ep6
ここが彼の研究室なのだろう。作業机の上には巨大で厚い書物が広げてあり、エリオはその横に並んだ硝子瓶から一つを選んで目の前にかざした。火にかかった小さな鍋のような器に、瓶の中身を振り入れる。
「――なんだ、用事を頼もうと思ってランベルトを呼んだのに。私の頼んでもいないものを運んできたね」
鍋から目を離さずに、エリオは竜に声をかけた。
「すまない、エリオ」
「実験を邪魔したことかい? それなら気にしなくていい。私は君のことなら、存在を全く無視することも容易にできるからね」
いささか言葉に棘があるように聞こえるのは気のせいだろうか。気のせいにせよ、自分が原因だという自覚はフォルカーにもある。
「あ、ああ。今こうして邪魔したことも謝る。だがそうじゃなく、さっきの話だ。急に怒鳴って悪かった。……済まない」
そこでようやくエリオが実験の手を止め、フォルカーを見た。
「何だ、随分と殊勝な態度だな」
「からかうな。俺は本気で謝ってるんだぞ」
フォルカーが眉を寄せる。
「それに、図書室のこともだ。お前が使っていいと言うからありがたく使わせてもらった。感謝する。あそこには随分いろいろな種類の本があるんだな」
「研究用の専門書が多いから君にはつまらないかも知れないけどね……何か面白いものはあったかい?」
「そうだ、いい剣術書があった! 型を重んじているが実戦についても練られた剣術で、古いものだがとても興味深い内容だ!」
先ほどの興奮を思い出して勢い込んで言うと、エリオが少し笑った。
「なんだ、こんなところでもわざわざそんなものを見つけて読んでいるんだね。見上げた元騎士様だ」
からかう様子は変わらずあるが、声の棘が消えている。
「俺にはそれしかないだけさ。別に立派なものじゃない。……お前だって、ずっとここに籠って研究をしているんだろ」
「おやおかしいな、塔の魔法使いは人を襲うんじゃあなかったのかい? ずっと籠って研究ばかりしていたら、人を襲っている暇なんかないだろう?」
「ああ、うるさいうるさい! 俺はもうお前が人を襲ってるとは思っていないんだから、そう責めるな!」
エリオの軽口に、フォルカーが照れ隠しのように言い返す。フォルカーの中で、この魔法使いへ印象は徐々に親しみを感じるものへと変化してきていた。
先ほどの言動を反省したこともあり、いくらか打ち解ける努力をしようという気も出てきたフォルカーは話題を変える。
「そんなことより、お前は一体何の研究をしているんだ」
その問いに、エリオがすっと目を細めた。不穏な気配にフォルカーは慌てて否定する。
「言いたくなければ――いや、聞いたところで俺に理解できるようなものでもないか。忘れてくれ」
「なに、別に教えてもかまわないよ。……これはね、おそろしい呪いの研究さ」
エリオの芝居がかった口調に、フォルカーは本気なのかからかわれているのか判別がつかない。
「それは……誰かを呪うのか?」
「何だい、その不思議そうな顔は。森の中の塔の怪しげな魔法使いには、相応しい研究だと思わないのかい?」
「いいや。だってお前は人を襲わないんだろう」
露悪的な態度にフォルカーが首を振ると、エリオはつまらなさそうに態度を変えた。
「少なくとも、今はね。おいで、ランベルト」
作業の手を止めて竜を呼ぶと、小竜はふわりと机の上に乗る。
「この小石を、塔の扉の前に撒いてきておくれ。うん、窓? いや、今回は扉だけでいい」
そう言って、それなりに重みのありそうな布袋を竜の首にかけた。
「その竜はそんなこともできるのか」
「ランベルトは私の力を貸せば大抵のことはできるよ。里に降りて買い物をするのも彼の仕事さ。竜の姿では目立つから、市場に近付く前にほかのものに姿をかえさせているけどね」
隠者のような魔法使いの口から出たのは、フォルカーにとって意外な言葉だった。
「買い物をするのか!? 市場で!?」
「当たり前だろう。君の朝食のスプーンや加工肉の切れ端や図書室の蔵書が、すべて魔法で作られたとでも思っていたのかい。勿論、旅人から奪ったわけでもないよ。……貰ったものは少しあるけど」
