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フライハイト  作者: 雪方麻耶
12/21

侵入

 病院が見えた。


「あそこよ。美濃病院」


 優が指差した建物は四階建ての白い建物だった。壁面にスチール板で作られたチャンネル文字で「美濃病院」と掲げられている。

 建物の規模こそ大きくはないが、病人や怪我人の心理的影響を考慮してか、角を取ったデザインだった。建てられた時代には見栄えもしただろうが、荒廃が進んだ現在では完全に浮いてしまっている。隣には建設途中で放棄されたらしきビルがあった。まだ基礎工事しか進んでいない状態で放置されたらしく、鉄骨や異形丸棒が吹き曝しになっている。長年の風雪にもめげずにその姿を留めているが、その健気な存在が、病院の浮いた外観を一層引き立てていた。


「あそこっ」


 優は建物を指していた指をずらして、一点を示した。その先には、孤児院から逃亡した自動車が停まっていた。


「当たりだな。奴らはここにいる」

「亜希と新庄さんも……」


 新庄はともかく、亜希はどうかわからない。もしかしたら、もう……

 しかし、総介はその考えは口にしなかった。


「なにか作戦はあるの?」

「そんなもんあるかよ。行き当たりばったりだ。戸川たちはもう入ってるのか?」

「たぶん……」

「いや、それにしては……」


 質問してから気づいたが、正面玄関は無傷のままだ。戸川たちが経験豊富な私設軍隊ならば、派手な音を立てて乗り込むなんて迂闊な真似はしないはずだ。

 病院には必ず一般患者の動線と重ならない裏口がある。遺体を運び出すためだ。戸川たちはそっちから侵入したと考えるべきだろう。


「ついてこい」


 気配を消しながら回り込んでみると、思った通りだった。今まさに扉が開けようとしているところだった。自警団の人数は、戸川を入れて五人だ。


「戸川」


 総介は刺激しないように声を潜めて呼び掛けたが、戸川たちは跳ねたように銃を構えて、総介に向けた。


「……なんだ。脅かすな」


 総介を見ても、それほど意外ではなさそうだった。もしかしたら、来るのではないかと予感があったのだろうか。その代わり、優も一緒にいることに驚いている。総介に非難の目を向けた。


「優ちゃん。駄目だよ。危険だ。帰りなさい」


 戸川の当然の指示に、優は首を振った。


「じっと待ってるだけなんて嫌なの。お願い。邪魔にならないようにするから」

「そんなこと言われたって……」

「彼女には、大人顔負けの行動力と勘の冴えがある。それに、二回もアダムの襲撃から生き延びている。ラッキーガールだ」


 総介の助け舟に、戸川は渋い顔を見せた。


「そんな薄弱な理由で連れていけるか」

「戦いに幸運は必要だ。彼女は幸運を導く女神だよ。大丈夫。俺が守る」

「お願い。戸川さん」

「………………」


 戸川は意外に思った。ここに来るまでになにがあったのか知らないが、二人の間に信頼関係が築かれているように感じたからだ。

 それに、優に行動力があるのは事実だ。強引に帰しても、単独で忍び込もうとするくらいのことはやりかねない。それならば、はじめから行動を共にさせた方が安全と言える。


「……わかった。我々から離れるんじゃないぞ」


 戸川の了承を得たので、優から肩の力が抜けた。咎められることを覚悟していたので、ずっと気を張っていたのだ。

 扉を開ける作業が再開された。

 堅牢な電気錠が取り付けられている扉だったが、電気そのものが満足に得られない現在では、ただの飾りだ。なんでもかんでもカードやスマホで開けるキーレス時代に入り、鍵は存在意義をなくした。それゆえ、こんな不便な時代に逆戻りしても施錠する術は限られている。この扉にしても、内側から鎖を何重にも巻いてあるだけのお粗末なものだった。

 作業していた者が、指で輪を作った。開いたというサインだ。

 戸川が頷いて開けようとしたので、総介は急いで止めた。


「なんだ?」

「中に入る前に言っておくことがある。向かってくる者がいたら、老人や子供だろうが容赦するな」

「なんだって?」

「この中にいるのは全員敵だと思ったほうがいい」

「アダムに老人や子供はいない。なにを言っているんだ?」

「だから、アダムと共闘している人間がいると言ってるんだ」


 戸川は「はっ」と一声吐き捨てた。


「アダムと組んでいる奴がいるって? 今そう言ったのか?」

「組むというより、アダムの方が従わせているようだ」

「あり得ない。アダムは人間を補佐する道具として作られたんだぞ」

「その道具が人を襲っている。それだってあり得ないことだろ」

「む……」


 戸川をはじめとして、自警団の連中は心霊スポットで不気味なものを見てしまったように顔を強張らせた。


「……わかった。老人子供でも油断しないで……」

「油断しないんじゃない。容赦をしないんだ。奴ら、なにをどうしたのか知らないが、ただでさえ強力な膂力をさらに跳ね上げている。さらに、俺に襲い掛かった奴は、ただの人間なのに恐ろしい怪力を発揮した。ほんのわずかな遅れが命取りになるぞ」


 戸川は二〜三回瞬きを繰り返し、頷いた。


「わかった」

「よし。行こう」


 総介に促され、戸川は止めていた腕を引いて隙間から内部を覗き見た。目の前に階段が見えた。以前は職員と葬儀屋、そして亡くなった者しか通らなかったであろう通路。霊安室が近くにあるはずだ。

