Story.21 決意
ケイの部屋に行く途中、治療室の前を通り過ぎかけて、ガイアは足を止めた。扉が少し開いていたのだ。自分が出てきたときはちゃんと閉めて行ったはずだが、何故だろう。
まさか。そう思って、治療室に近づいた。扉を開け、中に入る。そんなわけないと思いながら、窓際のベッドを囲うようにひかれているカーテンを開けた。
「わ、びっくりした!」
声を発したのは、茶髪のツインテールの少女・ステレだった。大きな目を更に丸くして、ガイアを見上げていた。少女が寄り掛かっている白いベッドには、クォーツが眠っており、その上を彼女の〝聖獣〟の桃色の猫・チュチュがうろうろと歩き回っている。だが金髪の彼の目蓋は開かれることなく、微動だにしない。
そっとガイアは息を吐く。もしかしたら目が覚めたのかと、淡い期待を抱いていたのだ。
「ガイア姉、大丈夫? お元気になった?」
首を傾げて問うてくる。ガイアは不器用に笑顔を浮かべた。
「ええ……大丈夫よ。それよりもステレちゃんこそ、今日は早起きなのね。まだご飯にも早いでしょ?」
時間帯としてはかなり早い。朝が弱いと自分で言うだけのことはあり、ステレはなかなか起きてこない。辛うじて朝食時に食堂へやって来るが、ほとんど寝ながら食べている有様であった。髪もぼさぼさで、早めに朝食を済ませたガイアが、ぼんやりしている少女の髪を整えることも少なくない。
「うーん……昨日のお話が気になっちゃってね、あんまり寝られなかったの」
肩をすぼめて見せる少女は、僅かだが年齢不相応に大人びて見える。
「昨日のお話って……ガニアント国のこと?」
小さな頭が縦に振られる。
「あたしには、難しいこと、分からないんだけど……ねえ、ガイア姉。大人のみんなが怖い顔してるのも、クォーツ兄がお怪我しちゃったのも、戦争が始まっちゃうからなの?」
まだ幼い少女は、戦争が何たるかを知らない。この年の子が、小戦争とはいえ支援員として派遣されることはないので、知識として知っている程度だろう。だが、始まろうとしているガニアント国との戦争は大規模なもので、年齢に関係なく、きっと巻き込まれてしまう。
「お婆ちゃんがね、昨日言ってたの。神殿に、沢山お怪我しちゃった人が来るようになるかもって」
まだ、ガイアは聞いていない情報だった。だが集会の時間は相当に長かったようだし、先ほどケイと顔を合わせている時間で全てを話し切れるものではないだろう。支援員の話が出た時点で、すぐに頷けず、無理矢理話を切り上げてしまったのもガイアだった。
そうか、と思う。もう、このラコスデント神殿が、怪我人の受入施設として提供することも決定しているのか。
「戦争って、すっごく嫌なことなんだね」
戦争は、凄く嫌なこと。
「……ええ。……そうね。ステレちゃんの言う通りだわ」
飾らない言葉が、とても重くのしかかる。戦争が起きると分かり、目前にまで迫っているとなってから、神殿の雰囲気は何処か全体的に物々しい。先ほど、ガイアに道を譲ってくれた井戸端会議をしていた者達も、戦争のことについて話をしていたのは耳に入っていた。どうやって相手を殺せばとか、身を守るにはまず何をするべきかとか、先日まではもっと他愛のない話で溢れていた筈なのに、そんな話ばかりだ。
「戦争がなかったら、クォーツ兄もお怪我しないで済んだもんね」
身長が低いせいでなかなか手が届かなかったのだろう。よいしょ、とベッドに手をついて背を伸ばす。目一杯腕を伸ばし、ステレは眠るクォーツの額を小さな手で、よしよしと撫でた。痛かったねー、と声を掛ける少女は、心配そうに青白い顔の彼を見つめている。
桃色の猫が、ベッドの上で顔を洗いながら、ステレに言う。
≪戦争、止められにゃいのかにゃあ≫
「ねー」
「……え?」
同調したステレは、きょとんとしているガイアを見上げた。
「だって、戦争がなかったら、みんな悲しいお顔しないで済むんでしょ? だから、このままみんなで仲良くできないかなあって、チュチュとずっとそう言ってるんだー」
やだなー戦争。
呟きながら、ベッドに体重を預けて、浮かせた足をぱたぱたと動かす少女を、目から鱗が落ちた思いで見つめ続けた。もやもやと胸中を支配していた霧が、一瞬で晴れた感覚。瞳に映る全ての色が失われたようであったのに、突然輪郭がはっきりとして、鮮明な色を取り戻した。ステレの言葉がころころと身体の中を転がって、すとんと胸の奥に落ちて来る。
気付かなかった。だが、支援員として人々の怪我を治したいという思いも、報復したいという思いも、戦うための魔法を使いたくないという思いも、全て行き着く先は同じだった。
「ステレちゃん、ありがとう!」
