消えない罪、消えない灯 ― 老刑事の影
神戸港は、夜になると別の顔を見せる。
クレーンの灯り、倉庫街の影、コンテナの列。潮の匂いと油の匂いが混ざり、港は静かに息をしている。
十五年前――。
兵庫県警刑事部に黒川玄蔵という刑事がいた。
叩き上げの現場刑事。階級は警部補。
出世とは縁がない。
理由は単純だった。
机が嫌い。
会議が嫌い。
現場が好き。
聞き込みは足で稼ぐ。
張り込みは忍耐。
証拠は靴底の数で集める。
昭和の刑事だった。
定年退職まで、あと数か月。
黒川は最後の事件を追っていた。
神戸港の港湾利権。
港湾運送会社、倉庫業者、政治家、裏社会。
港を巡る金は巨大だ。
黒川は泥臭く掘り続ける。
倉庫街の聞き込み。
港湾作業員の証言。
運送伝票の洗い出し。
その中で一つの会社が浮かび上がる。
岡本港湾サービス。
堅実な会社だった。
無理な仕事はしない。
裏の金にも手を出さない。
港湾関係者の評判はいい。
だが――それが問題だった。
利権を握ろうとする勢力にとって、邪魔だった。
そしてその背後には、
黒い名前がちらついていた。
黒鷹。
さらにもう一つ。
港湾政策で疑惑を追及され、後にリコールされた元県知事の影。
黒川は、核心に近づいていた。
だが時間がない。
定年退職が迫っていた。
刑事人生四十年。
最後に一つ、大きな事件を片付ける。
その思いが、捜査を強めさせた。
結果――
犯人側は焦った。
ある夜。
国道沿いの交差点。
大型トラックが信号を無視して突っ込む。
車は横転。
乗っていた夫婦は即死。
岡本港湾サービス社長夫妻。
岡本玲奈の両親だった。
警察の発表はこうだ。
過積載トラックによる不幸な交通事故。
だが黒川は知っている。
事故ではない。
消されたのだ。
そして理由も分かっている。
自分の捜査だ。
自分が追い詰めたからだ。
証拠はない。
事件は交通事故として処理された。
黒川は何も言わなかった。
言えば、警察の捜査も政治も、すべてが崩れる。
そして――
葬儀の日。
黒川はその少女を見た。
黒い制服。
長い黒髪。
透き通るような白い肌。
驚くほど整った顔立ち。
まだ中学生だった。
だが、その美しさはすでに完成していた。
岡本玲奈。
だが彼女の目には、何もなかった。
涙も、怒りもない。
ただ呆然と立っている。
その姿を見た瞬間、黒川の胸に重いものが落ちた。
この子にこんな思いをさせたのは、
自分だ。
その夜から黒川は眠れなくなる。
定年退職を迎えても、その罪は消えない。
玲奈は丹波篠山市の祖父母宅に引き取られた。
黒川は何度も訪ねた。
理由は作った。
事故の報告。
生活状況の確認。
進路相談。
だが本当の理由は一つ。
気になって仕方がない。
玲奈は頭脳明晰だった。
学校の成績は抜群。
大学進学も十分可能だった。
黒川は本気で世話をしようとしていた。
奨学金の資料を集め、
知り合いの大学関係者にも話をつけようとしていた。
だが玲奈は言った。
「警察官になります」
黒川は驚いた。
「大学行った方がええ」
玲奈は静かに首を振る。
「黒川さんみたいな警察官になりたいんです」
その言葉に、黒川は何も言えなかった。
胸の奥に刺さったままの罪が疼いた。
本当は言わなければならない。
両親の死は、
自分の捜査が引き起こしたものかもしれない。
だが言えない。
言えば、玲奈の人生を壊す。
だから決めた。
墓場まで持っていく。
その代わり。
この子の人生を見守る。
それが自分の罰だ。
玲奈はやがて警察官になり、
そして西日本特別諜報班NSTのボスになる。
神戸港の夜。
黒川玄蔵は遠くの灯りを見つめる。
黒鷹。
港湾利権。
そして十五年前の事故。
すべては、まだ終わっていない。
老刑事の罪は消えない。
だが、それでも灯は消さない。
あの少女が、
自分のような刑事になりたいと言ったからだ。




