帰る場所
優についていきたどり着いたのは、無機質な建物だった。機能だけを追求し、飾りを徹底的に削ぎ落とした外観は、どことなく空虚で寒々としていた。
優の話では子供たちが暮らしているはずだが、犯罪者を隔離する施設ではないかと疑った。しかし、それを口にするほど総介も無神経ではなかった。
改めて視線を施設に戻すと、後方から歯切れのよい足音がした。近づいてくるので、総介はさり気なくナイフに手を掛け振り返った。
「あれっ。優ちゃん?」
「戸川さん」
戸川と呼ばれた男は、ちらりと総介を見てから優に微笑みかけた。
「新庄さんから連絡があったんだよ。君が帰ってこないって。亜希ちゃんの件もあるから、駆けつけたんだ」
「ごめんなさい。ちょっと遅くなっちゃった」
「この人は?」
戸川信明は、今度は無遠慮に総介を直視した。口元に笑みを浮かべているが目は笑っていない。自分の体格を計算に入れて、仕掛けやすい間合いを取っている。
戸川はがっしりと大柄な男だった。身長は180cmを超えており、筋肉も無駄に太くなく均整の取れて敏捷性が高そうだ。年齢は二十代半ばといったところか。
値踏みするような視線は不愉快だったが、この程度で頭に血が上るほど若くもない。
「百武だ。優の厚意に甘えて、一晩世話になる」
「そう、なんだ」
総介が優と呼び捨てにしたところで、戸川の眉がピクリと動いたのを見逃さなかった。だが、総介にとってはどうでもいいことだ。
「お父さんには謝っとく。戸川さんも無駄足させてごめんなさい」
「いや、優ちゃんが無事ならそれでいいんだ……」
戸川は一度言葉を切ってから、総介の方を向いた。
「百武さん、あんた、いつからこの街に滞在しているんだ?」
「なんだってそんなことを訊く?」
「なんでもいいから、答えてもらいたい」
「……この街に着いたのは二日前だ。明日には出ていくつもりだ」
「そうか……」
戸川はまだなにか言いたそうだったが、適当な理由が見つからなかったのか、そそくさと去っていった。
「あいつは?」
「戸川さん。この街の自警団のリーダーをしてるの。強いんだから」
「そうかい」
「とにかく入ってちょうだい。早くお父さんを安心させなきゃ」
敷地内に足を踏み入れ建物を間近で見ると、ますます子供が住んでいる建物とはかけ離れている気がした。唯一温もりを感じたのは、外壁に直接書かれた『希望の家』という文字だけだ。孤児院としては陳腐な名称だ。一目で手描きだとわかるが、バランスが崩れておかしくならないよう、丁寧に描かれた気配りが想像できた。
総介は優に視線を投げ掛けた。
「なに?」
「いや……」
「早く入って。外見はあれだけど中は綺麗にしてあるから」
総介は内心を見破られたみたいで居心地が悪くなったが、取り繕うほど神経質でもなかった。素直に足を踏み入れると、優の言葉がウソではないことがわかった。建物自体の老朽化はどうしょうもないが、掃除は行き届いている。
奥の扉が開き、男が一人出てきた。
「ああ、帰ってきたか」
「お父さんっ」
優が駆け出し男の胸に飛び込んだ。その姿は一気に子供っぽく見えた。優は「お父さん」と呼んだが、 年齢は五十代の後半か六十代前半といったところだ。建物同様型は古いがグレーのセーターとチノパンでコーディネートしており、落ち着いた雰囲気でまとめている。このまま外出しても違和感がない。頭髪は白髪の方が多いが豊かであり、肩まで伸びた後ろ髪を縛ってまとめていた。
総介は素早く観察した。アダムは主に労働目的に生産されたので、肉体は十代後半~二十代前半に設定されている。彼がアダムである可能性は外していい。ただ、年齢のわりにはがっしりとしており、セーター越しでも頑強な肉体の持ち主であるのがわかる。その点が気になった。
「あんまり遅いんで、もう少し待って帰ってこなかったら探しに行こうかと思ってたんだ。戸川さんにも連絡したんだよ」
「心配かけてごめんなさい。戸川さんとは家の前で会ったわ。謝って帰ってもらいました」
「そうか」
男は優の肩をポンポン叩きながら、総介に視線を投げた。
「こちらは?」
「百武総介。危ないところを助けてもらったの」
「危ないところ?」
男の表情が険しくなった。
「詳しい話は食堂で……」
「ああ、そうだな。はじめまして。私は新庄達也といいます。ここの施設長をしております」
「お父さんはこの街の代表も務めているの」
「そうかい。その代表様にお願いなんだが、休ませてくれないかな。俺はそのお嬢さんが寝床を用意してくれるって言うから付いてきたんだがな」
「総介っ」
優は総介の態度を諫めたが、新庄は気にした様子はなかった。
「歓迎しますよ。優が連れてきたお客様ですから。でも、その前にお話を聞かせていただけませんか。優を助けていただいたようですし、詳しい事情を知っておきたい」
「それだったら、優に聞きなよ。俺は……」
「お姉ちゃんっ」
総介の言葉を遮って、二階から幼い声がした。子供が数人階段を駆け下りてきて、あっという間に優を取り囲んだ。年齢は様々だが、全員が優より幼かった。
