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『価値なしと呼ばれた第二王子は、王都の裏側で灯りを灯す』  作者: 伊佐波瑞樹


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第73話



 風灯りと水灯りを、初めて外へ出す朝。


 ロイドの店の中は、いつもより少しだけ早く動き始めていた。


 扉はまだ開いていない。


 通りの人声も少ない。


 朝の光は薄く、棚に並んだ灯り石の表面を静かに撫でている。


 作業台の上には、布に包まれた二つの試作品が置かれていた。


 風灯り。


 水灯り。


 まだ正式名ではない。


 けれど、店の全員がもう、その名で呼び始めていた。


 風を見る灯り。


 水を見る灯り。


 帰り道を守るために作られた、最初の灯り。


 ロイドは、その布包みを見ているだけで、胸が落ち着かなかった。


 昨日は店内試験だった。


 扉を開けて弱い風を入れ、水を張った器で揺れを見るだけだった。


 それでも十分緊張した。


 だが今日は違う。


 外へ持っていく。


 黒羽の操作線には近づかない。


 旧測量坑道の入口にも近づかない。


 井戸のW二にも、排水溝のE三副にも、まだ持っていかない。


 あくまで、安全区域。


 普通の風が吹く場所。


 普通の水が流れる場所。


 それでも、店の外だ。


 そこには予測できないものがある。


 人の目。


 通り風。


 湿気。


 足音。


 声。


 そして、もしかしたら黒羽の視線。


「……大丈夫か?」


 ロイドは、つい聞いてしまった。


 誰に向けたのか、自分でも曖昧だった。


 ミラは作業台の前で布包みを確認している。


 セドは試験表を見直している。


 ガルドは道具箱の中身を整えている。


 エルマは椅子に座り、地図ではなく、今日は試験区域の簡単な図を見ている。


 全員が、ロイドの声を聞いた。


 ミラが顔を上げる。


「大丈夫かは、試す」


「そうだな」


 ロイドは苦笑した。


「試す前から大丈夫って言えたら、試験いらないもんな」


「うん」


 ミラは布包みに手を置く。


 その手は、ほんの少しだけ緊張しているように見えた。


 本人は表情を変えない。


 でも、ロイドには分かる。


 ミラは怖いのだ。


 自分が作ったものを、外へ出すことが。


 人の前で試すことが。


 役に立つかどうかを見られることが。


 そして、もし役に立たなかった時、自分の中で何かが折れるかもしれないことが。


「ミラ」


「うん」


「失敗しても、試験だからな」


「昨日も言った」


「今日も言う」


「しつこい」


「知ってる」


 ロイドは少しだけ笑った。


「でも、言う。外で失敗しても、今日は安全区域だ。駄目なら戻ればいい。直せばいい。誰も責めない」


 ミラは黙って聞いていた。


 セドも、ガルドも、エルマも、口を挟まない。


 ロイドは続けた。


「それと、成功しても急がない」


 ミラの目が少し動く。


「成功しても?」


「ああ」


「成功したら、次に行きたくなる」


「そう」


 ロイドは頷いた。


「だから止める。俺も、ミラも、セドも、みんなで止める」


 ミラは少しだけ布包みへ視線を落とした。


「分かった」


「本当?」


「うん」


「外でちゃんと止まれる?」


「ロイドも」


「俺も止まる」


「約束」


「ああ、約束」


 その言葉で、店の空気が少しだけ落ち着いた。


 セドが試験表を持ち、静かに言った。


「本日の目的を確認します」


 ロイドは小さく息を吐く。


「来たな、確認」


「必要です」


「分かってる」


 セドは読み上げる。


「一、風灯りを安全な通り風で試す。二、水灯りを安全確認済みの浅い水路で試す。三、黒羽の操作線、旧測量坑道入口、井戸W二、排水溝E三副には近づかない。四、観測者が変化を判別できるか確認する。五、周囲に不審者が出た場合、試験を中止して戻る。六、成功しても次段階へ進まない。七、全員帰還」