ステレに抱き付くと、少女は驚いた様子で目を白黒させた。
「クォーツのこと、宜しくね!」
「ガイア姉!?」
ガイアは勢いよくカーテンを開け、治療室を飛び出した。廊下を駆け抜け、階段を駆け上がる。洗濯物を運ぶ者や、錬金術師に調香師など、神殿に暮らす多くの人とぶつかりかけながら走った。神父と正面衝突しかけたときは「廊下を走るんじゃない」と叱責されたが、無視をした。(後でこっぴどく怒られるのは覚悟している)
三階まで上がってくると、ガイアは階段のすぐ横にある扉を開いた。あまりに勢いが良かったため、扉はけたたましい音を鳴らし、カウンターで座っていた男が飛び上がって驚いた。目を剥いて、ずり落ちた眼鏡をかけ直しながら扉を開け放した巫女を見る。
「が、ガイア様!?」
ここはラコスデント神殿の図書室。カウンターに座っていた彼は写本師という職についており、本を手作業で作成する技術を持つ者だ。現在も、魔力で機能性を上げた印刷機を使って、ほとんどの場合は本が出版される。だが、魔法の力を伴っている魔導書は、機械を通して作成されることが難しい貴重書だ。図書室では魔導書も幅広く所蔵しているため、写本師の作業場所にもなる。よって彼らが所蔵資料の管理や貸出、返却といった業務も担っていた。
驚いたまま固まっている相手に、カウンターから身を乗り出してガイアは尋ねる。
「ねえ、〝造物主〟のこととか、〝杖の幸福伝説〟の本ってどこかにまとめてる!?」
「は!? え、と、そうですね。それなら、歴史コーナーにまとめてあると思いますが……」
カウンターから出てくると、写本師はおろおろしながら前を歩いて案内する。図書室の奥に向かい、一度手前の書架で足を止めたが、
「……近代史ではないですか?」
「そうねぇ……うん、近代史も少し触れたいけど、もっと昔。〝造物主〟が残した伝説について、より詳しく載ってると嬉しいのよ。……難しい?」
「いえ、難しい、というか……資料はあるにはあるのですが……」
資料はあるのに、どうして微妙な表情になってしまうのだろう。そう思ったが、すぐに理由は知れた。写本師が引き続き案内してくれたのは、図書室の最奥にある壁一面であった。分厚い本、薄い本、背の高い本、低い本。魔法の力で、雲のように宙をゆったりと浮かんでいる古びた本、新品の本。いっそ眩暈がするほどの量で、数が多すぎることを心配しての表情だったようだ。あまりここの本を借りていく人もいないのか、ほとんど本棚に抜けはない。
「無いよりずっといいわ。有難う!」
優美な微笑を浮かべて見せる巫女に、写本師は頬を染めた。頭を下げて、カウンターの業務に戻っていく。
ガイアは本棚を見上げると、息を吸い、
「ホノオ、来なさい」
言った途端、彼女の隣に眩い銀色の光が溢れ、収束を始める。それは見る間に球形を作り出し、ひと抱えほどある大きさにまで膨らむと、神々しい強い輝きを纏った白いライオンが、中から姿を現した。ゆったりとした動きでガイアに碧眼を向け、徐に口を開く。
≪どうした、ガイア≫
「覚えてる? 私が昔読んでた愛読書」
ライオンの表情に、きょとんとしたものが浮かぶ。主人にしか分からないような表情の変化だが、一体いつの話をしているのか、と困惑している様子だ。
「ほら、カピジャにいた頃、私が読んでた絵本」
勉強態度が悪かった頃のガイアは、よく机の上に教科書だけではなく絵本も一緒に出していた。常に傍にいたホノオは、休み時間にその絵本をガイアが開いている様子を眺めていた。
覚えている、と瞬きを一つ返したホノオが、はっとする。そんな己の〝聖獣〟の様子に満足げな巫女は、壁一面を埋め尽くす本の群を見上げ、美しくも強い笑顔を浮かべた。彼女の瞳には、傷ついたクォーツを見つけてからの迷いは一切ない、真直ぐな光が宿っていた。
「調べ尽くすわ。手伝って、ホノオ」
≪……やれやれ。これを全てか。〝聖獣〟使いの荒い主を持つと、苦労する≫
「あら、何言ってるの」
本棚に手を翳したガイアの手が、淡く輝く。すると、いくつかの本の背表紙が答えるように輝き、輝いた全てが引き抜かれた。手の動きに従い、くるくると空中を回転すると、最も近い位置にある閲覧席の卓上に集まって行き、積み重なっていく。
「今更じゃない、そんなの」
雲のようにのんびりしたものばかりではない。蝶や鳥の如く、図書室の中を飛び回る本を眺めながら、
≪そうであったな≫
静かに笑う。どういった経緯でこの結論に至ったのかは分からない。
ただ、実に主人らしい結論だと思った。
拙作をお読み頂きありがとうございます。
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