海上空港非常線 第21話 混ざらない氷、キャプテンの記憶 ― チーム・ケミストリー
海上空港の簡易詰所は、相変わらず殺風景だった。
白い蛍光灯。
古い机。
必要最低限の端末。
窓のない壁。
余計なものは何もない。
任務に必要なものだけが置かれた、仮設の部屋。
NSTのメンバーは、誰一人文句を言わなかった。
だが、任務のない時間だけは少し違う。
麻衣が和歌山のみかん菓子を出し、あかりがコンビニの新作スイーツを広げる。迫田ツインズは妙に洒落た焼き菓子を持ち込み、美咲は静かにお茶を飲む。彩香も「甘いもんばっかり食うな」と文句を言いながら、結局一つ取る。
真砂里緒は、もうその輪の中にいた。
「里緒さん、彩香さんに怒られん方法ってあります?」
あかりが真顔で聞く。
里緒は笑って答える。
「まず怒られる動きを減らそっか」
「それが難しいんですよ」
「そこからやな」
場に小さな笑いが起きる。
彩香は眉をひそめた。
「お前、相談先を間違えとるぞ」
「里緒さんは優しいんです」
「私は正しいだけや」
「それが怖いんです」
「ほな余計に正しく動け!」
いつものやり取り。
詰所の空気は悪くない。
ただ一人だけ、そこに混ざらない女がいた。
氷室梓。
端の机で資料を読み、監視ログを確認し、菓子にも会話にも加わらない。
姿勢は正しい。
仕事は速い。
分析は鋭い。
だが、空気に入ってこない。
彩香は、それが気になっていた。
梓は優秀だ。
それは認める。
だがNSTは、個人技だけで勝つ場所ではない。玲奈の判断、美音の解析、美咲の隠密、麻衣の人流整理、双子の連携、あかりの突貫、里緒の橋渡し。全部が噛み合って初めて成立する。
梓だけが、まだ“外”にいた。
その夜。
彩香は実家に戻った。
姫路の家。
玄関を開けると、父・西川剛史が居間でスポーツニュースを見ていた。
かつて大日本製鉄広畑の名外野手。
都市対抗野球で名を馳せた男。
今は穏やかな父親だが、現役時代の眼光はまだ残っている。
「帰ったか」
「ただいま」
彩香は鞄を置き、少し迷ってから口を開いた。
「お父さん、ちょっと聞きたいことある」
剛史はテレビの音量を下げた。
「珍しいな。仕事か」
「チームのこと」
剛史は表情を変えた。
真面目な話だと分かったのだろう。
「言うてみ」
彩香は、梓のことを話した。
優秀だが馴染まない。
結果は出す。
だが、単独判断が多い。
周囲と距離がある。
扱いづらい。
剛史は最後まで黙って聞いた。
そして、少し厳しい声で言った。
「それは、お前の仕事や」
彩香は黙る。
「その子が馴染まへんのは、その子だけの問題ちゃう。キャップのお前の問題でもある」
刺さる言葉だった。
「実力あるんやろ?」
「ある」
「ほな、なおさらや」
剛史は湯呑みに手を伸ばした。
「都市対抗に出る時な、補強選手が来る。ライバルチームから来る奴もおる。こっちからしたら昨日まで敵や。向こうも向こうでプライドがある。“俺は助っ人やぞ”いう気持ちもある」
彩香は父を見る。
「そういう時、チームが何もせんかったら、そいつは最後までお客さんのままや」
「お客さん……」
「せや。実力だけ借りる。けど心は入らん。そうなると肝心な場面で噛み合わん」
剛史の声は淡々としていた。
だが、重い。
「わしはな、補強選手が来たら必ず最初に飯に誘った。上手い下手の話やない。まず“ここで一緒に戦う人間や”と伝えるためや」
「馴れ合い?」
「ちゃう」
剛史は即答した。
「馴れ合いと居場所を作るんは違う。甘やかすんも違う。むしろ、戦力として本気で使うからこそ、居場所を作るんや」
彩香は黙って聞く。
「その梓いう子は、たぶん自分が呼ばれた理由をまだ納得してへんのやろ」
「せやと思う」
「ほな、言葉で説得しても無駄や。現場で“あんたが必要や”と分からせるしかない」
「どうやって」
「仕事を任せろ。ただし、孤立させるな」
剛史は厳しく言った。
「優秀な奴ほど、一人で答えを出したがる。けど、チームの答えは一人の正解より強い。そこを教えるんはキャプテンの仕事や」
