海上空港非常線 第26話 空を読む翼、氷で閉じる網 ― スカイ・フロストライン
海上空港の上空は、いつも風が強い。
海から吹きつける横風。滑走路をかすめる乱流。管制塔の灯りを揺らす夜気。空港の地上にいる者には、ただの風にしか思えないものでも、空を知る者には情報になる。
その夜、不審なドローンが空港外周に接近した。
小型。低空。灯火なし。
単なる盗撮でも、愉快犯でもない。空港の監視死角をなぞるように飛び、制限区域ぎりぎりで旋回を繰り返している。
「飛び方がきれいすぎます」
若林あおいが言った。
ヘリコプター搭乗員。空の守り神。
「素人やないな」
彩香が画面を睨む。
一方、氷室梓は監視室で地上ログを洗っていた。
監視カメラ、車両記録、通信反応、人の滞留。感情を挟まず、数字と動きだけを拾う。
「操縦者は空港外周にはいません」
梓が断言する。
「根拠は?」
玲奈が問う。
「外周カメラに該当する停止車両なし。歩行者の滞留もありません。操縦者は、空港敷地外の高所、もしくは移動体から操作しています」
あおいは空を見たまま言う。
「なら、風の逃げ方で読むしかないですね」
梓が一瞬だけあおいを見る。
「風で分かるのですか」
「分かります。機体は嘘をつけません」
梓は短く答えた。
「では、こちらは地上の嘘を潰します」
二人とも冷静だった。
だが見ている世界が違う。
あおいは空を見る。
梓は地上を見る。
玲奈は静かに言った。
「上と下で挟め」
あおいはヘリに乗った。
夜の海上空港を上から見ると、滑走路灯が海に浮かぶ白い線のように見える。風は西から。海面には細かい波。ドローンはその風を受けているはずなのに、機体の揺れが少ない。
「操縦者、かなり慣れてます」
あおいの声。
「飛行補正が強い。けど、完全自律じゃない。人が触ってる」
梓は地上側で、送信電波の揺れを追う。
「通信反応、断続的。固定位置ではありません」
「車ですか?」
美音が問う。
「可能性が高いです。ただし通常の道路ではない」
梓は地図を拡大する。
「海沿いの業務道路、または立体駐車場上層。遮蔽物で反応が切れています」
あおいが上空から補足する。
「ドローンの旋回が一瞬だけ遅れました。指示が海側から入ってる」
梓の目が細くなる。
「では、立体駐車場ではない。海側業務道路です」
互いの情報が噛み合い始める。
黒鷹の狙いは、ドローンによる空港保安網の測定だった。
ドローンには小型の中継装置が積まれており、空港内の監視カメラと通信設備の反応速度を記録している。今夜は攻撃ではない。次の攻撃のための“採寸”だった。
「気色悪いな」
彩香が低く吐く。
「下見ほど危ないもんはない」
玲奈の声は静かだった。
「今日止める」
ドローンは滑走路外周をかすめ、貨物地区の上を抜けようとした。
撃ち落とせば騒ぎになる。
空港上空で破片を落とせば、旅客にも設備にも影響する。
あおいは追わない。
風を作る。
ヘリの位置を変え、ローター風でドローンの進路を少しだけ外す。
強引ではない。空港の風に、さらに一本細い流れを足す。
「南へ寄せます」
梓が即座に反応する。
「南側なら、操縦者の反応が遅れます。カメラ死角の終点で拾えます」
「何秒?」
「七秒」
「十分です」
プロ同士の会話だった。
無駄がない。
ドローンが揺れる。
操縦者が補正をかける。
その一瞬、通信が強くなる。
梓が拾う。
「出ました。海側業務道路、第三待避所付近」
結月が外周側へ回る。
「向かいます」
美咲が地上通路へ消える。
迫田ツインズが左右の出口を閉じる。
麻衣と里緒は空港内の一般客の流れを崩さないよう誘導する。
あかりは走りたそうにしているが、彩香に睨まれて待機している。
「まだや」
彩香が言う。
「今回は空と氷の仕事や」
あかりは悔しそうに頷いた。
操縦者は車内にいた。
業務道路の待避所。
普通なら誰も気にしない場所。
だが梓の網はそこへ届いていた。
「対象車両確認」
美咲の声。
「運転席に一名。後部座席に機材」
梓が言う。
「逃走経路は二つ。海側へ戻るか、空港外周へ抜けるか」
あおいが上から答える。
「海側は風が強い。逃げるなら外周」
玲奈が短く命じる。
「閉じろ」
結月が外周へ入り、迫田ツインズが前後を押さえる。
美咲が背後。
彩香が正面。
操縦者が慌てて車を出そうとする。
その瞬間、あおいがドローンを安全帯へ追い込んだ。
機体は制御を失わず、しかし目的地から外れ、着地するしかなくなる。
同時に梓が空港警察へ封鎖指示を出す。
「第三待避所、車両停止。一般車両を近づけないでください」
冷たい声。
正確な指示。
操縦者は逃げられなかった。
回収されたドローンからは、空港保安網の反応データが見つかった。
まだ未完成。
だが、もし持ち出されていれば次は本番だった。
仮設詰所に戻ると、彩香が二人を見た。
「今日は見事やったな。上と下で完全に挟んだ」
あおいはヘルメットを置き、淡々と答える。
「空だけでは無理でした」
梓も端末を閉じる。
「地上ログだけでも特定には時間がかかりました」
二人は互いを見た。
派手な笑顔はない。
馴れ合いもない。
ただ、プロとして認め合う沈黙があった。
玲奈が短く言う。
「上と下、両方見えたら強い」
その一言で十分だった。
あかりが小声で言う。
「なんか今日、めっちゃカッコよかったですね」
彩香が頷く。
「こういうのをプロいうんや」
梓が少しだけ眉を動かす。
「通常任務です」
あおいも静かに言う。
「風を読んだだけです」
だが、その“だけ”が誰にでもできるわけではない。
海上空港の夜空は、また静かになった。
滑走路灯が海へ伸び、風が何事もなかったように吹いている。
けれど今夜、その風の中で、ひとつの嘘が暴かれた。
若林あおい。
空から読む女。
氷室梓。
氷で止める女。
二人の冷静さが一本の線になった時、黒鷹のドローンはもう逃げられなかった。




