【2分】信号機【社会SF】
あることろにT字路があった。
交通量はそれなりにあるが、信号はない。
あるのは横断歩道のみだった。
横断歩道の右側は直線道路だが、左側は急カーブなため、建物で視界ゼロ。
左側はほとんど何も見えないのだ。
カーブミラーはあるが、鏡自体が小さいのでハッキリ見えるわけじゃないし、雨の日に至ってはほぼ何も見えない無用の長物と化す。
だからそこは、歩行者が横断歩道を渡るとき自然と足を速める場所だった。
いつ視界の外から車が飛び出してきてもおかしくないのだ。
なぜそんな場所に横断歩道が?
という疑問はもっともだが、この国はこういう危険な横断歩道が少なからずある。
深夜二時。
それは突然の出来事だった。
横断歩道付近で、けたたましい救急車のサイレンが鳴り響く。
翌日、その地域では昨夜の救急車の話題で持ちきりだった。
なんでもホームレスが車に轢かれて死亡したんだとか。
真夏の夜に泥酔して、横断歩道で寝てしまった。
そこを車にひかれた事故だったという話。
それから数日後、横断歩道に変化が起きた。
新しく信号機が設置されたのだ。
実はそのT字路は以前から危険性が指摘されていたが、費用や優先度の問題で信号機の設置が見送られていた場所でもあったのだ。
しかし、今回は違う。
『死亡事故が起きた以上、放置はできない』
そういう空気に染まり、設置は驚くほど早かった。
信号機のランプが頼もしく点灯する。
その日から、その地域の人々は安心して横断歩道を渡ることが出来るようになった。
その様子を、少し離れた場所から見つめる老人がいた。
彼は毎朝の散歩で、いつもその横断歩道にストレスを感じていた。
車の流れ、エンジン音、歩行者の動きや視線。
車が来るかどうかをうまく見極めて、急いで渡らなければならない。
横断歩道を渡るときはいつも命懸けだ。
何もしなかったわけじゃない。
信号機を設置してほしいと何度も要望は出した。
そして何度も却下された。
行政の返事はいつも『検討します』の一言で終わる。
何年も繰り返される無意味な陳情。
そしてある日、老人は悟った。
この横断歩道は”何か大きなイベントが起きないと絶対に変わらない場所”なのだと。
危険がある。
しかし認識されない。
だからそこは”結果”が必要な場所なのだ。
少なくとも、老人はそう認識した。
事故が起きた夜、老人は横断歩道を一度振り返ってから家路についた。
深夜、遠くから救急車のサイレンが聞こえた。
設置された信号機を見上げて小さく頷く。
これでいい、と。
ホームレスの死も、信号機の設置も、老人にとっては一つの因果でしかない。
必要な結果を得るために、必要な出来事が起きただけだ。
ただ一つ、確かなことだけが残っている。
この町は必要な生贄を捧げて、ようやく正しくなったのだ。
老人はこのことに大きな満足感を得ていた。
そしてその満足感の外側で誰かがまだ、その出来事を”事故”と呼んでいた。