 人の気配がないことを確認し、扉を開いた。その途端、けたたましい大音量の警報が鳴り響いた。思わず動きを止めてしまう耳障りな音だ。


「おっ? おっ?」


 警報を発している物の正体は、マグネット式のウインドウアラームだった。マグネットと本体が一定以上離れると アラームが鳴り出す仕組みだ。電気錠が主流になってからは、そのシステム自体に警報が仕込まれ、通常の開け方をしなければ即時セキュリティに繋がるのが当たり前になった。扉に張り付けるウインドウアラームなど過去の遺物となっていたため、存在自体知っている者が少ない。総介もすっかり失念していたので、音の発信源に思い至るまで数秒を要してしまった。

 神経に触る甲高い警報に、戸川は動揺してしまった。進むべきか退くべきかの判断が咄嗟にできない。


「行けっ! 行けぇっ!」


 総介の声に背中を押されて、まず自警団が入り込み、続いて総介と優が滑り込んだ。急いでスライドスイッチを切ると、警報がピタリと止んだ。

 尖っていた神経が、いとも容易く心臓に突き刺さった。大音量にさらされた耳に張り詰めた静寂が痛い。

 硬直していた戸川は我に返り、壁越しに奥の通路を覗き見た。


「ううっ?」


 守衛室から出てきたのは一人の中年だった。貧相な体格だが腹だけは出っ張っており、頭髪一本一本が細くて薄くなり掛かっている。これで眼鏡をかけてスーツに身を固めて満員電車に乗れば、崩壊前の時代には当たり前だった、くたびれきった日本のサラリーマンそのものだ。


「あれはアダムではないな。あんな中年でだらしない体型のアダムなんて生産されていない」


 総介に言われるまでもなく、戸川は出てきた相手がアダムなどとは思っていなかった。なぜなら、戸川が知っている顔だったからだ。数週間前から消息不明になっていて、捜索願が出されていた者だ。確か名前は重森(しげもり)といった。当然、捜査中にこの病院にも立ち寄ったが、保護されているなんて報告はなかった。

 重森は、突然鳴った警報に何事かと出てきたふうではなく、感情が読み取れない虚ろな表情をしていた。しかし、眼光は異様なほどに鋭い。一目で尋常ではないとわかる者が近づいてくる状況は、戸川を戦慄させた。


「止まれっ」


 戸川が身を晒して拳銃を構えた。ニューナンブM60。日本の警察官用拳銃として大量に配備された拳銃だ。生産は1990年代に終了したが、その後も長い間運用が続けられていた。総介が持っているオートマチックとは違い再装填が面倒などの短所はあるものの、信頼性は高い銃だ。

 銃口はしっかり重森を捉えていたが、立ち止まるどころかまるで意に介さない。逆に臆したのは戸川の方だった。戸川の怯えを敏に感じ取ったのか、重森は一気に襲撃者へと変貌した。


「うわっわっ」

「躊躇するなっ! 撃てっ!」


 まるで総介の声が引鉄を引いたように、銃声が鳴り響いた。

 弾丸は重森の肩に命中したが、少しぐらついただけで突進は止まらなかった。バネが仕込まれている玩具のように不自然な跳躍で壁を蹴り、ほぼ真上から襲い掛かってきた。


「きゃあっ!」


 優が悲鳴を上げる。自警団と総介たちを二分する位置に着地し、強引に分断されてしまった。


「くそっ!」


 総介は重森を狙撃しようとするが、いつの間にか忍び寄っていた男が優の足首を掴み、地下に引きずり込んだ。


「総介ぇぇぇっ!」


 滑り落ちる優に手を伸ばすも、総介の手は届かなかった。守ると断言してから三分も経っていないにも拘わらず優から引き離されたことに、総介の頭に血が上った。

 戸川たちは重森との応戦で精一杯で、援護は期待できなかった。即座に決断した。


「待ちやがれっ!」


 転がるように階段を駆け下りたが、すでに優の姿は消えていた。普段から使用しているためか、薄暗くはあるが電灯が点いている。孤児院と同様、どこかに発電機があるらしい。


「…………」


 壁に掲示されている建物の見取り図を素早く読み取った。奥に階段がもう一つある。二十メートルほど離れているが、アダムの俊敏な動きなら一瞬で駆け抜けることも可能だ。

 埃で曇った表札から、読影室やCT室が並んでいることがわかった。室内には今は使われていない機材があるのだろう。外観は工夫を凝らしても機能性を重視した内装まではどうしょうもない。人気のない病院の中は、どうしても死を連想させた。

 頭上から激しく激突する音が聞こえた。戸川たちが苦戦しているのだ。

 落ち着け……。

 総介は自分に言い聞かせた。優は連れ去られた。つまり、すぐには殺されない。俺たちをより奥まで進ませるための人質だ。


「どういうことだ?」


 疑問が思わず口に出た。

 殺さず連れ去ったり、その場で虐殺したり、行動に一貫性がない。集団を形作っているものの、各々の思惑が違うということか? もしや、ひょっとしたら……孤児院の大量虐殺は、集団の長も予期しなかった事態だったのか?

 いくつものピースがばら撒かれているものの、ぴったりはまる形が見つけられない苛つきが焦燥を誘った。

 先程、ちらりと頭を過ぎった仮説がもう少しで完成しそうなのに、あと一歩が果てしなく遠い。敵がいつ襲ってくるかわからない恐怖とは別に、この事件の行き着く先に形容しがたい嫌な予感が湧き上がってきた。

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