第3話 三分の計
長安の名もなき路地のはずれ
長安の路地裏に轟いた炎の衝撃波は、三人の暴漢たちの心に単なる恐怖ではなく、屈辱と激しい復讐心を植え付けた。
彼らは、たかが獲物だと思っていた貧相な旅人が、自分たちの実力を凌駕する「化け物」…思超家であったことに、激しく憤慨していた。
「クソッ!あの思超家め!」
一人の暴漢が、焼き焦げた左手の痛みに顔をしかめながら、低い声で怒鳴る。
彼らの隠れ家である、都市の寂れた倉庫の中には、司馬章を取り逃がしたことで荒れた空気が充満していた。
一人の男が、床に置いてあった水濡れの樽を蹴り飛ばし、怒鳴った。
「オイ!お前ら、今日中にあのガキを必ず殺るぞ!炎には必ず弱点がある!」
「応ッ!水だ!」
三人の暴漢は、炎の力を打ち消すための水を満たした樽を用意する。
そして、再び司馬章を追い始めた。
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司馬章と孫操備は、長安の賑やかな通りを歩いていた。
「もう一度言うが…思超堂は、長安中の学者、思想家、そして思超家が集う、巨大な図書館兼、思想の交流所だ。長安の南部、朱雀大通りに近い場所にある」
操備が指差す方向、今、二人が歩いている南東部から、四町先に巨大な建築物の影が見えた。それは、知識の蓄積を象徴する、荘厳な木造の建造物だった。
「すぐ近くじゃないか!早く行こう!」
司馬章の声に明るさが戻る。
操備と出会い、言葉を交わしていく内に、冷たさの感じられる彼の声は、徐々に熱を取り戻していた。
司馬章は逸る気持ちを抑えきれずに歩みを速めた、その時だった。
「いたぞ!あのガキだ!」
背後から、刺すような殺意と、荒々しい声が響いた。先ほど逃げ去った暴漢たちだ。
彼らは、手にした樽を、思超めがけて一直線に投げつけてきた。
「さっきの奴ら!」
司馬章は反射的に左腕を燃やそうと構えた。
彼が炎を噴射しようとする。
しかし、投げつけられた樽は空中で砕け散り、中の水が司馬章の腕を濡らした。
「くそっ、腕が濡れて、炎が出せねぇ!」
彼の左手からは、小さな火花すら上がらない。
炎の思超は、物理的な水によって、あっけなく打ち消された。
「ボコボコにしろぉ!」
二人の暴漢が棍棒を振り上げ、司馬章の頭をめがけて襲いかかる。
その前に、孫操備が、何の躊躇もなく二人の間に割って入った。
「ここは僕が相手だ」
孫操備は、腰に巻いた布の帯を締め直した。
その動きは静かで、暴漢たちの殺意とは対照的な、均衡の美しさを持っていた。
「ん、お友達かぁ?」
暴漢たちは、孫操備が丸腰であるのを見て、再び嘲笑を浮かべた。
「お前がなんだか知らねぇが、俺らを止めに来たからには、お前から死んでもらうぜ!」
三人は同時に棍棒を振り下ろした。
その一撃は、訓練された者でなくとも、人間の頭蓋を砕くには十分な質量と速さだ。
「死ねぇエエエエエエ!!」
棍棒が孫操備の頭蓋を強く殴った。しかし、孫操備は微動だにしない。
棍棒が当たった箇所は、まるで分厚い皮に当たったかのように、鈍い音を発するだけだった。
「は?コイツも化け物かよ……!?」
暴漢たちは、絶句する。
全く理解出来ない現象だ。
よく見ると、棍棒と彼の頭の間には、正三角形の形をした、硝子のように透き通った水色の波紋が静止していた。
(これが、操備の思超か!)
