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BEYOND SOUL  作者: 史邦ヒスト
東章 長安編
3/63

第3話 三分の計

 長安の名もなき路地のはずれ


 長安(ちょうあん)の路地裏に轟いた炎の衝撃波は、三人の暴漢たちの心に単なる恐怖ではなく、屈辱と激しい復讐心を植え付けた。

 彼らは、たかが獲物だと思っていた貧相な旅人が、自分たちの実力を凌駕する「化け物」…思超家(しちょうか)であったことに、激しく憤慨していた。


「クソッ!あの思超家(しちょうか)め!」


 一人の暴漢が、焼き焦げた左手の痛みに顔をしかめながら、低い声で怒鳴る。

 彼らの隠れ家である、都市の寂れた倉庫の中には、司馬章(しばしょう)を取り逃がしたことで荒れた空気が充満していた。


 一人の男が、床に置いてあった水濡れの樽を蹴り飛ばし、怒鳴った。


「オイ!お前ら、今日中にあのガキを必ず殺るぞ!炎には必ず弱点がある!」

「応ッ!水だ!」


 三人の暴漢は、炎の力を打ち消すための水を満たした樽を用意する。

 そして、再び司馬章を追い始めた。


 ---------------------------------------------------------------------------------------------


 司馬章(しばしょう)孫操備(そんそうび)は、長安の賑やかな通りを歩いていた。


「もう一度言うが…思超堂(しちょうどう)は、長安中の学者、思想家、そして思超家(しちょうか)が集う、巨大な図書館兼、思想の交流所だ。長安の南部、朱雀大通りに近い場所にある」


 操備(そうび)が指差す方向、今、二人が歩いている南東部から、四町先に巨大な建築物の影が見えた。それは、知識の蓄積を象徴する、荘厳な木造の建造物だった。


「すぐ近くじゃないか!早く行こう!」


 司馬章(しばしょう)の声に明るさが戻る。

 操備(そうび)と出会い、言葉を交わしていく内に、冷たさの感じられる彼の声は、徐々に熱を取り戻していた。

 司馬章(しばしょう)は逸る気持ちを抑えきれずに歩みを速めた、その時だった。


「いたぞ!あのガキだ!」


 背後から、刺すような殺意と、荒々しい声が響いた。先ほど逃げ去った暴漢たちだ。

 彼らは、手にした樽を、思超(しちょう)めがけて一直線に投げつけてきた。


「さっきの奴ら!」


 司馬章は反射的に左腕を燃やそうと構えた。

 彼が炎を噴射しようとする。

 しかし、投げつけられた樽は空中で砕け散り、中の水が司馬章(しばしょう)の腕を濡らした。


「くそっ、腕が濡れて、炎が出せねぇ!」


 彼の左手からは、小さな火花すら上がらない。

 炎の思超は、物理的な水によって、あっけなく打ち消された。


「ボコボコにしろぉ!」


 二人の暴漢が棍棒を振り上げ、司馬章(しばしょう)の頭をめがけて襲いかかる。

 その前に、孫操備(そんそうび)が、何の躊躇もなく二人の間に割って入った。


「ここは僕が相手だ」


 孫操備(そんそうび)は、腰に巻いた布の帯を締め直した。

 その動きは静かで、暴漢たちの殺意とは対照的な、均衡の美しさを持っていた。


「ん、お友達かぁ?」


 暴漢たちは、孫操備が丸腰であるのを見て、再び嘲笑を浮かべた。


「お前がなんだか知らねぇが、俺らを止めに来たからには、お前から死んでもらうぜ!」


 三人は同時に棍棒を振り下ろした。

 その一撃は、訓練された者でなくとも、人間の頭蓋を砕くには十分な質量と速さだ。


「死ねぇエエエエエエ!!」


 棍棒が孫操備(そんそうび)の頭蓋を強く殴った。しかし、孫操備は微動だにしない。

 棍棒が当たった箇所は、まるで分厚い皮に当たったかのように、鈍い音を発するだけだった。


「は?コイツも化け物かよ……!?」


 暴漢たちは、絶句する。

 全く理解出来ない現象だ。

 よく見ると、棍棒と彼の頭の間には、正三角形の形をした、硝子のように透き通った水色の波紋が静止していた。


(これが、操備(そうび)の思超か!)