彩香の胸に、重く落ちた。
「お前は怒るのは上手い」
「……それ褒めてへんやろ」
「褒めてへん」
剛史はあっさり言った。
「けど、怒れるのは悪いことやない。現場を締めるには必要や。ただし怒鳴るだけでは人は動かん。特にプライドの高い奴はな」
彩香は苦い顔をする。
「お父さん、きついな」
「お前が聞いたんや」
その通りだった。
剛史は続けた。
「相手のプライドを折るな。使え。
その子が“自分はここで必要とされとる”と思えば、勝手に変わる。
逆に“邪魔者扱いされとる”と思ったら、どれだけ優秀でも壁を作る」
「……難しいわ」
「キャプテンは難しいんや」
剛史は静かに言う。
「外野手は打球を追う。キャプテンは人を見る。
お前は現場キャップなんやろ。なら、怒るだけやなく、人の置き場所も考えなあかん」
彩香はしばらく黙っていた。
そして小さく頷いた。
「分かった」
剛史は少しだけ笑った。
「まあ、すぐ上手くはいかん。まずは声かけろ。飯でも菓子でもええ。相手を“お客さん”で終わらせるな」
翌日。
海上空港の詰所では、また女子トークが始まっていた。
あかりが里緒に相談している。
「里緒さん、昨日も彩香さんに怒られました」
「何したん?」
「待機って言われたので、ちょっとだけ前に出ました」
「それは怒られるね」
麻衣が小さく笑う。
迫田ツインズも楽しそうに菓子をつまんでいる。
美咲は静かに茶を飲んでいる。
梓だけは、いつものように端の机にいた。
彩香はしばらく見ていた。
そして、菓子の袋を一つ持って梓の机へ行く。
「氷室さん」
梓が顔を上げる。
「何でしょう」
「これ、食べへん?」
梓は菓子を見る。
「勤務中ですが」
「待機中や」
「糖分摂取は合理的ではあります」
「ほな食べたらええ」
沈黙。
梓は少し戸惑ったように菓子を受け取った。
彩香はその場を離れなかった。
「氷室さんの分析、うちは評価しとる」
梓の目がわずかに動く。
「ただ、共有が遅い。そこは困る」
「必要な時点で判断しています」
「判断が速いのは分かっとる。せやけど、現場は一人で完結せえへん」
彩香の声は、いつものように荒くなかった。
「うちは、あんたを戦力として使いたい。お客さん扱いする気はない」
梓はすぐには答えない。
遠くで、あかりが空気を読まずに手を振る。
「梓さん、そのお菓子おいしいですよ!」
里緒が笑って止める。
「あかりちゃん、今ええ話してるからちょっと静かにしよっか」
「はい!」
彩香は少しだけ笑いそうになったが、堪えた。
梓は菓子を一つ手に取った。
「……情報共有の場としてなら、参加します」
彩香は頷いた。
「最初はそれでええ」
「馴れ合いは不得手です」
「知っとる」
「非効率な会話も苦手です」
「それも知っとる」
「ですが、現場理解に必要なら参加します」
彩香は少しだけ表情を緩めた。
「十分や」
梓は輪の端に座った。
いきなり馴染んだわけではない。
笑顔もない。
会話も硬い。
だが、あかりが差し出した菓子を受け取った。
「ありがとうございます」
あかりは目を輝かせた。
「梓さんが食べた!」
「動物園みたいに言うな」
彩香が即座に突っ込む。
里緒が笑う。
麻衣も小さく笑う。
迫田ツインズは互いに目を合わせて、面白そうにしている。
美音は少し離れた場所から梓を見ていた。
相性はまだ悪い。
だが、美音も何も言わなかった。
玲奈は詰所の隅でその光景を見ていた。
「少し進んだな」
彩香は振り向く。
「まだ、氷にヒビ入ったくらいです」
玲奈は短く答える。
「それでええ」
氷室梓が変わったわけではない。
まだ硬い。
まだ孤立気味。
まだ正論で空気を切る。
だが、その日、彼女は初めて輪の端に座った。
現場キャップ西川彩香は、父の言葉を思い出す。
――お客さんで終わらせるな。
チームは、強い者を集めるだけではできない。
強い者が、同じ方向を向いて初めてチームになる。
海上空港非常線。
第21話の戦いは、黒鷹相手ではなかった。
混ざらない氷を、どうチームにするか。
それもまた、現場キャップの任務だった。




