第14話 恐怖の賊王
長安西部上空
空を飛ぶ馬車から孟寧は、長安を見下ろしていた。
長安西部は住宅が密集している。多くの力なき者たちが暮らす、虐殺にぴったりな場所。魏匠は北の王宮近くで衛兵ばかり殺しているので、心置きなく民衆を殺せる。
「ここらでいいだろう…」
孟寧は馬車の扉を開き、一歩外へ足を踏み出すと、魏匠とは対照的にゆっくりと、かつフワフワと降下した。
余興と言わんばかりに、長安の外へと宙を走る馬車を見て指を鳴らす。
すると、先ほどまで難なく宙を駆けていた馬車は、天空に放り投げられたかのように、突然落下を始めた。馬の悲鳴が遠くで響く。戦場でも聞こえない、馬が経験する最高の恐怖なのかもしれない。その悲鳴が長引くほど、孟寧の顔は邪に緩む。
城壁二つ分の高さまで降下したときには、多くの兵士や民衆が孟寧を見つめていた。
「お、おい!あれを見ろ!人が…浮いてる…!?」
長安西部の住民たちは空を見上げて驚愕する。空からゆっくりと降りてくるのは、邪悪笑みを浮かべた怪しげな男。
北で魏匠が暴れていることもあり、この男も敵かもしれない…そう察知したのか、すぐさま兵士たちが彼の降りるであろう場所に配置され、槍を構えた。
孟寧は音もなく、兵士たちに囲まれた地点に着地する。
そのうち、一人の老兵が何かを思い出すかのように、腰を抜かした。
「あっあああ!奴は…!」
「ご存知なのですか…!」
新兵たちが訊く。
老兵は背筋を震わせながら話した。
「アイツは、南方の節度使で…七度に渡る反逆で、多くの兵の命を奪った男じゃ…」
老兵は続ける。
「五年前の大乱では、十万人いた味方の軍勢が儂一人になるまで、仲間は奴によって殺されてしまった…!」
老兵の頭に、五年前の恐怖が蘇る。孟寧もまた、かつての乱の記憶を呼び戻す。
――――――――――――――――――――――――
五年前、南方の節度使だった孟寧の六度目の反逆…"第六次孟寧の乱"とも語られるべき乱では、唐軍十万人と孟寧一人が戦った。
何故、十万もの大軍に、たった一人で相手をするのか。それは、乱が起こる少し前に、孟寧が自らの兵を虐殺したからである。つまり、彼の元に兵はいなかったのだ。
そんな話を、道中でハッタリのように唐の兵士たちは話す。それが本当なのだから滑稽であることこの上ない。孟寧は天下一の愚か者だと、彼らは楽しそうに嘲笑っていた。
やがて、唐軍が孟寧の領内にある平原に陣を構える。
「平原の果てに孟寧がいる」との伝令が入ったからだ。
将軍たちは目を細めて遠くを眺める。確かに、孟寧がいる。それも一人。配下虐殺の話は本当だったようだ。
孟寧はただ一人、立ち塞がる。十万の敵を目前に、恐怖どころか、静かな余裕すら感じているように。
軍は早々に陣を展開し、たった一人の男に向かって突撃を開始した。戦の開戦である。
はじめ、味方は侮っていた。十万の軍勢で一人を討つのは、道行く蟻を踏み潰すに等しい…とても容易い動作だったからだ。
…悲劇はそこから始まった。
獅子奮迅とした突撃が迫る中、孟寧は怯むことなく両手を前に突きだし、渦を描くように回す。それだけだった。
それだけで、彼の一歩前から本陣手前までにかけて地割れが進み、一万人の兵士が立ち、駆ける地を削り取ったのだ。
削り取られた地盤はゆっくりと浮かび上がり、一万の兵を乗せたまま、遠くの山と同じくらいの高さまで上昇した。
兵士たちの困惑、悲鳴、恐怖の声…その数一万が響く。
孟寧は上を見上げ、一万の声が鳴る大地の方向へ、そっと手を向けると。
「深淵へ沈め」
と呟き、その手を勢いよく振り下ろした。
大地が流星の如き速さで落下する。そこに立つ兵士たちは、もう声を上げなかった。恐怖すらしなかった。
落ちゆく大地に兵士たちはいなかった。押しつぶされたような肉塊の数々が、大地にへばりついているだけだ。
大地は堕ちた。そこにいた一万の兵は無残な姿と化し、落下した地点の近くにいた二万の兵は、大地が落下した衝撃、或いは、飛び散った地の鱗片によって死んだ。
