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先見の明
戦いの主力が、巨大戦艦ではなく航空母艦にあるというのは、正に先見の明としか言いようが無かった。
日露戦争におけるバルティック艦隊撃破以来、「戦艦こそが海の王者」と言う認識が日本海軍内部の「艦隊派」と呼ばれる面々にはあった。勿論、彼等は大正11年のワシントン会議、昭和5年のロンドン会議と言う2つの軍縮条約によって、戦艦の保有比率が米国5:英国5:日本3となっていた事にも、不満を持っていた。
英国で生まれた30.5㎝砲10門を搭載した「ドレッドノート」が進水し、日本も戦艦長門や陸奥を生み出していたが、それでも大艦巨砲主義の勢いは止まらず、超ドレッドノート級戦艦建造に多額の戦費を費やす事になって行く。
そうした中で、米国大陸のパナマ運河を通れない程の大型戦艦大和や武藏は生まれた。既に時代は大艦巨砲主義ではなく、航空戦が主流となっていた。それを実証したのが、皮肉にもパールハーバー攻撃であったのである。