 ロイドは最後の項目に頷いた。


「よし」


 ガルドが低く言う。


「試験場所は二箇所だ」


 一つ目。


 店の裏手にある細い路地。


 風が通るが、人通りは少なく、黒羽の操作線とは関係ない場所。


 二つ目。


 店から少し離れた高台の小さな排水溝。


 雨水用で、東水路とは直接繋がっていない。


 浅く、水量も少ない。


 バーツが昨日確認し、安全な水の流れだと判断した場所だ。


「まず、裏路地で風灯り」


 セドが言う。


「次に、高台の排水溝で水灯り」


「順番は?」


 ロイドが聞く。


「風灯り、水灯り。両方終えたら店に戻って整理します」


「現場で議論しない」


「はい」


 ミラが短く言う。


「外で直さない」


 ガルドが頷く。


「そうだ。直したくなっても店へ戻ってからだ」


 エルマがミラを見る。


「現場で手を入れる職人ほど危ないものはないよ」


「うん」


 ミラは素直に頷いた。


「今日は、見るだけ」


 それが今日の方針だった。


 作ったものを外へ出す。


 でも、外で作り込まない。


 変化を見て、戻る。


 その繰り返し。


 帰り道を描くための、最初の外試験だった。


 


 店の裏手の路地は、朝の冷たい風がよく通った。


 建物と建物の間を抜ける細い道。


 石畳は乾いている。


 水路の青い染みもない。


 黒羽の印もない。


 それでも、ロイドは周囲を何度も確認してしまう。


「不審者なし」


 セドが低く言った。


「今のところ」


 ロイドが言う。


「はい。今のところ」


 ガルドが少し離れた場所で腕を組み、路地の出口を見ている。


 エルマは店の裏口近くに椅子を置き、座って見守る形だ。


 長く立たせない。


 ミラがそう決めた。


 エルマは最初文句を言ったが、最終的には受け入れた。


「年寄り扱いされるのも慣れてきたよ」


 そう言いながらも、少しだけ嬉しそうだった。


 ミラは風灯りを両手で持っていた。


 小さな木枠。


 中の羽根板。


 奥の灯り石。


 昨日より少し改良され、弱い風でも光の揺れが見やすくなっている。


 だが、外の風は店の中とは違う。


 方向も強さも一定ではない。


 ミラは風灯りを壁際の台に固定した。


 ガルドが枠の角度を調整する。


「ここでいいか」


「少し右」


「こうか」


「うん」


 風が通る。


 風灯りの光が、ちらりと揺れた。


 ロイドは息を止めた。


 昨日と違う。


 光が、ただ揺れるのではなく、風の強さに合わせて細かく震えている。


 弱く。


 強く。


 少し止まり。


 また揺れる。


「……見える」


 ロイドが言った。


 ミラの肩が、ほんの少しだけ緩んだ。


「本当?」


「うん。店の中より分かる」


 セドも記録する。


「外部弱風、視認良好。光のちらつきは不規則だが判別可能」


 エルマが目を細める。


「通り風なら十分だね」


 ガルドが枠を見る。


「ただ、横風には強いが、下からの風には鈍いかもしれねぇ」


「試す」


 ミラが言いかける。


 ロイドがすぐに言った。


「今日は外で直さない」


 ミラはぴたりと止まる。


「……うん」


「戻ってから」


「うん」


 ガルドも頷く。


「今のは記録だけだ」


 セドが書く。


 横風反応良好。


 下方風への反応は未確認。


 改良候補、羽根板下部の開口。


 ロイドはその記録を見て、少し安心した。


 止まれた。


 ミラも、ガルドも。


 外で直したい気持ちを止められた。


 それは小さな成功だった。


 次に、断続風を試す。


 路地の出口でガルドが板を動かし、風の流れを少し遮る。


 風灯りの光が、ちら、ちら、と途切れた。


 昨日の店内試験より、ずっと生々しかった。


 自然の風が急に途切れる。


 戻る。


 また途切れる。


 ロイドは無意識に眉を寄せた。


「嫌な感じ、する」


「昨日と同じ?」


 ミラが聞く。


「昨日より強い。外だと、本当に誰かが途中で息止めてるみたいだ」


 エルマが低く言う。


「いいね。異常として分かりやすい」


 セドが記録する。


 断続風、観測者に不自然感あり。異常判別に有効。


 ミラは風灯りをじっと見ている。


 嬉しそうではない。


 真剣だった。


 自分の作った道具が、怖さを伝えている。


 それをどう受け止めればいいのか、迷っているようにも見えた。


 ロイドは声をかけた。


「ミラ」


「うん」


「怖いって分かるのは、悪いことじゃない」


 ミラが顔を上げる。


「怖がらせるためじゃなくて、危ないって気づくためだろ」


「うん」


「なら、ちゃんと役に立ってる」


 ミラは少しだけ目を伏せた。


「うん」


 その返事は、いつもより少し小さかった。


 


