あとがき
最後までお読みいただきありがとうございました。
AIの文章は読めばわかると言われます。整いすぎている、支離滅裂、誤字がない、他の言語が混じる。本当にわかるのでしょうか。それは証拠になるのでしょうか。逆に、使っていないことを書き手が証明できるのでしょうか。ないことの証明を求められたとき、何を示せばよいのでしょう。
どこからがAIの利用なのでしょうか。かな漢字変換が出してくる予測は。検索の一番上に出てくる要約は。知らないうちに読んでいたものは。誤字チェッカーも広い意味ではAIです。AIと生成AIの区別はどこにあるのでしょう。下調べをAIにさせたら。キャラ設定や話の展開を相談したら。どちらも執筆そのものではありませんが、書いたものは変わります。ニュースも調べものの結果も、AIで生成・加工されたものかもしれません。それらに触れて書いたものは、AIの影響を受けていないとは言い切れません。
こうした問題に対して、投稿サイトは区分を設けた自己申告の仕組みで対処しようとしています。
ただ、申告が正しいかどうかは、読む側はもちろん、書く側にも確かめられないことがあります。知らないうちに使っていた場合や、区分が曖昧な場合です。申告は客観的な事実というよりは、どの区分として扱ってほしいか、その責任は自分が負うという意思表示なのかもしれません。
この申告は何のためにあるのでしょうか。誰かの権利を侵害しているかもしれないからか。仕事を効率化したら評価されるのに、創作ではずるいことになるからか。それとも、人間が書いたということ自体に意味があるからか。生成AIを使わず、著作権も侵害せずに文章を出してくるアプリが作れたとしたらどうなるでしょうか。権利の理由はそこで消えます。アプリの開発や使いこなしが大変だったのなら、ずるいという理由も消えます。それでも嫌だという気持ちが残るなら、その残ったものがたぶん本当の理由です。
贋作とわかった絵は、その途端に価値が減るそうです。絵の具も筆致も描くための労力も、わかる前と変わっていません。変わったのは価値だけです。同じことは文章にも起きます。人間が書いたと思って読んでいたときは良かったのに、AIと知った途端に別のものに見えるのだとしたら、読まれていたのは文章なのでしょうか。それとも「誰が書いたか」という情報のほうでしょうか。
人間も過去に書かれたものを読んで、覚えて、混ぜて書いています。それは学習ではないのでしょうか。機械の学習と人間の記憶はどこで区別できるのか。
選ぶことは書くことなのでしょうか。一行の指示で生成AIに一章を書かせ、それを使うかどうか決めるだけなら、自分で書いたとは言いにくいでしょう。では、言い回しの候補をいくつか出させて、その中から選ぶのはどうでしょうか。辞書代わりに類語を出させるだけなら。それは電子辞書を引くのと違うのでしょうか。紙の辞書をめくるのも、使う言葉を選ぶことにならないでしょうか。
そこで、なぜこの言葉にしたのか、根拠を求められたら全部説明できる。そういう書き方ができないかも考えてみました。本当に自分で書いたのかと疑われる余地を残さないためです。生成AIに書かせたものはこれが説明できません。聞けばAIは理由を返してきますが、それらしい理由を後から作っているだけです。でも、自分で書いたものであってもすべてを明確には説明できません。覚えていない、なんとなく、という部分も多いです。
それなら、選択の根拠が規則で決まっていて、その規則を作ったのが書いた本人だとしたらどうでしょう。生成AIで書いていないことの証明になるでしょうか。なるのだとしても、それは誰が書いたことになるのか。
そういうことを考えながらこの小説を書きました。物語としての結末は作りましたが、それは答えではありません。いくつかの問いは、問いのまま残してあります。
物語の中で示される考え方が書き手の考え方だとは限りません。ただ、AIという題材は何かの主張として読まれることがあると思います。問いを残したまま終えたのは、自分でもどう考えればよいかわからなかったからです。
作中の投稿サイトの規程や作品は架空のものです。
なお、この小説は「小説家になろう」の規程を間違いなく遵守できるように「直接使用」区分とし、本文内にAIが生成したテキストをそのまま直接的に使用している箇所を設けています。