水に濡れ、力の使えない司馬章は、目を丸くしてその光景を見つめた。
波紋は、その中心から三つの頂点に向かって、白い模様が波のように動いている。
孫操備は静かに、しかし誇りをもってその原理を説明した。
「僕の思超は【三分の計】。万物は三つの均衡をもって成り立つ。この思超は、あらゆる衝撃を三等分し、それを身体の三つの部分に均等に流すことで、一点集中による破壊を防ぐ力だ」
彼は、殴られた頭蓋骨に加わった力を、左右の肩と腰に分散させたのだ。
攻撃の衝撃は三つに分割されたため、どの部位も致命的な衝撃を受けずに済んだ。
そして、三分の計の原理は、それだけに留まらなかった。
「な、なら何度でも殴れば……」
暴漢の一人が、恐る恐る再び棍棒を振り上げようとする。
「無駄だよ」
孫操備は、優雅な動きで暴漢の身体に触れた。
「三割速」
孫操備がそう唱えると、暴漢の動く速度は、言葉通り三分の一まで遅くなった。
彼の動きは、泥の中で足掻くかのように遅くになる。
やがて、棍棒を振り上げる動作が完全に停止した。
「触れた対象の速度や力、あるいは精神的な抵抗さえも三分し、分散させるのが、僕の思超…【三分の計】だ。速度の均衡を崩せば、君たちは僕に追いつくこともできない」
暴漢たちは、開いた口が塞がらない。
カツアゲ程度の獲物だと思っていた青少年が、二人とも人智を超越した思超家であったとは。
彼らは言葉を失っていた。
(す、すげぇ……)
司馬章は、その思超を使いこなす彼に、強い憧れを抱いた。
彼は【世炎論】を不思議な力として突発的に使っていたが、操備はそれを完璧な技術として昇華させていた。
「じゃあ、今度はこっちの番だ」
孫操備は、暴漢の一人の腹に正拳突きを当てた。
その突きは、貧相な学者の拳に過ぎない。
武術家のそれと比較すれば、遥かに軽いものだった。
「フン!所詮学者の拳!肉体で俺に……」
暴漢は腹筋に力を込めて耐えようとするが、その動きは三割速によって遅延している。
「三離防」
その瞬間、暴漢の筋肉に正三角形の紋章が刻まれた。
暴漢の腹部が持つ防御力、抵抗力は、腹から最も遠い三つの部分…頭、右足、左足へと強制的に分散・隔離される。
「君の腹は今、無力だよ」
孫操備の弱い突きは、防御力を失った暴漢の腹部に深く突き刺さる。
腹部は力を抜いた状態となり、その僅かな衝撃に耐えることができなくなった。
「ごふっ!」
暴漢は、胃液と血を吹き出しながら、糸の切れた人形のように倒れた。
「おいおい……!嘘だろ……!」
残る二人は、もはや戦う意思を完全に失った。
倒れた仲間を抱え上げ、絶叫する。
再び尻尾を巻いて路地の奥へと逃げていった。
(これが……長安の思超家!)
司馬章の目に映る操備は、まさに賢者だ。
孫操備は、悠々と手を振り払った。
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二度も暴漢たちを撃退した司馬章と孫操備は、再び長安の賑わいの中を歩き、朱雀大通り沿いの思超堂の前まで歩き着いた。
「見な、司馬章。これが思超堂だ」
「大きいな。この中に入れば、天理を倒すための仲間が見つかるのか」
さっそく入ろうとする司馬章を、孫操備が引き止めた。
穏やかな顔の操備が、この時だけ真剣な顔をしている。
「いいか?ここに入ることは、君も一人の思超家として、生きていくということだ。思超を覚えたばかりの君に、その覚悟はあるのか?」
孫操備の瞳は、これまでの明るい笑顔とは異なり、真剣な光を抱えていた。
司馬章は、腰に巻いた二冊の【世炎論】に手を当て、深く呼吸をした。
祖父の死、炎の思超の発現、そして操備という仲間の出現。
全てが、彼を思超家の道へと押し進めている。
「あぁ、覚悟はできている。俺は思超家として、天理を討つ」
孫操備はしばらく不服そうに黙り込んでいたが、唐突にニマっと笑った。
「そうか。じゃあ喜べよ!これから僕たちの壮大な旅が始まるんだ!」
司馬章は、きょとんとしたが、やがて彼の笑顔に共鳴するように、抑えきれない笑みを浮かべた。
「……フフッ。そうだな!相棒!!」
「もう相棒⁉︎」
彼は操備の肩を強く叩き、操備も嬉しそうに歩みを弾ませた。




