(始まりは突然に)2
ごめんなさい。
投稿は不定期になります。
与太郎の姿を認めると、取次役方が大広間の者達に告げた。
「上様、お成りです」
一斉に衣連れの音。
大広間の全員が平伏する中、与太郎淀ママ一行が入った。
間に御簾が下ろされているが、座敷の様子は良く見えた。
おっさんばかり。
与太郎と淀ママが一段高い上座に腰を下ろすと、
随行していた面々もそれぞれの配置に付いた。
御簾が上げられた。
淀ママが上座の前に控えていた家老に尋ねた。
「なにやら大老の方々が困っているそうですね」
家老、片桐且元が小声で淀ママに説明した。
「方々が、大老の徳川殿が御掟を破られたと、
そう申してこの騒ぎになりました」
亡くなった秀パパが遺したのが御掟五ヶ条と、御掟追加九ヶ条。
御掟の第一条で、上様の許可なき大名間の縁組を禁じていた。
この上様とは秀パパを指す。
パパ亡き今は、たぶん自分、秀頼・・・やないかな。
徳川家康が五つの縁組を行った。
自分の六男と伊達家の長女。
養女と加藤清正。
養女と黒田長政。
養女と蜂須賀家の嫡男、至鎮。
養女と福島家の養子、正之。
これに五奉行が反発した。
天下国家の政を預かるのが五大老であるのに対し、
五奉行は豊臣家を預かる立場、その視点から家康を糾弾した。
御掟を破っていると。
当然、家康が憤慨して大きな騒ぎに発展した。
危機感を持った家康以外の四大老と三中老が乗り出した。
仲介ではない。
日頃から家康に猜疑心を抱いていたのだ。
これ幸いと五奉行側に立ち、家康を非難した。
すると対抗するように、渦中の伊達家、蜂須賀家、福島家、
養女を出した小笠原家、松平家、水野家、保科家が加わり、
家康側に立つ事を鮮明にした。
そして、家康が政務を執り行う伏見城にそれぞれの兵を入れた。
傍目にも武力衝突寸前と知れた。
おお、おとろしいな。
その結果が今日の大坂城であった。
与太郎への挨拶を終えると、ゴングが鳴った。
前田利家が口火を切った。
「徳川殿、我ら一同、見苦しい釈明などは聞きたくない。
そう思われぬか、方々」
家康も負けてはいない。
「釈明ではござらん。
この赤心を上様にお届けしたいので伏見より罷り越した」
大勢の大名衆が見守る中、当初から両者がヒートアップ。
互いを非難し、自分が正しいと主張した。
むさくるしい大人の罵り合いに与太郎も淀ママも困惑。
片桐は首を捻るばかり。
与太郎は暇に飽かせて【第三の目上級】起動。
鑑定、探知、察知を重ね掛け。
対象は大広間の者達。
自分への好感度を計った。
サーチ、解析。
好感度上限は百。
七十以上で青色。
三十以下で赤色。
黄色はその中間。
青色は、豊臣家の直臣全てと、
四大老三中老五奉行とその系列の大名衆。
多くの大名衆は日和見の黄色。
どちらにも転ぶ色だ。
家康も黄色。
おそらく、瀬踏みをしている段階やないかな。
今のところ赤色はない。
ほほー、だとすると現在は、豊臣政権内の派閥争いの真っ最中か。
所謂、秀パパ子飼いの大名衆の仲間割れ。
石田三成に代表される文治派、加藤清正に代表される武功派。
これに手を突っ込む五大老。
間に挟まれて困った三中老。
そして行き着いた場がここと。
あかんやないか。
邪魔くっさいな。
家康は手強い。
かつて、秀パパを小牧・長久手にて打ち破ったという実績から、
抗議する五奉行と四大老相手に一歩も引かない。
経験に加え、大領にも裏打ちされていた。
武蔵、相模、伊豆、上総、下総、上野、下野。
六か国と飛び地を合わせた石高は二百五十万石を超えていた。
むべなるかな。
前田利家も、毛利輝元も、上杉景勝も、歴戦の武士。
弓馬働きにしても、采配者としても負けてはいない。
しかし、石高が違った。
石高が違えば動員力、継戦能力に差が出る。
それを知っているので家康は臆さない。
口にしないが、喧嘩なら買うぞと態度で示した。
家康だけでなく、多くの者が大事な事を見逃していた。
家康は秀パパを小牧・長久手にて破ったのは事実だが、
それはただの局地戦。
秀パパは外だけでなく内にも敵を抱えていた。
その中でのたった一つの敗戦。
秀パパは気にも留めなかった。
戦略家の秀パパに比べれば家康はただの地方大名。
人たらしで翻弄し、遂には臣従させた。
そして大事なのが徳川家が朝鮮へ出兵していない事だ。
秀パパが家康に気を使ったのは事実だろう。
それが今回は活かせる。
秀パパの子飼いや西の大名衆は渡海して異国で戦った。
それが正しいかどうかは別にして、彼等は経験を積んだ。
比して徳川家は関東の開発に勤しみ、戦場から遠ざけられた。
死地を潜り抜けた兵力を持つ豊臣の子飼いと西の大名衆。
対して温い湯に浸かっていた徳川家と東の大名衆。
豊臣家子飼いの大名が、文治派と武功派に分裂したが、
徳川家に比べれば些細な事だろう。