それを見て怖気付いたのか、残る七万人は北へ逃走を始めた。陣形は完全に崩れ、殿以外は皆、バラバラに逃げ去ってゆく。
孟寧は、彼らも逃がすつもりはなかった。手を振り下ろすたびに、目には見えない鉄槌が千人ずつ圧殺していく。
やがて、すべての兵士が戦場で潰れた。平野は赤く染まり、骨が砕けて形を失くした屍だけが残る。
孟寧はそれを見て満足そうに髭を撫でた。あまりの残虐さに、烏も屍を啄もうとしない。
孟寧は十万の屍に背を向け、歩いて拠点に帰っていった。
屍の山に、僅かに動く物体一つ。いや、生命ひとり。みすぼらしい老兵だった。
戦いが終わってしばらく経った後、たった一人の生存者は、無数の兵士だった者たちに嵐のような涙を捧げ、枯れ枝のような足で長安に帰還した。
――――――――――――――――――――――――
「あぁ。御名答だ…だが意外だな。全員殺したと思っていたが、生き残りがいたとは」
孟寧は左手を上げる。
すると、彼の左側にあった民家が潰れた。上から何かがのしかかるように、メリメリと。地面に薄く穴が開くまで押し潰され、かつて家だった薄い木のガラクタだけが残った。ここまでが一瞬の出来事だ。
五年前と同じ。その妖術のような技に、老兵は顔骨を震わせる。
「私は"思超"という妖術のようなものが使える者でね。"重み"を操る思超のお陰でこんなことができるのだよ」
「……!?」
兵士たちは触れてもいないのに、民家が潰れたことに驚愕する。
気がつけば、身体が勝手に引き下がっていた。
「私の思超は【重子】。この世の物は始めから重みがあるのではない、物にかかる"見えない力"が物に重さを与える。と、いう考えを記した書名でもある。私はその"見えない力"を…」
今度は右手を上げる。
「"重力"と名付けた!」
孟寧の右側にあった民家もまた、メリメリと音を立てて垂直に潰れる。
「私の手から二千尺(40メートル)以内にある物体の"重力"はすべて、私の思うように変えられる!」
五年前も同じ。孟寧はこの思超を用いて、重力の増加による圧殺を繰り返していたのだ。
「奇跡的に生き抜いた老兵よ、この恐怖…思い出したか…?この精神を締め付け、真っ暗な深淵に沈んでしまいそうな重みを…思い出したか…?」
孟寧は髭を三度、親指と人差し指で摘むように撫でて笑う。
兵士たちは、孟寧を要とした扇を作るように左右へ展開した。
(まっまずい!ワシを殺そうと考えておるなッ!?)
その瞬間、孟寧は老兵に向かって手を伸ばした。
「ん゙っ!」
老兵の隣で、何かが潰れる音。頬にかかる血しぶき。重力で圧殺されたのは、隣の新兵だった。
「……あぁ!そんな…!」
老兵は跡形もなく潰れた新兵の遺体に寄りかかった。
ここで死ぬのは自分であると思っていたのに…。そんな表情をする老兵をよそ目に、孟寧は別の新兵に重力を加えようとしていた。
「お前は気に入ったぞ。もう一度、お前だけを生かす。お前の寿命が尽きるまで、お前が精神の深淵に沈む様を見てみたい…!」
別の新兵は、弱々しくも勇敢な目で老兵を見る。そんな彼ですら、この後無残に殺されてしまう。
老兵を苦しめる重圧は、ますます重みを増やしていた。
「どっどうか逃げ………」
ギリギリと潰れるような音を立てながら新兵は背丈が圧縮されていく。
「やめろぉぉぉお!」
老兵が歳に見合わぬ叫びを響かせた。
その時だった。
一匹の鷹が孟寧を強く押し蹴った。滑空で勢いのついた蹴りは、孟寧の体勢を大きく崩し、その反動で孟寧は思超を解除した。
新兵にかかった圧は一斉に解き放たれ、爆発的に元の姿へと膨張する。
突然の変化に行動が追いつかなかったのか、膨張の反動で、新兵は真横に転がる。
「ハッ!ハッ!…ハー!助かった…!助かった…?」
新兵は自分の置かれた状況を上手く飲み込めず、キョロキョロと自身を見回した。
鷹はその場で敵を睨みつけたまま羽ばたいている。
孟寧が立ち上がって訊く。
「…王明か」
「…………いかにも」