 水に濡れ、力の使えない司馬章は、目を丸くしてその光景を見つめた。

 波紋は、その中心から三つの頂点に向かって、白い模様が波のように動いている。

 孫操備は静かに、しかし誇りをもってその原理を説明した。


「僕の思超(しちょう)は【三分の計(さんぶん  けい)】。万物は三つの均衡をもって成り立つ。この思超(しちょう)は、あらゆる衝撃を三等分し、それを身体の三つの部分に均等に流すことで、一点集中による破壊を防ぐ力だ」


 彼は、殴られた頭蓋骨に加わった力を、左右の肩と腰に分散させたのだ。

 攻撃の衝撃は三つに分割されたため、どの部位も致命的な衝撃を受けずに済んだ。


 そして、三分の計の原理は、それだけに留まらなかった。


「な、なら何度でも殴れば……」


 暴漢の一人が、恐る恐る再び棍棒を振り上げようとする。


「無駄だよ」


 孫操備は、優雅な動きで暴漢の身体に触れた。


三割速(さんかっそく)


 孫操備がそう唱えると、暴漢の動く速度は、言葉通り三分の一まで遅くなった。

 彼の動きは、泥の中で足掻くかのように遅くになる。

 やがて、棍棒を振り上げる動作が完全に停止した。


「触れた対象の速度や力、あるいは精神的な抵抗さえも三分し、分散させるのが、僕の思超…【三分の計】だ。速度の均衡を崩せば、君たちは僕に追いつくこともできない」


 暴漢たちは、開いた口が塞がらない。

 カツアゲ程度の獲物だと思っていた青少年が、二人とも人智を超越した思超家(しちょうか)であったとは。

 彼らは言葉を失っていた。


(す、すげぇ……)


 司馬章は、その思超(しちょう)を使いこなす彼に、強い憧れを抱いた。

 彼は【世炎論】を不思議な力として突発的に使っていたが、操備(そうび)はそれを完璧な技術として昇華させていた。


「じゃあ、今度はこっちの番だ」


 孫操備は、暴漢の一人の腹に正拳突きを当てた。

 その突きは、貧相な学者の拳に過ぎない。

 武術家のそれと比較すれば、遥かに軽いものだった。


「フン!所詮学者の拳!肉体で俺に……」


 暴漢は腹筋に力を込めて耐えようとするが、その動きは三割速によって遅延している。



三離防(さんりぼう)


 その瞬間、暴漢の筋肉に正三角形の紋章が刻まれた。

 暴漢の腹部が持つ防御力、抵抗力は、腹から最も遠い三つの部分…頭、右足、左足へと強制的に分散・隔離される。


「君の腹は今、無力だよ」


 孫操備の弱い突きは、防御力を失った暴漢の腹部に深く突き刺さる。

 腹部は力を抜いた状態となり、その僅かな衝撃に耐えることができなくなった。


「ごふっ!」


 暴漢は、胃液と血を吹き出しながら、糸の切れた人形のように倒れた。


「おいおい……!嘘だろ……!」


 残る二人は、もはや戦う意思を完全に失った。

 倒れた仲間を抱え上げ、絶叫する。

 再び尻尾を巻いて路地の奥へと逃げていった。


(これが……長安の思超家!)


 司馬章(しばしょう)の目に映る操備(そうび)は、まさに賢者だ。

 孫操備(そんそうび)は、悠々と手を振り払った。


 ---------------------------------------------------------------------------------------------


 二度も暴漢たちを撃退した司馬章(しばしょう)孫操備(そんそうび)は、再び長安の賑わいの中を歩き、朱雀大通り沿いの思超堂の前まで歩き着いた。


「見な、司馬章(しばしょう)。これが思超堂だ」

「大きいな。この中に入れば、天理(てんり)を倒すための仲間が見つかるのか」


 さっそく入ろうとする司馬章(しばしょう)を、孫操備(そんそうび)が引き止めた。

 穏やかな顔の操備(そうび)が、この時だけ真剣な顔をしている。


「いいか?ここに入ることは、君も一人の思超家(しちょうか)として、生きていくということだ。思超(しちょう)を覚えたばかりの君に、その覚悟はあるのか?」


 孫操備の瞳は、これまでの明るい笑顔とは異なり、真剣な光を抱えていた。


 司馬章は、腰に巻いた二冊の【世炎論】に手を当て、深く呼吸をした。

 祖父の死、炎の思超の発現、そして操備という仲間の出現。

 全てが、彼を思超家(しちょうか)の道へと押し進めている。


「あぁ、覚悟はできている。俺は思超家(しちょうか)として、天理(てんり)を討つ」


 孫操備はしばらく不服そうに黙り込んでいたが、唐突にニマっと笑った。


「そうか。じゃあ喜べよ!これから僕たちの壮大な旅が始まるんだ!」


 司馬章(しばしょう)は、きょとんとしたが、やがて彼の笑顔に共鳴するように、抑えきれない笑みを浮かべた。


「……フフッ。そうだな!相棒!!」

「もう相棒⁉︎」


 彼は操備(そうび)の肩を強く叩き、操備(そうび)も嬉しそうに歩みを弾ませた。

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