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(島津騒動)7

 徳川家康は本多正信に尋ねた。

「お主、噂を流してる奴に心当たりがあるようだな」

 正信は無表情。

「当たりは付けておりますが、確証はございません」

「ほほう、それで」

「下手に接触して、それを豊臣の者に見られたら拙いと思い、

大人しく控えております」

 家康はその言葉を吟味した。

心当たりは一つ。

「それは太閤殿下の旧臣か」


 太閤殿下も当初は家来集めに苦心した。

出自が出自なので、必然的に縁者が中心になった。

もしくは一癖も二癖もある武辺者。

それが出世に伴って人が集まるようになった。

織田家から与力も付けられた。

気付くとその織田家に成り代わって、権力を簒奪していた。

当然、家来も増えた。

新参者が多くなるに従い、揉め事が多くなった。

特に武辺者に手を焼いた。

文武に優れた新参者に追い越され、

後塵を拝するのが我慢できないのだろう。

陣中でも構わずに反抗するようになった。

こうなると太閤殿下でも庇えない。

追放処分を下さざるを得なくなった。

 追放された中でも有名どころは神子田正治と尾藤知宣。

二人の最期は、神子田は晒し首、尾藤は手討ち。

甘んじて大人しく処分を受け入れた者達の多くは健在で、

野に伏して再起の時期を待ち望んでいた。

それはつまり、太閤殿下が亡くなる時期に他ならなかった。


 太閤殿下の死亡と同時にその者達は動いた。

伝手を頼って、豊臣家への復帰を願った。

いかなる形であれと。

養う家族のある者達は必死だった。

時期が幸いした。

丁度、徳川家を警戒する大人衆が家来を増やそうとしていたのだ。

多くが陪臣として雇われた。

 それでも適わぬ者達もいた。

直臣に拘ったからだ。

可愛さ余って憎さ百倍。

彼等は豊臣家を憎むようになった。

一部が極端に走った。

噂の元にも。


 家康は正信に正対した。

「あの連中は足枷にしかならぬ。

近づくな、近づけるな、これを徹底させよ。

それからもう一つ。

当家で旧臣を雇っていないかどうかを調べよ。

この屋敷はないと思うが、関東は分らぬ。

特に陪臣だ。

いたとしたら、密かに見張りを付けよ。

しっかり頼むぞ」


 正信はその場で文を書くと、忍びを呼び寄せてその文を託した。

「服部半蔵本人に直に手渡せ。

返事がある筈だから必ず持ち帰れ」

 直ちに関東へ走らせた。

見送ると家康に向き直った。

「殿、お加減は如何ですか。

そろそろお疲れではないですか」

「まあまあだな。

房事は無理だがな」

 苦笑いの家康に正信が言う。

「手を伸ばした先の事情をお聞きになりますか」

 大老四家の内情を探らせていた。


 まずは上杉家。

徳川家にとっては最も脅威となるのが上杉家。

その上杉家が北にある限り、徳川家は大坂に攻め上がれない。

「上杉家の穴を探らせる為に忍びを送りましが、

残念な事に一人として戻りません」

 上杉家の忍び衆、軒猿に補足されたのだろう。

無理もない。

上杉家は元々は長尾家と言い、長らく越後に根を張ったお家。

上から下まで人材に事欠かない。

それを家康は当初から想定していたので無理難題は言わない。


 二つ目は前田家。

大坂に攻め上がった際、徳川勢の脇腹を突けるのが前田家。

大々名ではないので、徳川家に比べて兵力は然程でもないが、

求心力が侮れない。

一言声を掛ければ近隣の大名衆を糾合できる。

「こちらは忍びを送り込めました。

・・・。

が、残念な事に付け入る隙はありません。

利家夫妻ある限り、無理としか申せません」

 こちらも当初から想定していた。

正信の言を素直に受け入れた。


 三つ目は宇喜多家。

大老の中では最も軽い家。

それでも領地のある位置には困りもの。

大坂の背後にあるので目障りにしかならない。

「宇喜多家の家中に争乱の種を植え込みました。

どちらが勝つか負けるかは分かりませんが、ひと騒ぎは起きます」

 宇喜多家は先代の策謀で大名に成り上がった。

その家に策謀を仕掛けるとは。

家康は思わずほくそ笑んだ。


 四つ目は毛利家。

西最大の大々名にして大老筆頭。

公儀を率いる立場にあるのだが、当主は然程でもない。

怖いのは支える縁者や重臣達。

上杉家と同様に人材に事欠かない。

主従が一枚岩である限り、慎重を期す必要があった。

「幸いにして相続問題が今もって燻っておりました。

そこへほんの少し、手をいれました」


 毛利家の相続問題で当主、毛利輝元の力量が知れた。

男子が生まれないのに困った輝元は養子を取った。

そこへ待望の男子が生まれた。

輝元は嫡男誕生を嬉しく思う一方、養子の扱いに困った。

養子は毛利氏一族の有力者の子。

扱いを間違えれば毛利氏の分裂に繋がる。

争いを避けるには、養子への分地しかない。

しかし、出来るだけ分地は少なく済ませたい。

輝元の思惑で、養子の実家との交渉が難渋した。

傍目からすると無様の一言。

 見兼ねた太閤殿下が介入した。

養子への分地を、二ヶ国割譲で決着させた。

ところが、太閤殿下の死去により、有耶無耶になった。

それは、今もって有耶無耶のまま。

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