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BEYOND SOUL  作者: 史邦ヒスト
東章 長安編
13/63

第13話 長安に差し掛かる闇

 長安(ちょうあん)に夜が訪れた。人々は皆、それぞれの家に帰り、道を歩いているのは彼ら三人だけになった。本来、長安(ちょうあん)では夜の外出が禁じられているが、これから反乱軍がやって来るかもしれないという不安の中、細かいことに衛兵が口出しする余裕もなかった。

 李光(りこう)が一歩立ち止まり、二人に声を掛ける。


「この先、俺たちは国家を敵に回すことになる。楊国忠(ようこくちゅう)が善人だろうが悪人だろうが、或いは国賊だろうが、刃を向けた時点で、俺たちは大罪人だ。国中から命を狙われることになる」

「分かっている。その覚悟は既にある。国中を敵に回さなかったとしても、僕らは既に王明(おうめい)という怪物に、既に狙われているんだから…もとより命懸けだよ」


 孫操備(そんそうび)は迷いなく答えた。司馬章(しばしょう)も、同様だと言うかのように首を一度縦に振る。

 そして、操備(そうび)の口から出た「王明(おうめい)」という言葉に、眉をひそめた。


王明(おうめい)は、俺達より優先して倒すべき敵がいたとか言っていたな…。王明(おうめい)も手強いが、王明(おうめい)の敵は一体どんな奴なんだ?)


 ________________________


 長安(ちょうあん)上空の夜空を馬車が駆け抜けていく。馬が雲を蹴り上げて飛んでいるのではない。馬車が馬ごと浮いているのだ。

 車両の中には、二人の男が上空の景色を眺めて座っていた。大柄で筋骨隆々な男と、整った髭に邪悪な笑みをする男。どちらも、燕の尾のような細い首巻きを巻いている。


「ついに来たか。長安(ちょうあん)!」


 大柄な男が外を見下ろす。その肉体は安禄山(あんろくざん)並みに屈強である。

 邪悪な笑みを浮かべている男は皿のような(うつわ)に注がれた酒を飲む。こちらは人並みの体格だ。

 邪悪な笑みを浮かべている男が、大柄な男に問う。


「お前はここで降りるのか、魏匠(ぎしょう)

「あぁ!王宮の中のクソ役人どもも、クソ宦官(かんがん)どもも、俺を裏切ったクソ衛兵(えいへい)どもも皆殺しだァ!」


 大柄な男は怒りながら応答した。


「そうしてくれ。我らは長安(ちょうあん)で人を殺しまくり、内部から崩すことが仕事だ」


 大柄な男は言葉を止めた。憤怒のようで、悲哀のような、ぐにゃぐにゃにねじ曲がったまま、時が止まったような顔。


「…ッ!」

「そうか。お前は元、長安(ちょうあん)近衛隊長(このえたいちょう)だったそうだな。お前を慕った民を手にかけることを躊躇(ちゅうちょ)するとは、お前も人間らしい」

「うるせぇ!黙れ!孟寧(もうねい)!」


 器を持った男の言葉をさえぎり、大柄な男は瓢箪 (ひょうたん)の中の酒をガツガツと飲んだ。彼の顔の二倍の大きさはある瓢箪(ひょうたん)の中の酒を飲み終えると、その瓢箪(ひょうたん)を馬車の外へ投げ捨てる。瓢箪(ひょうたん)は真っ白な酒の雫を僅かに撒きながら、夜空を舞った。


「…んじゃ、もう行くぜ。王宮の奴らは情なく殺せるからよォ」


 こうして、大柄な男は馬車の扉を開け、上空千七百尺(せんななひゃくしゃく)(約500メートル)はある高さから飛び降りた。

 扉が空いても、上空の強風は何故か車内に立ち込めない。そもそも、馬車は完全に密封された空間ではないのだから、大柄な男が飛び降りる前から風が入り込んでもおかしくはない。だが、入らないのだ。