「いや、お前を疑っていたわけでは……。だとすると、俺は貴重な食料を分けてもらったことになるのか」
森の中の魔法使いはフォルカーの想像していたものよりはるかに人間くさく、しかも情まであったようだ。
「心配には及ばないさ。言っただろう、私はただの人間とは違う。飢え死にすることはないんだ」
そういって皮肉な笑みを浮かべて竜を撫でるエリオは、やはりただの人間ではない。
フォルカーは、段々この心優しくおそろしい魔法使いをどう捉えるべきか分からなくなってきていた。思わせぶりで妖しげな態度ではあるが、突然の客に対しても特に害意があるように思えない。だが単純に人が好いだけでもなさそうだ。
「……もしかして、呪ってやりたいほど憎む相手がいるのか」
「だとしたら? 私を止めるつもりかい?」
エリオは相変わらずはぐらかす。その試すような目の色は、王子のものにそっくりだというのに王子とはまるで異なるものに見えた。
「相手にもよるな。もしお前のような魔法使いがそれほど誰かを憎むことがあるのなら、それ相応の理由があるんだろう」
「ずいぶんと買いかぶってくれたものだね。人を襲わないというのも、呪いの研究をしているというのも全部嘘かも知れないよ」
魔法使いの言葉はくるくると入れ替わり、フォルカーを弄ぶ。
「おい、やめてくれ。何度もそう言われると何を信じて良いのか分からなくなる」
「それでいい。いくら私が大事な王子様の顔をしているからといって、そう簡単に相手を信用してはいけないという話さ」
諭すようなエリオの態度に、フォルカーはふんと鼻息を荒くした。
「お前こそ傲るなよ。たとえ見た目がヴァレンテ様であっても、お前はヴァレンテ様になどまるで似ていないからな」
その言葉は負け惜しみでも皮肉でもない本心だった。エリオと言葉を交わしているうち、ヴァレンテ王子と同じ容姿であるせいでかえって異なる部分が目につくようになってきていた。
「へえ。あれだけ驚いていたくせに、よくそんなことが言えるね」
「昨日のことは仕方がないだろう! だがもう驚かないぞ。ヴァレンテ様がここにおられたとしたら、黙っていてもどちらがお前か見分けられる」
俺は騙されない、と言ってフォルカーは腕を組む。エリオは目を細めた。
「……そういうのは、『ヴァレンテ様のことなら見分けられる』って言うべきじゃないのかい」
「皮肉か? まさに昨夜間違えたばかりの俺に、それを言う資格はないだろう」
「へえ、案外謙虚だね」
「事実だ。俺はあの方を敬愛するあまり、目を曇らせて本質を見誤った。これからお前のことは、外見に惑わされず見抜いてみせてやる」
「できもしないことを……」
エリオは小さく呻くように呟くと、顔を背けた。
「やってみないと分からないだろう」
だがフォルカーの言葉への返事はない。エリオは黙って、待機していた小竜を部屋から送り出す。
「どうした魔法使い。……おい、今のは別におかしな事じゃないだろう。お前から言い出した話だぞ」
フォルカーはまた何か失言をしたのではと心配になったが、心当たりはなかった。
「もしかして怒っているのか」
「そんなのはいちいち聞くようなことじゃないだろう。怒ってはいないよ」
顔を背けたままのエリオが髪を耳にかける。髪から覗いた耳が少し赤い。
「どうした。耳が赤いぞ」
「うるさいなあ、そんなのはいちいち言うようなことじゃないだろう」
「お前まさか、泣いて……」
「泣いていない!」
怒った様子でエリオがようやく振り返る。確かに泣いている様子ではないが、頬も赤い。
「おい、やはり俺がおかしなことを言ったんだろう。もし知らずに魔法使いの隠語か何かでも口にしてしまったのなら改めさせてくれ」
「違うよしつこいな。いいから暇ならランベルトの手伝いでもしたらどうだい。今すぐ塔を出れば間に合うよ」
エリオは片手をバサバサと乱暴に振って追い払う真似をする。フォルカーはわけが分からないまま部屋を追い出され、小竜を追った。




