思想家って感じがするな。護獣式は……宗教の信仰者に近いか」
「うん。だから天理は、陰を具象化する司質式の思超家かもしれないね。ま、詳しいことは、思超学の学者に訊くのが一番だ」
司馬章は、静かに頷いた。
一見すれば不可解に思える思超であっても、その根にある思想を知れば、術の成り立ちは理解できる。
思超とは、理由なき能力ではなく、意志そのものなのだ。
司馬章は、そう悟り、【思超大全】を戸棚にしまった。
思超堂 三階
「やあ、李光」
書架の間に立っていた一人の思超家が、ゆっくりと振り返った。
背は司馬章より少し高く、同い年に見える。
藍色の服は整っているようで、少しゆらっと乱れている。
そして、金髪。変わった男だ。
この男こそ、李光であった。
「操備か……隣は?」
「司馬典の孫、炎の思超家・司馬章だ」
「……あぁ。噂に聞くあのじーさんの孫か。で、用件は何だ」
李光は余計な前置きを嫌うように司馬章を睨んだ。
視線は鋭く、まるで雷である。
司馬章は一歩前を出て、頭を下げた。
「頼む。俺の旅に同行してほしい」
「へぇ…どんな旅だ?」
「じぃちゃんを殺した男・天上王真理公子を討つための旅だ」
司馬章は背を正し、凛とした眼差しで李光を見据えた。
「…つまり、この俺に天理を倒せ…ということか」
「李光、奴は反乱軍の兵士でもある。思超家が戦争に加担するなんて、あってはならないことなんだ……僕からも頼む」
孫操備もまた、深く頭を下げた。
李光は目を閉じ、考える。
…堂内に沈黙が落ちる。
李光はやがて、吐き捨てるように言った。
「雑魚との旅は、命を無駄に賭けるようなものだ」
「お、おい!李光!言い方ってものがあるだろう!」
操備が声を荒げたが、李光は取り合おうとしない。
彼は、黄色い頭髪を向けて歩き去ろうとした。
「操備……俺が未熟なのが悪い。別の協力者を探すか、もっと強くなってから出直すよ」
司馬章はそう言って友をなだめる。
そして、彼も李光に背を向けようとしたときだった。
「……オイ…俺は、お前が弱いとは言っていないぜ」
「え?」
思わず司馬章が振り返る。
李光は立ち止まり、わずかに振り返った。
「地下へ来い。決闘だ。お前が勝ったなら…その旅、付き合ってやる」