「はぁ、相変わらず派手に降りるなぁ。私はゆっくりと降りてゆくとしよう」


 器を持った男は右手を前方へ伸ばす。すると、馬車全体に前向きの力が加わり、馬車は加速した。


 この二人こそ、反乱軍の思超家(しちょうか)組織・乱晶(らんしょう)右一席(ういっせき)魏匠(ぎしょう)左二席(さにせき)孟寧(もうねい)である。


――――――――――――――――――――――――


 一方、王宮内は宦官(かんがん)たちが大慌てで走り回っていた。皇帝・玄宗(げんそう)楊貴妃(ようきひ)の逃亡支度をしなければならないのだ。

 反乱軍の軍勢は、長安(ちょうあん)近くまで迫っている。唐軍は防戦一方。反乱軍の都入りも時間の問題だ。

 だが、市民たちは城壁に囲まれたこの都に安堵を感じているのか、或いは、逃亡先で路頭に迷うことに不安を感じているのか、なかなか避難しようとはしない。

 そこで、宰相・楊国忠(ようこくちゅう)の提案により、本日の夜、皇帝や貴妃(きひ)、他皇族を先に長安(ちょうあん)から脱出させることにしたのだ。

 なんとか、その日の夕方にはすべての準備を終え、二人は馬車に乗り、今にも脱出が可能な状態となっていた。


「それでは…皇帝陛下、楊貴妃(ようきひ)様、(しょく)の地へご無事にお向かいになられますよう、心よりお祈り申し上げます」


 馬車の横で楊国忠(ようこくちゅう)が深々と礼をとる。「国忠(こくちゅう)」の名に恥じぬ、如何にも忠臣らしい礼である。


「う、うむ…。楊国忠(ようこくちゅう)も、すぐにこちらへ向かうとよい」

「…有難き御言葉でございます、陛下」


 楊国忠(ようこくちゅう)が顔を上げる。

 そのまま左手をクイッと上へ動かす。それを合図に、馬車の操縦士が手綱を引き、馬車が南の城門へ向かって出発した。


 馬車がガタガタと音を立てて南進する。揺れる車内で、怯える老人と、ただただ無心に外を眺める女がいた。


貴妃(きひ)や、やはり琵琶も取りに戻った方が良いのではないか…?」

「琵琶なら蜀の地でも得ることができます。今の私には、陛下がいてくだされば十分です」

貴妃(きひ)…!!」


 皇帝は楊貴妃(ようきひ)に寄りかかる。

 楊貴妃(ようきひ)は、右手で皇帝の背を優しく撫でる。


「それと…」


 左手には、朱色が色褪せたような古い本が一冊。

 馬車は瞬く間に城門を通過した。


 街道を守っていた衛兵たちは、皇帝と楊貴妃(ようきひ)の乗る馬車を城外の兵団まで送った後、楊国忠(ようこくちゅう)の護衛を勤めるため、王宮へ急ぐ。


 その時だった。


 ものすごい速度で王宮南門に"何か"が降り落ちてきた。土煙(つちけむり)は大量に舞い、兵士たちの目を眩ませる。

 土煙が晴れると(あらわ)れたのは、燕の尾のような白い首巻きをした、屈強な大男。


「うらぁぁあああ!」


 雄叫びを上げし男は魏匠(ぎしょう)だった。

 彼は着地後まもなく、近くにいた衛兵五名を殴り殺した。


「て、敵襲ゥゥー!!!」


 それを見た他の衛兵が叫ぶ。その声は市内を巡り、他の兵団、住宅路の市民、司馬章(しばしょう)たちにも聞こえた。


「急げ!南の城門から脱出しろ!」


 住宅路にいる衛兵らが市民に避難を呼びかける。司馬章(しばしょう)たちは、市民の進行方向と真逆の方向を見た。

 市民も兵士たちも困惑している。敵…いや、それすらも分からない存在ではあるが、空から襲撃を喰らうのは前代未聞の事態である。これでは、堅固な城壁も意味を為さない。


「何だなんだ!?」


 司馬章(しばしょう)たちは左を向く。

 李光(りこう)は驚いた顔で、叫び声の先を見る。彼らの位置からは少し遠いが、走ればすぐに到着可能な距離だ。

 李光(りこう)は何も言わず、二人を置いて王宮へ走り出した。彼は雷の速度ほどではないが、常人の目では捕らえられない程に足が速く、二人の視界から即座に消えてしまった。


「あ…おい!」


 孫操備(そんそうび)が誰もいない、李光(りこう)がいた場所に向かって、反射的に声を出す。

 今度は悲鳴が響いた。兵士の悲鳴だ。断末魔も聞こえる。兵士の断末魔だ。既に、二十人以上の兵士が空から振ってきた何かに殺されているだろう。司馬章(しばしょう)たちも、響く声で感じていた。


司馬章(しばしょう)楊国忠(ようこくちゅう)を討つなら、今が…」


 操備(そうび)が彼に決断を迫る。

 だが、洛陽(らくよう)の悲劇を彷彿とさせるような殺戮の音を、司馬章(しばしょう)は放っておくことはできなかった。


「…………」


 拳は震え、足の指が地を噛むように靴を曲げる。

 司馬章(しばしょう)は、軽く盛り上がった土を蹴り、声の鳴る方へ走り出した。


「あ!司馬章(しばしょう)まで!」


 操備(そうび)は左足のつま先を、悲鳴の鳴る方へ、右足のつま先を王宮へ向けて葛藤するように立ち止まる。


「………!!!」


「やっぱりほっとけないよね…長安(ちょうあん)は、僕らの故郷なんだから…!」


 孫操備(そんそうび)も決断し、司馬章(しばしょう)を追うように走り出した。



 魏匠(ぎしょう)が腰を落とした一人の兵士に拳を振るう。その場にいた、彼以外の兵士は皆死んでいた。

 兵士に鬼の金棒のような腕の影が差し込む。普段の勇ましい姿はそこにはない。怪物を前にして、子鼠同然に怯えている。

 その時、一閃の光が魏匠(ぎしょう)の拳を受け止めた。


「……あ゛!?なんだテメェ…」


 魏匠(ぎしょう)は彼の腕を振りほどき、首をゴキゴキと鳴らしながら李光(りこう)を睨む。

 李光(りこう)が辺りを見渡すと、反吐が出るような怒りを露わにした。目に映る光景が正しければ、魏匠(ぎしょう)は既に二十六名の兵士を殺していた。


「派手にやってくれんじゃあねぇか。思超家(しちょうか)気取りの罪人がよォ」


 李光(りこう)(まと)わりつく雷がパチパチと広がる。彼の怒りと敵意が雷へと変換されるかのように。

 魏匠(ぎしょう)はチッと舌打ちをすると、右手を強く左の平手に打ちつけた。太鼓のように衝撃が音となって、辺りの空気を震わせる。


「ここの兵士ってワケじゃあなさそうだな。かといって、庶民ってワケでもねぇ。まぁ、大体予想はついているが…」

「早く言えよオッサン。その何とも言えねぇ前置きを終わらせて、俺がアンタをブチのめしてやるからな」

「…まぁ、思超家(しちょうか)だよなあ」


 魏匠(ぎしょう)はもう一度、右手拳を左の平手に打ちつけた。振動は全身から地面へ伝わり、李光(りこう)を威圧するように登る。


「前置きが長くて悪ぃな。 来いよ」


 李光(りこう)は拳を構え、(まと)う雷は強く発光した。

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