赤い提灯の下、双子は影を裂く
南京町の夜は、赤い。
提灯の赤。看板の赤。
湯気に混じる香辛料の匂い。
観光客の笑い声と呼び込みの声が、路地を埋める。
だが一歩、裏へ入ると空気が変わる。
赤は温かさじゃない。警告だ。
「この店で、女性の行方不明が増えてる。」
彩香がそう言ったとき、NSTの車内は静かになった。
神戸の中華街の外れ。
古びた中華料理屋。派手な外装のわりに、入口の照明が暗い。
繁盛しているように見えて、客の出入りが妙に一定だった。
店は“表”では中華を出している。
“裏”では資金洗浄と人身売買の中継点。
第三国を経由し、国交のない権威主義国家へ――。
玲奈の線と、また繋がる匂いがする。
迫田ツインズが前に出た。
澪香が客として潜る。
澄香は食材納入業者として裏口から入る。
同じ顔が、別の役割で同時に動く。
それがツインズの強みだった。
見分けがつかないことが、武器になる。
澪香は客席の奥、壁際の席に座った。
注文はありふれた定食。
目線は柔らかく、呼吸は一定。
周囲の会話、厨房の動線、店員の癖。
全部を“普通”の中に溶かして拾う。
一方の澄香は、裏口で箱を下ろしていた。
納品伝票を差し出し、笑顔だけ置いていく。
厨房の床は乾いているのに、奥へ進むほど湿気が濃い。
冷蔵庫のモーター音が低い。
“食材倉庫”がある位置が、音で分かる。
澪香が箸を置いたのは、料理が半分ほど減った頃だった。
(……変。)
舌に残る微かな苦味。
頭の奥が、すっと暗くなる。
眠気。
急激すぎる。
目の焦点が合わない。
(やられた。)
椅子の背に寄りかかる。
視界が提灯の赤に滲んで、遠ざかる。
最後に聞こえたのは、店員の低い声だった。
「……運べ。」
次に澪香が目を開けたとき、そこは地下だった。
不気味な食材倉庫。
冷気。金属の匂い。
天井からは“肉の塊”が吊るされている。
それが何かを考えるのは、やめた。
考えた瞬間に、心が折れる。
縄ではない。拘束具でもない。
だが扉が重く、外から鍵がかかっているのが分かる。
澪香は呼吸を整えた。
(澄香。今、どこ。)
――返事の代わりに、足音。
上から降りてくる靴音が二つ。
扉が開く。
入ってきたのは、澄香だった。
「……澄香?」
澪香が言いかけて、すぐ気づいた。
澄香の顔が、少しだけ違う。
目の光が、澪香そのものだった。
「私、澪香。」
澪香が言った。
澄香――いや“澪香を演じている澄香”が、わずかに頷く。
「入れ替わる。今すぐ。」
双子は、一秒で意思疎通する。
言葉は少ないほど正確だ。
澄香は納入業者の動線を使って地下へ来た。
そして“澪香が捕まった”と見せかけて、逆に地下へ潜り込む。
入れ替わり立ち替わり。
同じ顔が、違う場所で同時に暴れる。
ドアの外で見張っていた男が、澪香の姿を見て油断した。
次の瞬間、澪香の肘が男の喉元に入り、
澄香が死角から足を払う。
動きは綺麗で、迷いがない。
“シンクロ”じゃない。
双子の戦い方は、分業だ。
上階へ上がると、店の“裏”が顔を出した。
帳簿、現金、通信端末。
そして、奥の部屋に怯えた若い女性たち。
彩香が到着したのは、そのときだった。
あかりと美咲も続く。
「解放する。急げ。」
彩香の声は硬い。
臨時リーダーとしての命令。
だが目の奥は焦げるように熱い。
あかりが女性たちを誘導し、
美咲が出口の安全を確保する。
迫田ツインズは厨房を制圧し、
通信端末を押さえる。
そして彩香が厨房の奥に踏み込んだ瞬間――。
床に落ちている白いものが目に入った。
白いグローブ。
カラーガード隊のものに似ている。
玲奈が着けていたものと、同じ質感。
彩香の呼吸が止まる。
さらに、奥の冷蔵区画。
天井から吊られた、あの“肉塊”。
理性が一瞬遅れた。
「――っ!」
彩香が、声にならない奇声をあげた。
普段の彩香なら絶対にしない。
冷静で、情熱は内側に隠す女が、崩れた。
「やめろ……そんな、嘘や……!」
あかりが固まる。
美咲も、迫田ツインズも、言葉を失う。
初めて見る彩香の取り乱し。
それがどれほど玲奈を敬愛しているか、痛いほど伝わった。
澄香が彩香の肩を掴んだ。
「彩香。違う。確証はない。」
澪香が続ける。
「見て。吊ってあるのは“食材”として扱われてる別物。
玲奈さんとは限らない。」
彩香の目に、少しずつ焦点が戻る。
「……くそ……」
グローブを拾う。
白い布地は、冷たかった。
玲奈の痕跡。
だが玲奈本人は、いない。
店は制圧した。
女性たちは救った。
だが、玲奈の線はまた遠ざかった。
外へ出ると、南京町の赤い提灯が、何事もなかったように揺れていた。
観光客が笑う。
夜は続く。
そのとき、明るい声が飛んできた。
「みんな、元気ないなぁ!」
振り返ると、さつきがいた。
珍しく上機嫌。
上品な笑顔が、いつもより柔らかい。
「カラオケビデオの撮影で来ててね。神戸の夜景が似合うって抜擢されたの。」
あかりが目を丸くする。
「さつきさん、カラオケビデオ出るの?」
さつきは少し照れながら、でも嬉しそうに言った。
「祖父が大好きな曲でね。
私が出るって言ったら、すごく喜んでくれて。」
そして、急にスイッチが入る。
「神戸~……泣いてどうなるのか~♪」
歌いだす。
彩香の方を見て、無邪気に笑う。
「彩香~、泣いてどうなるのか~♪」
彩香は、拾った白いグローブを握ったまま、上の空で頷いた。
「あっ。はいはい……。」
迫田ツインズが目を合わせる。
あかりは吹き出しそうになるのを堪える。
美咲は、静かにため息をついた。
赤い提灯の下。
闇はまだ消えていない。
だがNSTも、折れていない。
彩香は歌声を背に、夜の港の方角を見る。
玲奈は、まだどこかにいる。
見失ったまま終われるわけがない。
静かに、しかし確かに。
彩香は次の決断へ歩き出す。
南京町の赤は、温かさじゃない。
――戦いの合図だ。




