海上空港非常線 第27話 橋上の切り札、逃げ道を踏み潰す女 ― ユヅキ・ブリッジラン
海上空港には、逃げ道が少ない。
海に浮かぶ巨大な施設。滑走路、貨物地区、ターミナル、そして本土へ伸びる一本の連絡橋。そこを押さえれば、空港は閉じる。そこを抜かれれば、影は街へ消える。
その夜、黒鷹は連絡橋を狙った。
空港内ではなく、空港から外へ出る寸前。警戒が一瞬だけ緩む地点。空港警察もNSTも、内部の監視に目を向けがちな時間帯だった。
玲奈はモニターを見て、すぐに言った。
「結月を呼べ」
NST正規メンバーではない。
だが、玲奈が全幅の信頼を置くスポット起用の切り札。
大西結月。
香川県観音寺出身、元女子競輪選手。現在はスポーツインストラクター兼戦隊ヒロイン。普段は岸和田方面で活動しているが、必要な時だけNSTに呼ばれる。
代打。
リザーブ。
スーパーサブ。
だが、出た時は試合を決める女だった。
数時間後、結月は海上空港の詰所に到着した。
派手さはない。
落ち着いた表情。
整った姿勢。
足元だけが、妙に強い。
「遅れてすみません」
「十分や」
玲奈は短く返す。
彩香が図面を示した。
「黒鷹が連絡橋の交通規制を悪用して、空港外へ小型端末を抜く気です」
美音が補足する。
「一般車両の流れに紛れます。車で追えば詰まる。徒歩では間に合わない」
梓が淡々と続ける。
「封鎖ポイントは三つ。ですが、完全封鎖すると一般車両に影響が出ます。精密に閉じる必要があります」
里緒が頷く。
「旅客と一般車両には気づかせずに流します。現場調整は任せてください」
玲奈は結月を見た。
「橋の上で切れるか」
結月は即答した。
「切れます」
その言い方に、迷いはなかった。
連絡橋は、夜風が強かった。
本土側の灯り。空港側の灯り。
その間を、車両の赤い尾灯が流れていく。
黒鷹の車両は一台ではなかった。
囮のバン。
一般車に見せかけた運び役。
後方の支援車。
しかも、道路工事を装った一時的な車線規制が入っている。流れは遅い。だが、だからこそ逃げやすい。車が詰まれば、徒歩で端末だけを渡して抜けることもできる。
「ほんま嫌な場所選ぶな」
彩香が吐き捨てる。
玲奈は静かに言う。
「だから結月や」
結月は自転車に乗った。
競技用そのものではない。任務用に調整された軽量車。
加速と小回りを重視し、連絡橋の横風にも耐えられるよう調整されている。
ヘルメットをかぶり、ペダル位置を合わせる。
その横で、里緒が現場の警察側に無線を入れる。
「一般車両は自然減速でお願いします。緊急封鎖には見せないでください。誘導員は通常対応の顔で」
梓は端末を見ながら、秒単位で封鎖位置を計算していた。
「対象車両、橋中央まで七十二秒。結月さんの進入タイミングは四十一秒後。早すぎると警戒されます。遅れると受け渡しが成立します」
「分かりました」
結月は静かに答える。
あかりが思わず言う。
「結月さん、緊張しないんですか?」
結月は少しだけ笑った。
「出番が来た時に緊張してたら、代打は務まりません」
その言葉に、彩香が黙った。
渋い。
この女は、やはり使える。
黒鷹の囮車両が動いた。
わざと車線変更を繰り返す。
監視の目を引く動き。
梓が即座に言う。
「囮です。本命は後方の白い乗用車。助手席の人物が端末を持っています」
里緒が現場誘導へ指示を出す。
「白い乗用車の前方に余白を作らないでください。ただし止めないで」
精密だった。
止めれば騒ぎになる。
流しすぎれば抜けられる。
その中間を作る。
結月が走り出した。
自転車は、音もなく加速した。
連絡橋の端。
横風。
車両の隙間。
舗装の継ぎ目。
普通なら危ないだけの条件を、結月はすべて読んでいた。
車を追うのではない。
車の流れの“先”へ入る。
一台目のバンを無視。
支援車も無視。
ただ白い乗用車だけを見る。
「対象、焦り始めました」
梓が言う。
「まだ閉じないで」
里緒が返す。
「一般車両が抜けてから」
二人の呼吸が合っていた。
梓が封鎖位置を決め、里緒が人間の現場でそれを自然に見せる。
氷の計算と、笑顔の調整。
その真ん中を、結月が走る。
白い乗用車の助手席が開いた。
男が出る。
端末だけを持って、橋上の保守通路へ入ろうとする。
その瞬間、梓が言う。
「今です」
里緒が続ける。
「前方誘導、閉じてください」
現場の誘導員が自然に車線を絞る。
一般車両は混乱しない。
ただ、黒鷹の逃げ道だけが消える。
結月は保守通路側へ滑り込んだ。
自転車を降りない。
速度を落とさず、男の進路へ斜めに入る。
男が立ち止まる。
「なんで――」
結月は静かに言った。
「そこは逃げ道じゃありません」
その背後に美咲。
左右に迫田ツインズ。
後方にあかり。
遠くで彩香が全体を締める。
端末は回収された。
任務完了。
詰所に戻ると、空気は静かだった。
大きな事件にはならなかった。
連絡橋も止まっていない。
旅客も一般車両も、何も知らない。
それが一番の勝利だった。
彩香が結月を見る。
「今回も助かりました。ほんま、出たら決める人ですね」
結月は首を振る。
「私は正規メンバーではありませんから。出番が限られている分、そこに全部合わせるだけです」
玲奈が静かに聞く。
「リザーブの美学か」
結月は頷いた。
「はい。いつ呼ばれても走れるように、いつでも準備しています。出番があるかどうかは分かりません。でも、呼ばれた時に一番いい状態でいる。それが控えの仕事です」
短い沈黙。
「主役じゃなくても、試合を決める場面はありますから」
その言葉は、静かに重かった。
彩香は小さく笑う。
「かっこええな」
あかりも目を輝かせる。
「私もスーパーサブできますかね?」
彩香は即答した。
「お前はまずレギュラーでも控えでも、指示を聞け」
「そこからですか」
「そこからや」
玲奈の口元が、わずかに緩んだ。
海上空港の連絡橋には、また普通の車の流れが戻っていた。
誰も知らない。
その橋の上で、黒鷹の逃げ道が一本、静かに踏み潰されたことを。
大西結月。
代打の切り札。
走る場所を間違えない女。
呼ばれた時だけ現れ、必要な一撃だけを残して去る。
海上空港非常線。
その線は今夜、リザーブの脚で守られた。