 風灯りの試験は成功だった。


 少なくとも、安全区域での通り風、弱風、断続風には反応した。


 ただし、下方からの冷気や、湿った風には未確認。


 現場周辺へ持ち込むには、まだ早い。


 それが結論だった。


 ロイドたちは、予定通り店へ一度戻った。


 外で話し込みたい気持ちもあった。


 しかし、戻る。


 記録する。


 水を飲む。


 休む。


 そして次へ。


 それもまた、今の店のルールだ。


 店内で、セドが試験結果を読み上げる。


 ミラは風灯りを布の上に置いた。


 ガルドは枠の歪みを確認するが、いじらない。


 ロイドはそれを見て言った。


「ガルドさんも、外で直さなかったな」


「当たり前だ」


「本当は直したかった?」


「かなりな」


 ロイドは笑った。


「正直」


「嘘ついても仕方ねぇ」


 ミラが短く言う。


「えらい」


 ガルドは顔をしかめた。


「……もう、それに反応しねぇぞ」


「反応してる」


「してねぇ」


 店内に小さな笑いが起きる。


 セドも目元を少し緩めた。


 試験は緊張する。


 だが、この笑いがあるから続けられる。


 ロイドはそう思った。


 


 次は、水灯りの安全区域試験だった。


 高台の小さな排水溝。


 東水路とは直接繋がらない、雨水用の浅い流れ。


 水は透明で、青い光もない。


 バーツが事前に確認してくれている。


 それでも、ロイドは慎重だった。


 水を見ると、どうしても東水路の逆流を思い出す。


 青い光。


 子供の声。


 崩れた石橋。


 外縁弁室の冷たい水。


 足元を流れる不気味な感覚。


 胸の奥が少し硬くなる。


「ロイドさん」


 セドが声をかける。


「はい」


「息が浅いです」


「……よく見てるな」


「はい」


「水、見るとちょっとな」


「無理をする必要はありません」


「いや、見る」


 ロイドは深く息を吸った。


「今日は安全な水だ。分かってる」


 ミラが水灯りを持ちながら言う。


「怖いなら、少し離れる」


「大丈夫」


「本当?」


「……少し離れる」


「うん」


 素直に言えた。


 それだけで、ロイドは少し楽になった。


 無理に近づく必要はない。


 自分の怖さを認めて、距離を取る。


 それも帰るための技術だ。


 バーツは排水溝のそばに立ち、短く言った。


「ここまで」


 ロイドは頷く。


「はい」


 ミラが水灯りを浅い流れに近づける。


 直接水へ沈めるわけではない。


 持ち手を使い、振動板だけを水面近くに当てる。


 ガルドが支え、セドが記録する。


 エルマは少し離れた場所から見守る。


「始める」


 ミラが言った。


 水は静かに流れていた。


 水灯りの光は、かすかに揺れる。


 店内試験とは違う。


 自然の水は、思ったより複雑だった。


 小さな段差で揺れ、石に当たり、細かく流れを変える。


 水灯りの光も、それに合わせてゆらゆらと揺れ続けた。


「……ずっと揺れてる」


 ロイドが言う。


「はい」


 セドが記録する。


「自然流水では常時揺れあり。異常との判別が課題」


 ミラの顔が真剣になる。


「分かりにくい」


「でも、通常の揺れ方は分かる」


 エルマが言う。


「まず普通を知るんだよ」


 ミラは頷いた。


「普通」


「そう。異常だけを見ても、異常かどうかは分からない。普通の水がどう光るかを覚える」


 ロイドはその言葉に深く頷いた。


 普通を知る。


 それは、この数日の自分たちの動きにも似ている。


 黒羽は普通に紛れる。


 だからこそ、普通の人の動き、普通の風、普通の水を知る必要がある。


 普通を知らなければ、異常は見えない。


 ミラは水灯りの光を見続けた。


 長い沈黙。


 水の音。


 遠くの通りの声。


 風の音。


 誰も急かさない。


 やがて、ミラが小さく言った。


「普通、覚える」


 セドが記録する。


 水灯り、安全区域試験。


 自然流水の通常揺れを観察。


 異常判別には通常揺れの記録が必要。


 次に、バーツが小さな板で流れを少し遮った。


 安全な範囲で、人工的に水の流れを変える。


 水灯りの光が、一瞬止まり、横へ揺れた。


 ロイドにも分かった。


「今のは変わった」


「はい」


 セドも頷く。


「遮断時、光の揺れが一瞬停止後、横揺れ」


 ミラが持ち手に指を当てる。


