火を絶やすな ― 沈黙のキャプテン
ヒロ室西日本分室の空気は、死んでいた。
大阪府内の雑居ビルの一室。
表向きは戦隊ヒロインプロジェクト西日本分室。だがその奥で、西日本特別諜報班――NSTは動いてきた。動いていた、という過去形に変わりかけていた。
岡本玲奈は謹慎。
NSTは活動休止。
県警本部が下した、その理不尽な決定は、机の上の紙切れ一枚で現場の時間を止めた。
「……ふざけんなよ」
山本あかりが吐き捨てた。
拳を握りしめ、机を睨んでいる。
「助けたんやで? 人質、全員無事やったんやで?」
声が大きい。
怒りを隠す気もない。
美咲も珍しく目を伏せたまま言った。
「……納得、できません」
麻衣も俯いている。
「玲奈さん、何も間違ってへんのに……」
迫田ツインズですら、落ち着きを失っていた。
澄香は壁に寄り、澪香は腕を組んだまま黙っている。二人とも普段より明らかに口数が少ない。
そして、その少し離れた場所で、西川彩香は無言だった。
腕を組み、窓の外を見ている。
何も言わない。
何も動かない。
だがその沈黙は、諦めとは違った。
もっと古い何かを、彩香は見ていた。
――鉄の匂い。
――曇った空。
――巨大な高炉。
大日本製鉄広畑。
父、西川剛史がいた場所だ。
彩香自身は、父の現役時代を知らない。
知っているのは写真と、人づての話だけだ。
鉄鋼不況。
高炉は一基停止。
製鉄所は規模縮小。
職場の空気は冷え切っていた。現場の人間ほど、それを敏感に感じる。昨日まで動いていたものが、ある日から止まる。巨大な設備が黙る時、働く人間の心まで静かになる。
野球部も例外ではなかった。
大日本製鉄広畑。
名門だった。だが、時代の波は平等じゃない。活動は縮小され、新人の獲得も先細る。試合数も減る。しかも他の大日本製鉄の製鉄所では、すでに休部になったチームも出ていた。
「次は広畑かもな」
そんな空気が、チームの中にも広がっていた。
動揺。
諦め。
誰も口にしなくても、それは練習の音に出る。
その時、キャプテンだったのが西川剛史だった。
父は、何も言わなかったらしい。
文句も言わず、会社を罵りもせず、未来を語って夢を見せたりもしなかった。
ただ、走った。
誰よりも早くグラウンドに出て、誰よりも長く練習する。
ノックを受ける。
バットを振る。
走る。
また走る。
黙々と。
淡々と。
若手は最初、戸惑ったという。
だが、練習を休める空気ではなくなった。
キャプテンが一番走っている。
一番苦しい顔を見せずにやっている。
それが、雑音を消した。
「やるしかないんやろな」
気づけば、皆が走っていた。
その姿勢は社内だけじゃなく、市民の心まで動かした。
このチームを残してほしい。
嘆願書が集まり、声が広がる。
会社を動かしたのは、結局、現場の人間の背中だった。
彩香は、その話を何度も聞いて育った。
父は普段、野球の武勇伝を語るような男じゃない。
だが、時々ぽつりと話した。
「キャプテンいうんはな」
「しんどい時に黙って前におるもんや」
その背中を、彩香はずっと意識してきた。
現役の姿は知らない。
だが、想像はできる。
鉄の町。
縮む製鉄所。
消えかけるチーム。
その真ん中で、走り続ける男。
彩香は窓から目を離した。
いま、自分の前にいるのは――
動揺している迫田ツインズ。
妹分みたいなあかり。
静かに傷ついている美咲と麻衣。
玲奈がいない今、誰が前に立つのか。
答えは一つしかなかった。
「……終わらせへん」
ぽつりと、彩香が言った。
あかりが顔を上げる。
「え?」
彩香は振り返る。
目に迷いはなかった。
「NSTは終わらせへん」
短い。
だが全員に届く声だった。
「活動休止やろうが何やろうが、うちらまで止まったらほんまに終わりや」
あかりが立ち上がる。
「せやけど……何すんねん」
彩香は即答しない。
少しだけ間を置く。
「やることやる」
それは父と同じ答えだった。
練習を続けたように。
現場の感覚を失わないように。
組織の火を消さないように。
「玲奈さんがおらんからって、崩れるわけにはいかん」
美咲が静かに頷く。
「……そうですね」
麻衣も小さく息を吸う。
「うちらまで止まったら、玲奈さん帰ってくる場所なくなりますもんね」
迫田ツインズも、ようやく表情を戻した。
「なら、整える」
「静かに、待つだけじゃない」
あかりが拳を握る。
「ほな、やることやるか」
彩香はそれを見て、ほんの少しだけ笑った。
父のようにできるかどうかは分からない。
玲奈みたいに静かに全体を支える器が、自分にあるかも分からない。
だが、立つことはできる。
前にいることはできる。
それで十分だと、今は思った。
ヒロ室の重かった空気が、少しだけ動く。
外では大阪の街が何も知らない顔で光っている。
玲奈への査問も、NSTの活動休止も、誰にも見えない。
それでも、この部屋の中では確かに何かが繋がっていた。
火はまだ消えていない。
彩香は窓の外ではなく、仲間たちを見た。
「行くで」
その一言で、全員が頷いた。
沈黙のキャプテンは、ようやく前を向いた。




