Story.19 火蓋
「ガイア、いますか?」
扉を叩く音と共に、聞き馴染んだ声で名前を呼ばれる。ガイアは椅子から立ち上がった。だが、何だか足の裏に感覚がなく、ふらついた。すかさずホノオが身体を寄せて支える。共にクォーツのベッドを離れ、治療室の扉へ向かった。扉を開けた先にいたのは、予想通り、ケイだ。
「……やはりこちらでしたか。ずっとここに?」
「……はい」
目を伏せ、頷く。クォーツは、治療室の奥に一度視線をやり、気遣わし気に言った。
「彼の容体は?」
「……もう治療は終わって、あとは、目が覚めるのを待つだけって」
「そうでしたか」
一先ずは安心できるのだと知り、ほっとケイが息を吐く。それから、恭しく頭を下げた。
「ガニアント国のコインが届いた時点で……危険なことが起こる可能性があることを加味するでした。軽々しく、村の調査に行かせるものではありませんでしたね。油断をしていた私の失態です」
ごめんなさい、と目の前で謝罪してくる大神官に、ガイアは慌てた。
「やめて、ケイ婆様。油断していたというなら、私もだもの。お使いみたいにクォーツに任せて……私が、任せたりしなければ……」
眉を寄せ、俯いて目を閉じる。普段はおちゃらけたところのあるクォーツだが、危険だから気を付けろとか、楽観視することじゃないとか言えば、絶対に真剣に受け止めてくれたはずだ。ガイアも、とても気楽に彼に頼んでしまった。もっと警戒していれば、こんなことにはならなかったかもしれない。後悔は膨らむばかりだ。
だが、後悔以上に、クォーツとベルを傷つけた者を許せない思いの方が強く、ガイアは恐ろしくなった。傷つける者がいなければ、そもそもこんな目に遭っていない。同じ目に遭わせてやりたい、などと。戦いを嫌う自分が、こんな思考を持っているなんて、怖かった。
「……ケイ婆様。昨日は、集会でどんなお話をしたの?」
自分の中で膨らむ、恐ろしい思考から目を逸らすように、ガイアはケイに問いかけた。
ケイは酢を飲んだような顔をする。この問い掛け方が卑怯であることは、巫女にも分かっていた。「大丈夫、大した話はしていませんよ」と、言ってくれる可能性を捨てきれないでいたのだ。僅かな希望に縋っていたかった。勿論――
「……戦争が、始まる話を。ガニアント国より、正式にパクスミール国へ宣戦布告の文書が届いたと、政府から連絡があったのです」
――そんなはずがないのも、分かっていたが。
パクスミール国の政府の本部は、ラコスデント神殿やエプリサテナから遠く離れた大都市に存在する。ラコスデント神殿は神殿の中でもとくに規模が大きく、定期的に連絡を取り合っていた。神殿はある意味、政府の組織の一部と言っても過言ではないほどだ。魔術師が多数暮らしていることもあり、小戦争が勃発する度に、支援員として派遣を求められることも多い。ガイアも回復魔法の精度を買われて、何度も現場に赴いた経験がある。
「神殿に、グリフォンのコインが届けられたことは聞いていますか?」
「ラドンから、聞いてるわ」
調査に向かったクォーツを追いかけていたとき、ホノオが血の匂いに気が付いたことと、後から追いついたラドンからグリフォンのコインの話を聞いたことで、嫌な予感がしたのだ。そして、小さな村の惨状を目の当たりにした。そこで倒れている幼馴染と一緒に。
そういえば、ラドンはもう帰って来てるのかしら。
ふとそんなことを思う。あれからかなり時間は経過して日付も変わり、あまつさえ朝を迎えているのだ。夜通しあの村に留まるわけもないだろうが、わざわざガイアの元へ「帰りました」などと報告に来てくれるタイプではないので、案外もう部屋に戻って寝ているのかもしれない。
「そのグリフォンのコインほぼ全てに、血と思われるものが付いていました。これはおかしいと思い、政府に連絡を取ろうとしたのですが……政府内部も混乱を極めていたようで、なかなか連絡が付かず。後になって連絡がきたのです」
パクスミール国に向けて、戦争を仕掛ける意向を表明する文書には、見せしめに小さな村の人々を皆殺しにした旨も記載されていたらしい。脅しや悪戯ではないことを示すためだったのだろうが、何と惨い事をするのだろう。
「グリフォンのコインは、どうやって届いたの?」
「数か月前の届き方と同様です。この神殿に届けるよう、頼まれたパクスミール国の国民が届けてくださいました」
頼んできた者は、声からして恐らく男。長身だったが、体全体をすっぽりと覆うローブを身に纏っていたので、具体的な体形ははっきりとせず、フードを深く被っていたので顔も分からなかったらしい。ちらりと覗く茶色の髪が首筋から見えたのが精々だ。だが、随分気楽な調子で声をかけてきて、「急用ができたから神殿に寄ることができなくなった、大事なものだから届けてくれ」と言われたのだと言う。あまりに自然体だった上、神殿は誰が訪れてもおかしくない場所だ。知らないうちにコインの運び屋として役割を担うことになったその人も、大して疑いもせず引受けてしまったらしい。
「……政府の対応は?」
「急ぎ軍隊の編成を見直して、早急に出陣の準備にかかるそうです。今回は国全体を巻き込みかねない、大戦になるかもしれないというのが政府の見解です。ラコスデント神殿には、軍隊と医療部隊にそれぞれ、支援員の派遣をお願いしたいと通達がありました。それで……」
「……ケイ婆様」
思わず言葉を遮ってしまったが、ケイは速やかに言葉を切った。ガイアの目を見つめ、静かに待ってくれている。
戦争になる。国全体を巻き込んだ大戦。それは、つまり。
「……人が沢山、死ぬの?」
我ながら、随分と当たり前の、幼い問い掛けをしていると思った。何を問うているのだと思う。だが、叱ったり、笑ったりせずに、ケイは眉を顰めて、答えた。
「……戦争とは、そういうものでしょうね」
老婆も、とても辛そうに。
「嫌よ」
ずっと体を支えてくれていたホノオでも支えきれず、膝を折ったガイアがその場に座り込む。目の奥が痛い。喉がカラカラに渇いている。鼻の奥がツンとして、額の方が酷く熱い。なのに、涙は一粒も零れない。顔を覆った。
血塗れの人々が転がる村。焼け焦げた手。爛れていく顔。見たくもない光景が、瞼の裏を走り抜ける。
人が死ぬのは嫌。戦争も嫌い。でもクォーツとベルを傷つけた相手に報復したい。でも自分は魔法を戦うために使いたくなんかない。でも世界は、もう既に、戦争に至る歯車を動かし始めてしまった。
今まで医療部隊への支援員の派遣が主だったはずなのに、既に軍隊――すなわち兵士として、支援員を求められるなど。それだけで戦争の大きさがこれまでと段違いだと言っているようなものだった。とんでもない戦争が始まってしまう。
頭がおかしくなりそうだった。
「嫌。そんなの。嫌」
まるで子供のように、嫌だと言葉を繰り返す。立ち上がる気力もない。やり場のない気持ちを、唇を強く噛んでやり過ごそうとした。口の中に血の味が充満する。しかし、これよりももっと血を流していたクォーツは、先に戦争に巻き込まれたということだろう。そう、戦争はもしかしたらもう、始まっているのかもしれない。
背中に、ケイの温かい手が回って来るのを感じる。体に、ホノオの温かい体温で覆われるのを感じる。
声にならない叫びばかりが、喉の奥でのたうち回った。
拙作をお読み頂きありがとうございます。
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