やぶの風、未熟の刃 ― 養父メディカル・ライン
兵庫県北部、但馬の山間――養父市。
澄んだ水と冷たい風、深い緑に抱かれたこの町は、古くから“名医のふるさと”と呼ばれてきた。地域医療を支えてきた人材を数多く輩出し、静かな誇りが息づいている。
だが、どんな土地にも影は差す。
NSTが掴んだのは、医療機器の搬入ルートに紛れた違法装置の流通。精密機器に偽装された“部品”は、組み上がれば人を守るどころか壊す側に回る代物だった。
「騒ぎは起こすな。静かに押さえる」
玲奈の指示はそれだけだった。
現場に入ったのは、西川彩香と山本あかり。
指揮と突入――性質の違う二人を、現場が試す。
――
養父の空気は乾いている。
肺に入るたび、思考が研ぎ澄まされる。
彩香は施設外周の陰で足を止めた。医療関連施設に偽装された倉庫。搬入口、監視の死角、巡回の間隔。すべてが計算できる配置だ。
「裏から入る。時間は三分」
短く告げる。
あかりは軽く肩を鳴らした。
「任しとき」
声はいつも通り明るい。だが足取りは軽すぎる。
彩香はそれを見逃さない。
「……浮くな」
一言だけ置く。
あかりは「はいはい」と笑って、裏手へ消えた。
――
迷彩柄の作業着。帽子を深くかぶり、顔の印象を変えるメガネ。あかりは完全に“現場の人間”に溶け込んでいた。変装としては上出来だ。
裏口に近づいた、その時だった。
「すみませーん!」
軽い声が山に跳ねた。
振り向くと、マイクとカメラ。
神戸放送のリポーター――三好さつき。
「“養父市のやぶ医者を探せ”って企画でして〜」
あかりの変装を一瞥するが、反応はない。
完全に“ただの作業員”として認識されている。
「この辺り、名医の話聞けますか?」
あかりは一瞬だけ沈黙した。
ここで無視すればいい。
だが彼女は人がいい。
「名医か? まあ、この辺はな――」
口が動く。
さつきが乗る。
「どういう方が多いですか?」
「いや、患者の話よう聞く先生が多いって――」
その間に、倉庫裏のシャッターが静かに開く。
運び屋が、コンテナを押して外へ出る。
彩香の視線が鋭くなる。
(……抜けたな)
あかりはまだ喋っている。
「あと、この道まっすぐ行ったら――」
さつきはメモを取りながら頷く。
「ありがとうございます〜!」
最後まで気づかない。
変装したあかりが、任務中の仲間だということに。
――完全に、見逃した。
彩香は舌打ちを飲み込んだ。
「……アホ」
一拍。
体が動く。
――
風を切る。
地形を読む。
逃走ルートは限られている。林道へ抜けるか、旧道へ落ちるか。
「右や」
彩香は迷わない。
角を曲がると、背中。コンテナを押す男。
距離、五メートル。
「止まれ」
声は低い。
男が振り向く。反応は遅い。
その隙に、踏み込む。
手首を取り、肘を極め、重心を崩す。
無駄がない。音も小さい。
コンテナが横倒しになる前に、足で支える。
衝撃を殺す。
男は地面に沈んだ。
「終いや」
呼吸一つ乱れていない。
遅れて、あかりが駆け込んでくる。
「……っ!」
状況を見て、顔が曇る。
「ごめん……ウチ……」
彩香は視線を外さない。
「任務中や」
短い言葉。
だが逃げ場はない。
あかりは唇を噛む。
――
倉庫内の制圧は、そのまま流れるように終わった。
違法装置は押収。ルートも断つ。
結果だけ見れば成功だ。
だが現場は結果だけでは測れない。
――
帰路。
山の風が頬を打つ。
あかりは一歩後ろを歩いていた。
「……ウチ、やらかしたな」
彩香は前を見たまま言う。
「せやな」
否定しない。
あかりが肩を落とす。
しばらく歩いて、彩香は足を止めた。
「でもな」
振り向く。
「気づけたんは収穫や」
あかりが顔を上げる。
「現場は、待ってくれへん」
「誰を優先するか、何を切るか」
「それ、瞬間で決める」
少し間を置く。
「優しさは武器やけど、タイミング外したら毒や」
あかりは静かに頷いた。
「……うん」
彩香は軽く背中を叩く。
「次は外すな」
それだけで十分だった。
あかりの目が戻る。
「任しとき」
同じ言葉。
だが、重さが違う。
彩香は小さく息を吐いた。
「……ほんまやろな」
――
少し離れた場所。
さつきはまだリポートを続けていた。
「養父市、やっぱり名医の町ですね〜!」
そして首をかしげる。
「さっきの人、ええ話してくれたなあ……」
その“人”が誰だったのか、最後まで気づかない。
――
養父の風が吹く。
静かで、冷たい。
未熟な刃は、ほんの少しだけ研がれた。
そしてまた、現場へ向かう。




