白き装いの約束 ― 岡本玲奈・縁談
兵庫県警本部の応接室は、いつもと同じ温度だった。
だが、その空気の中に、ほんのわずかだけ私情が混じっている。
「岡本、無理にとは言わん」
県警幹部である上司は、そう前置きしてから続けた。
「だがな……相手方の父親とは古い付き合いや。筋は通したい」
玲奈は黙って聞く。
「息子さんの方から、お前を指名してきとる」
机の上に置かれた資料。
そこには整った経歴が並んでいた。
非の打ち所がない。
そういう言葉が似合う。
「……どうする」
短い問い。
玲奈はすぐには答えない。
(断る理由はある)
任務。
立場。
今の状況。
だが――
(断らない理由も、ある)
赤嶺家の食卓。
あの温かさ。
そして、自分の現実。
「……お受けします」
静かに言った。
上司は一度だけ頷いた。
「そうか」
それで話は終わった。
――
当日。
神戸市内のホテル。
玲奈は振袖に身を包んでいた。
白を基調に、淡い藍と金の文様。
長身の体に無駄なく沿い、静かに存在感を放つ。
ロビーに足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。
「……誰やあれ」
「映画か?」
視線が集まる。
だが玲奈は気にしない。
いつも通り、まっすぐ歩く。
(……場違いやな)
心の中でだけ、そう思う。
――
個室の扉を開ける。
中にはすでに、三人。
立ち上がった青年が、最初に目に入る。
「初めまして。東條悠真と申します」
整った顔立ち。
無駄のない姿勢。
体つきは引き締まっている。
スポーツをやってきた人間のそれだ。
「……岡本玲奈です」
短く返す。
握手。
力は強すぎず、弱すぎない。
その一瞬で、分かる。
(……ちゃんとした人や)
――
席に着く。
東條の父が笑顔で言う。
「いやぁ、こんな形でご縁が繋がるとは思いませんでした」
玲奈の上司も頷く。
「昔からの付き合いですからな」
二人は旧知の仲だった。
それが、この縁談の背景でもある。
だが、ただの義理ではない。
東條が口を開く。
「実は……以前からお名前は存じていました」
玲奈は視線を向ける。
「警察官としての活躍もそうですが……」
少し間を置く。
「戦隊ヒロインとしての活動も」
驚きはしない。
だが、軽く扱っていないのが分かる。
「現場で判断を下す強さ。あれは、普通の人にはできません」
真っ直ぐに言う。
媚びない。
誇張もしない。
ただ、事実として評価している。
玲奈はわずかに目を細める。
「……ありがとうございます」
――
話は自然に進む。
東條は、いわゆる“完璧な人間”だった。
家柄。
職業。
年収。
どれも申し分ない。
だが、それ以上に――
「学生時代は、ずっと競技をやっていました」
スポーツマン。
大学ではアメリカンフットボール部。
「藤堂隼人をご存じですか」
玲奈が言う。
「ええ、一つ下の後輩です」
軽く笑う。
「真面目でいい選手でした」
隼人補佐官の名前が出る。
それだけで、妙な信頼が生まれる。
――
会話は、途切れない。
無理がない。
沈黙も苦にならない。
東條の両親も、穏やかだった。
「警察のお仕事、大変でしょう」
母が優しく言う。
「ですが、そういう方こそ尊敬に値します」
そして。
「ヒロイン活動も素敵です。応援しております」
偏見はない。
むしろ理解がある。
――
玲奈は、静かに自分を見つめる。
これまで、仕事一筋だった。
男性経験はない。
必要がなかった。
考える余裕もなかった。
だが――
(……悪くない)
そう思っている自分がいる。
東條は、無理に距離を詰めない。
だが確実に、こちらを見ている。
その距離感が、心地いい。
――
食事が終わる頃。
東條が言う。
「すぐに結論を出す必要はありません」
落ち着いた声。
「ですが……もしよろしければ、これからもお会いできればと思います」
率直だった。
玲奈は、少しだけ視線を落とす。
赤嶺家の記憶がよぎる。
笑い声。
温もり。
(……ああいうのも、ええな)
顔を上げる。
「……こちらこそ」
静かに言う。
「よろしくお願いします」
それが答えだった。
――
ホテルを出る。
夜風が振袖の裾を揺らす。
玲奈は、ゆっくり歩く。
心は、不思議なほど静かだった。
影に生きてきた女が、
初めて光の中に足を踏み入れる。
それはまだ、始まりに過ぎない。