「こら、おまえたち寝てなきゃ駄目だろう」
「だって、優お姉ちゃんが心配だったんだもん」
「そうだよ。のんきに寝てなんかいられないよ」
子供たちの反論に新庄は苦笑した。注意はしたものの、優を心配する子供たちの頭を撫でた。その仕草はどこか誇らしげに映った。
騒ぎを聞きつけたのか、奥からさらに一人の青年が姿を現した。足早に近づいてくる。
「優ちゃんっ」
「海斗さんっ」
「心配してたんだよ。こんな夜更けまで一人で出歩いちゃ駄目じゃないか」
「ごめんなさい……」
優が海斗と呼んだ青年に、総介は気を引きしめた。見た目が二十代前半でアダムの年齢設定内だったからだ。しかし、気が張ったのは一瞬で、すぐに肩の力を抜いた。アダムではないと判断した新庄と行動を共にしているなら、彼もまたアダムではないと考えてよさそうだ。
海斗は温和な顔立ちをしているが、整っているため精悍さも持ち合わせていた。西洋系の血が混ざっているらしく、陶器のような白い肌はきめが細かい。優くらいの年頃ならあこがれの対象になる美青年だ。実際、優の海斗に対する態度には艶が浮かんでいた。
海斗が総介に視線を向けた。
「百武さんだ。なんでも、危ない目に遭っていた優を助けてくださったとか」
「危ない目?」
海斗は新庄と同じ反応を示した。
「詳しい話は食堂で聞かせてもらおう。海斗君。お茶の用意をしてくれるかな。君にも同席してほしい」
「……わかりました」
結局、押し切られる形で総介は食堂に案内された。
調理場に消えた海斗が、トレイにカップと皿を乗せて戻ってきた。そして、そのまま新庄の隣に腰掛ける。
「こんな時間なんで簡単なものしか出せませんが……」
そう言いながらも、新庄はコーヒーと一緒にビスケットも提供してくれた。夕食を取り損ねた総介には、寝床と同じくらいありがたかった。特に、コーヒーなど今では高級品だ。なんとも言えない芳醇な香りが鼻孔を刺激する。
総介はカップを鼻の近くまで持ち上げて、久しぶりの香しさを堪能した。
「電気はどこから供給してるんだ?」
「地下に発電機がありますから、それで」
「優から聞いたが……孤児を集めて面倒見てるって? 今時、奇特なことをしてるじゃないか」
新庄はちらりと優に視線を投げ、優しく微笑んだ。
「ええ。幸い、この街は生きている機能が多く残っており、なんとか生きていけます。生活力のない子どもたちを保護するのは大人の務めであり、未来に繋がる行為だと思っています」
「職員はいないのか? 新庄さんと海斗君以外の大人の姿がないようだが……」
「はい。飽くまで有志を募ってのことですので。皆さん、自分の生活を守るのに必死なのですよ。でも、食料や生活品などの援助はしてくれています。それだけ、他の街よりは平和ということです」
「へえ。今までいくつもの街に寄ってきたが、他人に援助できるほど余裕のある街は初めてだな」
「ありがたいことです」
新庄はコーヒーを一口含んで、本題に入った。
「それで……百武さんは、どういった経緯で優と知り合ったのですか? 危ない目に遭っていたのを助けていただいたとか……」
「それは私から説明します」
「ちょっと待った」
「え?」
「新庄さん……あんたのやっていることは称賛に値する尊い行為だ」
「いえ、そんな……私は……」
困ったように微笑む新庄に、総介は言葉を覆い被せた。
「だが、不自然な行為でもある。あんたが言った通り、誰もが自分の生活を守るのに必死だ。それなのに、何人もの子供を引き取るなんてあまりにも不自然だ。裏があると勘繰られても仕方ないくらいにな。あんたが孤児院の真似事をしている理由を教えてくれないか?」
「総介っ」
優がガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。
「失礼でしょ」
「必要なことだ。拒否するなら俺はこいつを飲んで出ていくだけだ」
優が総介を睨む。新庄は訳がわからない様子で二人を見ている。海斗も優と同じく総介を睨みつけていた。端整なだけに、意外な迫力がある。
新庄はにこりと口角を上げると、手振りで優を宥めた。
「必要ならばお聞かせしますよ」
「お父さんっ」
「構わんよ。たしかに事情を知らない方からすれば、怪しいかも知れない」
言いながら、新庄はセーターとシャツをまくって腹部を晒した。
「…………」
総介は息を呑んだ。へその横に大きな傷跡があった。かなり古いもののようだ。
「事故か?」
「若い時に交通事故に遭って。その時に家族を失い、自分だけが助かったのです。子供たちを引き取っているのは、私にとってただの贖罪なのかも知れない。生活は厳しいですが、一人でも多くの子供たちに帰る場所を与え、いずれは巣立たせることで、自分を慰めているのですよ」
「……すまなかった。無礼を許してくれ」
「いいえ。なにか事情がおありのようですから」
優は総介を睨んでいたが、新庄は優や子供たちに向ける優しい眼差しを向けた。