1話 歯車亭に煙の朝が来る。
蒸気機関が発達した世界、機械いじりが好きな少女、エマは祖父と営む小さなパン屋で幸せに暮らしていました。
ところがある日、パンの大企業チェーン「ロイヤル・ギア・フーズ」がエマ達の街にやって来ます。
そして現れる謎の少年。
機械いじり好きな少女が、パン屋を守るために奮闘するスチームパンク作品です。
恋愛、モノ作り、下町の空気感を楽しんでいただければ嬉しいです。
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※この作品は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しております。
朝の煙は、いつもパンの匂いがした。
巨大蒸気都市グラン・ロアの空は、一年中うっすら灰色の雲に覆われている。
工場の煙突から吹き出す煙と、蒸気機関車の白い蒸気が、空をぐるぐるとかき混ぜて、太陽の光を遮っていた。
けれどエマは、この街が嫌いではない。
歯車の回る音や蒸気が噴き出す音。
そして古びた機械がきしむ音。
それらはみんな、この街が生きている音だから。
「うわっと!」
工房の奥で、小さな爆発音が鳴り、真鍮のふたが勢いよく飛ぶと、白い蒸気がぼふんと広がる。
「またやったのか、エマ!」
店のほうからいつものように、祖父の声が飛んで来る。
「だ、大丈夫! 今回は爆発じゃないから!」
「前もそう言っとったじゃないか!」
エマはすすで黒くなった鼻を袖でぬぐい、作業台の上をのぞき込んで、機械の中を確認すると、小さな歯車が、かち、かち、と震えながら回っているのを見て、彼女は顔を輝かせた。
「……よし、成功だ!」
エマは、焼きたてのパンを冷めにくくするための蒸気保温箱の完成に、顔をほころばせる。
小型ボイラーから送られる熱を、細い管で循環させる。熱くなりすぎないように、圧力弁には古時計の部品を使った。
見た目は、つぎはぎだらけの鉄箱だけど、エマにとっては、自分が作った大切な物だ。
彼女は小さい頃から機械いじりが大好きで、壊れた時計や廃棄部品を拾っては、勝手に分解して怒られていた。
祖父はいつも困った顔をしていたが、本気で止めたことは一度もなく、むしろ工具の使い方を教えたのは、祖父のほうだった。
「機械はな、人間と同じだ」
祖父はよく言う。
「ちゃんと見れば、どこが苦しいか分かる」
エマはその言葉が好きだった。
だから彼女は、壊れた機械を見ると放っておけない。パン屋の仕事でも同じだ。
店の奥からは、こんがりと焼けた香りが漂って来たが、段々焦げそうな匂いがしたので、エマは工房から飛び出し、祖父を呼ぶ。
「おじいちゃん、焦げる、焦げるよ!」
「お前の爆発騒ぎのせいだ!」
祖父は大きな蒸気オーブンの前で、またかと、ぷりぷり怒っていたが、もちろん本気ではない。
銀色のオーブンは古く、あちこち継ぎはぎだらけだが、エマが何度も修理したおかげで、まだ現役で稼働している。
彼女は慣れた手つきで圧力計を確認し、横のバルブを少しだけひねると、ぷしゅう、と蒸気が抜けた。
「ほら、これで大丈夫」
「お前はパン職人なのか機関技師なのか、わからんな……」
「えへへ、両方!」
エマは屈託のない笑顔をほころばせる。
店の名前は《歯車亭ベーカリー》
下層区画のすみにある、小さなパン屋。
祖父の代から続く店の壁はすすけ、客もそれほど多くはない。
それでも朝になると、近所の人々が焼きたてのパンを買いに来てくれる。
「エマちゃん、おはよう」
「あ、新作ある?」
「今日は黒麦パン焼けてるよ!」
そういうやり取りが、エマは好きだった。
自分の作った機械で焼いたパンを、誰かが笑顔で食べてくれる。
その瞬間だけ、エマは胸の奥がぽかぽかする。
けれど、その日の昼。
店の前を、一台の巨大蒸気車両が通り過ぎた。
それは見たこともないほどの大きな宣伝車。
真鍮の装飾がきらきら輝き、煙突から白い蒸気を噴き上げて走り、側面には、大きな文字でこう書かれている。
『ロイヤル・ギア・フーズ、本日開店!』
その瞬間、通りの人々のざわめきが聞こえる。
「ついに来たか……」
「上層区画で人気の店だろ?」
「安くてうまいらしいぞ」
エマは眉をひそめて祖父に聞く。
「ロイヤル・ギア?」
祖父の顔が曇る。
「パンの大企業チェーンだ。最近、あちこちの個人店を潰して回っとる」
「同じパン屋なのに?」
「大量生産の機械パンを売るんだ。安さじゃ敵わん」
エマはむっとして言う。
「でも、機械でいっぱい作るだけなら、おいしくないでしょ」
「世の中、それだけじゃない」
祖父は静かに言った。
「安いほうがいい人もいる」
祖父の顔に諦めのような表情が見えて、エマは何だか悲しい気持ちになった。
その日の夕方。
新しくできた店の前には、長い行列が連なっている。
白い制服の店員たちに巨大な自動オーブン。
蒸気で動く運搬機械。
そして、信じられないほど安い値段。
エマは遠くからその光景を見つめている。
なぜか胸の奥が、ざらりとした。
自分たちの店より立派だからではない。
やっていることは私たちと同じ。蒸気機械を使ってパンを作り、人に売る……。
なのに、どこか冷たく見えた。
「……パンって、そんな風に作るものなのかな」
ぽつりと呟く。
隣で祖父は何も言わなかったが、ただ少しだけ背中が小さく見える。
その夜。
店の売れ残りは、いつもより多かった。
エマは固くなり始めたパンを見つめながら、強く唇を噛む。
何で悔しいんだろう。同じような機械で、同じようなパンを作ってるのに、何で……
「違う」
彼女は小さく言った。
「こんなの、違う」
工房の奥で、古い蒸気機関が静かに鳴っている。
まるで、小さな心臓みたいに
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