「震えも止まる」


「光より先?」


 ロイドが聞く。


「同じくらい」


「店の中より遅い?」


「うん」


 ガルドが言う。


「自然の流れがあるからだ。雑音が多い」


「雑音?」


「余計な震えだ」


 エルマが頷く。


「現場はもっと雑音が多いだろうね」


「じゃあ、もっと分かりやすくしないと」


 ミラが言う。


「そうだね」


「でも、今は直さない」


 ロイドが先に言った。


 ミラは少しだけロイドを見る。


「うん」


「戻ってから」


「うん」


 止まれた。


 また一つ。


 水灯りの試験は、風灯りほど明確な成功ではなかった。


 自然流水では揺れが多く、異常との判別が難しい。


 しかし、流れが遮られた時の変化は拾えた。


 通常揺れの記録が必要。


 持ち手の振動は有効だが、雑音対策が必要。


 それが結論だった。


 ロイドは少し悔しそうなミラを見て、声をかけた。


「失敗じゃないぞ」


「分かってる」


「本当?」


「うん」


 ミラは水灯りを布で丁寧に拭きながら言った。


「普通が分かった」


「うん」


「普通が分からないと、異常が分からない」


「そうだな」


「だから、進んだ」


 ロイドは笑った。


「ミラが自分で言えたなら、大丈夫だ」


「うん」


 ミラは小さく頷いた。


 


 店へ戻る頃には、昼を少し過ぎていた。


 店の前には、何人かの客がいたが、貼り紙を見て静かに待っていた。


 本日午前、試験対応のため短時間休業。


 午後、状況を見て開店。


 店主ロイド


 以前なら、文句を言う者もいたかもしれない。


 だが今は、誰も扉を叩かない。


 街の人々も、この店が何かを抱えて動いていることを知っている。


 もちろん、すべてではない。


 黒羽や封鎖弁のことは知らない者も多い。


 それでも、水路の後、店の貼り紙は信頼されるようになっていた。


「戻った」


 誰かが言う。


「おかえり」


 別の声。


 ロイドは少し驚いて、そして笑った。


「ただいま」


 自然に返した。


 その言葉に、通りの空気が少し和らぐ。


 ただいま。


 店へ戻る。


 全員で戻る。


 それが今日もできた。


 ロイドは胸の奥で、そのことを噛みしめた。


 


 午後は、店内で結果整理が行われた。


 風灯り。


 安全区域の通り風では有効。


 弱風、中風、断続風の判別可能。


 下方風、湿気、冷気への対応は未確認。


 水灯り。


 安全流水で通常揺れを観測。


 遮断時の変化は判別可能。


 自然流水の雑音対策が課題。


 持ち手の振動は有効だが改良必要。


 セドが整理し、ミラが補足し、ガルドが構造面を指摘し、エルマが現場での見え方を語る。


 ロイドは、分からないところでちゃんと分からないと言った。


「水灯りの通常揺れと異常揺れ、俺にはまだ難しい」


「記録」


 ミラがすぐ言う。


 セドが書く。


 非専門観測者には通常揺れと異常揺れの判別困難。


 視認補助が必要。


「視認補助?」


 ロイドが聞く。


「例えば、基準になる印をつける」


 セドが言う。


 ミラが水灯りを見て頷く。


「光の幅」


「幅?」


「普通の揺れなら、この範囲。異常なら、外れる」


 ガルドが感心したように言う。


「目盛りか」


「うん」


「いいな」


 エルマも頷く。


「ミラベルの道具にも目盛りがあったよ」


「本当?」


 ミラが少しだけ顔を上げる。


「ああ。怖がりだからね。感覚だけに頼らず、目盛りをつけた」


 ミラは小さく頷いた。


「目盛り、つける」


 ロイドはその様子を見て、また思う。


 繋がっている。


 十年前のミラベルの工夫が、今のミラの手に繋がっている。


 消えたはずの技師の知恵が、灯り石屋の作業台で息を吹き返している。


「……すごいな」


 ロイドが呟く。


 ミラが見る。


「何が?」


「何か、ちゃんと受け継いでる感じがして」


 エルマが静かに微笑んだ。


「そうだね」


「これ、ミラベルさんとカイゼルさんが見たら、また文句言いますかね」


「言うね」


 即答だった。


 店内に笑いが起きる。


 エルマも笑った。


「でも、よくやったって言うよ」


 ミラは水灯りを見つめた。


「まだ」


「まだ?」


「まだ、言われるには早い」


 ロイドは少し笑った。


「じゃあ、言われるところまで作ろう」


「うん」


 


