空より去る影、終わらぬ航路
若林あおいの操るヘリは、朝焼けに染まりかけた日本海の上空を低く飛んでいた。
ローター音が、ついさっきまで銃声の響いていた世界を塗り替えていく。
玲奈は救出された。
だが、不審船は取り逃した。
ヘリの床に固定された簡易シートに腰を下ろした玲奈は、足に残る金属の輪を見つめている。拘束は完全には解かれていない。鎖の名残が、戦いが終わっていないことを示していた。
「玲奈さん、お体は大丈夫でしょうか」
彩香は向かいに座り、まっすぐに視線を向ける。敬語は崩れない。
「問題ない。命があるだけで十分や」
その言葉に、あかりが小さく息を吐いた。
「本当に、無事でよかったです……」
澄香と澪香は黙ったまま、互いに視線を交わす。
救出は成功。しかし任務は完遂していない。その現実が全員の胸に重く落ちている。
若林あおいが振り返る。
「敵船は北西へ逃走。巡視船が追尾していますが、霧帯に入りました。完全な確保には至っていません」
彩香の表情がわずかに曇る。
「……取り逃がしましたか」
玲奈が静かに言う。
「ええ。けど、焦るな。相手は逃げた。追う立場はこっちや」
その声音には、以前と変わらぬ芯がある。
ヘリの窓の外。
水平線近くに、薄く黒い影が見えた気がした。だがすぐに霧に溶ける。
不審船は消えた。
海の向こうへ。
ヘリが臨時着艦地点へ向かう中、彩香は目を閉じる。
甲板で流れた時間を反芻する。美雪の幻影、足枷の音、巡視船の水柱。
救出は果たした。
だが、黒幕はまだ海の向こうにいる。
着陸。
ヘリの扉が開くと、冷たい潮風が吹き込んだ。簡易医療班が駆け寄る。
「玲奈さん、こちらへ。応急処置を」
「世話かけるな」
担架に乗せられる玲奈を、NSTは一歩下がって見守る。
彩香が深く息を吐く。
「……皆さん、任務は継続です。敵の動きは止まっていません」
「はい」
澄香が短く応じる。
「敵船の航跡、完全には消えていません」
澪香が端末を示す。
あかりが顔を上げる。
「つまり、まだ追えますよね?」
彩香はゆっくり頷く。
「はい。玲奈さんは救出できました。しかし今回の目的はそれだけではありません」
クーデター阻止。
背後にいる組織の摘発。
それが本来の任務だ。
医療テントから、玲奈がこちらを見る。
「彩香」
「はい」
「気負うな。今は救出成功や。それだけで十分や」
彩香は一瞬だけ視線を落とし、そして顔を上げる。
「ありがとうございます。ですが、まだ終わっておりません」
玲奈が薄く笑う。
「ええ顔や。リーダーの顔や」
その言葉が、静かに胸に残る。
遠く、海上保安庁の巡視船が霧の中へ消えていく。
敵船は姿を現さない。
だが痕跡はある。
資金の流れ。通信の断片。接触地点の情報。
戦いは形を変えただけだ。
彩香は日本海を見つめる。
あの海の向こうに、答えがある。
「NST、再編成します。県警との連携を強化。海保とも情報を共有。次は逃しません」
声に迷いはない。
あかりが拳を握る。
「はい!」
澄香と澪香が同時に頷く。
美咲が静かに言う。
「私たちは、まだ走れます」
空はすでに朝へと変わりつつある。
不審船は消えた。
だが物語は終わらない。
玲奈は救出した。
しかし本当の戦いは、これからだ。
日本海は静かに波を打つ。
その下に、まだ黒い航跡が残っているように思えた。
NSTの任務は、続く。




