七と三のあいだ
「――次は七だな」
低く、喉を震わせる声だった。
土煙の向こう。
銀灰色の短髪を逆立て、獣耳をぴくりと動かす少年――人狼族の獣人、ガロードが牙をのぞかせて笑う。
七。
それは俺の七敗目を意味する。
現在の戦績は、六対三。
三勝しているのは僕。
六勝しているのは、目の前の獣だ。
僕は赤褐色の髪を汗で濡らしながら、棍棒を握り直す。
地面に片膝をついていたが、ゆっくりと立ち上がった。
まだ終わっていない。
「……まだ六だよ」
そう返すと、ガロードは鼻を鳴らした。
「すぐ七になる」
その足が動く。
考えて踏み込む足じゃない。
獲物を狩る獣の足だ。
速い。
重い。
一直線ではない。
揺れながら、ぶつかる瞬間を本能で選んでくる。
僕は棍棒を構える。
武器の間合いは僕が上。
だが、それを“使わせてくれない”のがガロードだ。
踏み込み。
拳。
衝撃。
脇腹に鈍い痛みが走る。
普通なら倒れている。
だが――僕は踏ん張る。
体幹が軋む。
足裏で地面をつかむ。
棍棒を地面に軽く当て、軸を補強する。
崩された。
でも、折れていない。
僕は半歩だけ下がる。
その半歩が、反撃の距離だ。
横薙ぎ。
低い軌道。
ガロードの膝を狙う。
空を切る。
跳んだ。
本能で危険を嗅ぎ取ったのか。
着地と同時に拳が飛ぶ。
顎。
視界が揺れる。
それでも。
僕は倒れない。
◆
(やっぱり崩れねぇ)
俺は舌で血をなめる。
今の一撃は入った。
だがレックスは立っている。
赤褐色の髪の下、目が死んでいない。
こいつは静かだ。
だが、止まらない。
動きは抑えめに見えて、芯が前に出ている。
俺の拳で軸がぶれても、地面に根を張るみたいに戻る。
体幹が強ぇ。
多少崩しても、次の瞬間には棍棒が来る。
三つ負けた理由はそれだ。
折れない。
俺は考えて戦わない。
匂いだ。
間合いだ。
呼吸だ。
こいつが振る瞬間、重心が落ちる瞬間を嗅ぐ。
そこへ踏み込む。
今もそうだ。
棍棒が振り下ろされる。
速い。
重い。
だが、軌道は読める。
俺は内側へ入る。
拳を叩き込む。
腹。
肩。
二撃、三撃。
だが。
棍棒が下から跳ね上がる。
顎をかすめる。
「……ちっ」
完全には崩せねぇ。
レックスは崩れながらも、必ず何かを返してくる。
「いい軸だな」
思わず口に出る。
レックスが息を整えながら笑う。
「鍛冶屋になるなら、体は大事だからね」
変なやつだ。
戦士になりたいわけじゃない。
鉄を打つために、俺と殴り合っている。
だが――。
いざとなれば戦えるように。
その覚悟はある。
それが匂いで分かる。
◆
僕は距離を詰める。
静かに。
だが、止まらずに。
棍棒を振る。
重心を低く保ち、踏み込みを短く刻む。
ガロードは常に動。
揺れ、跳び、突っ込む。
なら僕は、動の中の静。
軸を崩さず、必要な瞬間だけ爆ぜる。
振り上げ。
打ち下ろし。
フェイント。
一瞬、ガロードの肩が動いた。
ほんのわずか。
僕はそこへ横殴りを差し込む。
だが、拳が先に来る。
こめかみに衝撃。
膝が折れる。
視界が落ちる。
それでも。
地面に手をつく前に、腹筋で止める。
崩れながら、棍棒を薙ぐ。
足払い。
ガロードの足が浮く。
「はっ!」
転倒。
土煙。
同時に立ち上がる。
互いに息が荒い。
遠くで、オルグラート様が腕を組んでいる。
止めない。
助言もしない。
ただ見ている。
領主として、僕たちを静観している。
それが許しだ。
◆
(今の、良かった)
俺は笑う。
崩れながら打ってくる。
普通は守りに入る。
だがレックスは違う。
倒れながら攻める。
芯が折れねぇ。
だから面白い。
俺は踏み込む。
全力だ。
獣の脚力で地面を蹴る。
距離を詰める。
拳を振る。
重い。
速い。
叩き込む。
一撃。
二撃。
三撃。
レックスがよろめく。
だが、倒れない。
棍棒が回る。
静かな軌道。
無駄がない。
腹に当たる。
空気が抜ける。
だが俺は止まらない。
拳を振り抜く。
渾身。
レックスの顎に入る。
身体が浮く。
地面へ落ちる。
動かない。
数秒。
そして。
「……まだ六だよ」
笑いやがる。
くそ。
本当に面白ぇ。
◆
僕は立ち上がろうとする。
だが、足が震える。
視界が揺れる。
ガロードが立っている。
余裕はない。
だが、倒れてもいない。
「七だな」
静かに告げる。
僕は棍棒を握り直す。
最後の踏み込み。
互いに同時。
拳と棍棒が交錯する。
衝撃。
音が弾ける。
そして――。
僕は地面に倒れていた。
棍棒が手から離れる。
視界の端に、ガロードの影。
立っている。
七対三。
「……七、か」
悔しい。
だが、手応えはあった。
崩されても、戻れた。
打ち返せた。
「次は四にする」
僕が言うと。
ガロードは牙をのぞかせて笑う。
「なら俺は八だ」
完全な動。
止まらない獣。
だが、その瞳には評価がある。
俺を強くしようとしている目だ。
七と三のあいだ。
まだ差はある。
けれど。
埋められない差じゃない。
火は消えていない。
鍛冶場の炎のように。
静かに、確かに。
そして。
この七勝目が、
やがて王国を揺らす戦いへつながるとは――。
今の僕たちは、まだ知らなかった。