 夕方、ルイスから短い覚書が届いた。


 そこには、古い携帯風圧灯の目盛りについての記録があった。


 ――携帯風圧灯には三段目盛りあり。


 ――通常風、注意風、危険風。


 ――測量班は色ではなく揺れ幅で判別。


 ――暗所では小さな反射板を併用。


 ――水流聴石には振動基準環あり。


 ――通常振動の範囲を指で覚える訓練記録あり。


 セドが読み上げると、ミラはすぐに水灯りを見た。


「基準環」


「作れそうか?」


 ロイドが聞く。


「作る」


 ミラが言う。


 ロイドはすぐに付け足す。


「明日以降な」


「うん」


 ガルドが頷く。


「反射板も必要だな。風灯りは暗所で見えづらい」


「暗所試験は?」


 セドが言う。


「店内でできます」


 ロイドは少し驚いた。


「今日やるのか?」


 ミラは考えた。


 試作品を見る。


 記録を見る。


 自分の手を見る。


 そして、首を横に振った。


「今日は、やらない」


 ロイドはほっとした。


「えらい」


 ミラは少しだけロイドを見る。


「言われるの、少し分かった」


「嬉しい?」


「少し」


 ロイドは笑った。


「そっか」


 セドはルイスへの返答を書く。


 ――安全区域試験を実施。


 ――風灯りは弱風・断続風を視認。


 ――水灯りは通常揺れと遮断変化を確認。


 ――水灯りには目盛り・基準環が必要。


 ――暗所反射板の記録に感謝。


 ――次段階は店内改良後。


 最後に一行。


 ――全員帰還。


 ロイドはその文字を見て、頷いた。


「やっぱり、それ大事だな」


「はい」


 セドは静かに答えた。


 


 夜。


 店の中は、久しぶりに少し穏やかだった。


 もちろん、問題は山積みだ。


 風灯りも水灯りも未完成。


 黒羽の操作具はまだ街の中にある。


 封鎖弁も向こうの手で動く。


 旧測量坑道へ入るには、まだ遠い。


 それでも、今日は一つの区切りだった。


 風灯りと水灯りが、初めて外の風と水を見た。


 失敗もあった。


 課題も見つかった。


 だが、戻ってきた。


 全員で。


 ミラは作業台の前で、二つの試作品に布をかけた。


 昨日よりも、手つきが少し落ち着いている。


 ロイドは横で言った。


「お疲れ」


「うん」


「怖かった?」


「怖かった」


「でも、できたな」


「うん」


「明日は?」


「直す」


「急がず?」


「急がず」


「一人で?」


「やらない」


「よし」


 ミラは少しだけ目を細めた。


「しつこい」


「知ってる」


 二人のやり取りに、セドとガルドが小さく笑う。


 エルマは椅子で茶を飲みながら、静かに言った。


「いい試験だったよ」


 ミラは振り返る。


「本当?」


「ああ」


 エルマは頷いた。


「ミラベルなら、まず普通の風を見ろって言う。カイゼルなら、普通の水を聞けって言う」


 一拍。


「今日は、それをした」


 ミラは何も言わなかった。


 ただ、小さく頷いた。


 その表情は、いつもと同じようで、少しだけ違った。


 自分が作ったものが、怖い。


 でも、外へ出せた。


 普通の風を見た。


 普通の水を見た。


 異常を知るために、普通を覚えた。


 それは小さな一歩だった。


 けれど、確かな一歩だった。


 ロイドは店の灯りを少し落とした。


 外の通りは夜へ沈んでいる。


 遠くで水路の音がする。


 工房街の炉の音も、今日は少し穏やかに聞こえる。


 黒羽はまだいる。


 闇はまだ深い。


 けれど、ロイドの店には、風と水を見るための二つの小さな灯りがある。


 未完成で。


 不格好で。


 それでも、外の風と水を知った灯りが。


「明日も、描こう」


 ロイドが小さく言う。


 ミラが答える。


「うん」


 セドも。


「はい」


 ガルドも。


「ああ」


 エルマも静かに頷いた。


「帰り道をね」


 作業台の上で、布に包まれた風灯りと水灯りは、静かに眠っていた。


 次に目を覚ます時、また少しだけ、帰り道を照らすために。

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