第61話
ディランは人々のざわめきで踊るのを止めた。
「・・・どうしたのかな?」
「何か・・・」
ぽつりと呟き、人々が集まっている方を振り返る。その輪の中心では見知らぬ男女が華麗に踊っていた。
シャンヌもそちらに顔を向ける。そして、短く叫ぶとディランの腕を揺さぶった。
「ね!あれ、リビアだよ!」
「はぁ?違うだろ。あいつはあんなに―――」
言いつつ、踊っている女性を目で追った。明るい茶色の髪を上げ、楽しそうに笑っている女性。印象が違うのは化粧をしているためだった。まぎれもなく、あれはリビア本人だった。
(リビアだ・・・。ウソだろ?あんなに綺麗だったか・・・・?)
目を釘付けにしているディランをシャンヌは無理やりのようにひっぱりながら、ホールの隅でむっつりしているルークに合流する。
「ねぇ、あれリビアでしょ?どうしてあんな男の人と踊ってるの?」
シャンヌの問いに、ルークは不貞腐れながらも答えた。
「オレと踊ってたらいきなり『代わってくれ』ってよ。で、リビアが断るのも悪いからっ
て・・・。したらこのザマだぜ。なんなんだよ、あいつ!」
「あんな人、このお城にいたかな〜?美男美女で踊りもうまいんだから、みんなが注目するのは分かるけど・・・。誰なんだろうね?ね?ディラン」
シャンヌは視線をディランに向けた。しかし、そのディランは呆然とリビアたちを見ている。シャンヌとルークはお互いに顔を見合わせると肩をすくめた。今、何を言ってもディランには聞こえないだろう。
「ねぇ、ちょっと!ディランってば!!」
腕をゆさゆさと揺らす。やっとディランはシャンヌの方を向いた。
「・・・ああ、なんだ?」
「ショックなんでしょ?ディラン」
「・・・・別に」
壁にもたれ、足元を見つめる。音楽だけが耳に入ってきた。
(あいつが、他の男と―俺やルーク以外の男といるなんて・・・。俺はショックを受けてるのか?それとも・・・妬いてるのか?・・・まさか、な)
湧き上がる拍手と歓声。リビアと男は集まっていた人々にお辞儀をしていた。
人々の視線を感じながら、リビアはディランたちの姿を必死に探していた。と、突然
「ね、君。名前を教えてくれないか?」
今まで黙って踊っていた相手が急に口を開いたことに、リビアは驚くとともに慌てていた。つないでいた手を放す。それをどう思ったのか、男は尚もリビアに詰め寄る。
「教えてくれてもいいだろう?」
「あ、え〜っと・・あの・・・」
きょろきょろと見回すと、壁に寄り掛かってうつむいているディランの姿を見つけた。自然に口元がほころぶのが分かる。リビアは男を振り返った。
「ごめんなさい。カレシが待ってるから」
言うとディランの元へと走り出す。再び曲が始まり、人々は自然と踊りの輪を作って行った。
「リビアーー!」
「あ、シャンヌー!!きゃ〜!すっごくかわいい!!お人形さんみたい!」
「リビアこそ!ずっごく素敵!!」
女子たちが盛り上がっている中、ディランは足もとをじっと睨みつけていた。リビアが彼の顔を覗き込む。
「・・・何か足もとにあるんですか?」
フイと彼女から視線をそらす。それを見ていたルークは喉の奥で笑いながらリビアに説明した。
「あのな、こいつ、お前があの男と踊ってたの見てヤキモチ妬いてるんだぜ?それで拗ねてるんだ。ガキだろ?」
「・・・そうなの?」
「誰がっ!!」
声を荒げ、ルークを睨むディラン。赤い髪の男は澄ました顔をしている。リビアは少し考えてから、
「じゃあ、ディラン。踊ろう?」
と、ディランの腕を引っ張った。
「おっ・・おい!リビア。俺は―――」
「シャンヌ、ちょっと借りていい?」
ディランの背を押しながら振り向くリビアに、シャンヌは笑って答える。
「うん、いいよ。私はルークと踊るから。ね?ルーク」
「ああ、いいぜ!あいつらよりうまく踊ろうな!!」
手を取り合い、二組のカップルはそれぞれ踊りの輪へと入った。
リビアは一度、優雅に礼をしてからディランの前に立つ。
(・・・しょうがない。1曲だけでも踊るか・・・)
一礼をし、リビアの腰に手をまわし、手を握る。なんだか久しぶりに手を握った気がした。
優しく、心地よいワルツ。ステップを踏みながら、ディランは口を開いた。
「・・・さっきのヤツは何者だ?」
「ああ、あの人?なんだかちょっと有名な人みたいだったわよ。私は知らないけど」
「ふ〜ん」
二人の間に沈黙が訪れる。彼女の細い腰を支えている手がしっとりと汗ばんできているのが分かった。
「名前、聞かれちゃった」
「答えたのか?」
「まさか!」
笑うリビア。額をディランの肩にあてた。
「ディラン・・・踊るのうまいんだね。慣れてるのかな?」
「前に三度・・・こんな事があった程度だ」
「それじゃお手の物だね」
曲が変わった。ゆったりとした静かなものになる。場内の明かりがぽつりぽつりと消されていった。
「・・・暗くなるね」
そのままの姿勢でリビアは口を開く。ディランは「そうだな」と返しただけだった。
「こういうのは何回目?」
「二度目・・・だな」
「その時はどうしたの?」
「帰ったな、確か」
「行かないでね」
そう言うと、リビアはディランの背に両手を回した。
「・・・行かないで」
場内は暗くなった。窓から差し込む月の明かりと、仄かな蝋燭の明かりだけが灯されている。
(・・・リビア・・・)
彼女を見つめるディラン。彼にも、彼女が言わんとしていることが理解できた。しかし、
(俺は・・・傭兵だ・・・)
思わず顔をそむけたディランだったが、それはすぐに失敗に終わってしまった。リビアがディランの首に両腕を絡めてきたからだった。高まる鼓動の中、ディランは彼女の腰に手を回すと、軽く抱きしめる。
「・・・リビア・・・。俺―――」
「言わないで。今は・・・聞きたくない」
彼女を抱く手に力が入った。ただ彼女を離したくなかった。ずっと一緒にいたかった。誰にも渡したくなかった。
ただ、それだけのことだった。
「ディ・・・ディラン?」
抱きしめられているという実感。腕を彼の背に回し、優しく撫でる。
「リビア」
熱い息が耳や首筋にかかるが、全く嫌悪感はない。むしろ彼女にとっては嬉しいものだった。
しばらくの抱擁が続いたあと、ディランはふと腕を緩めた。リビアもそっと彼を見上げる。瞳が合うと、優しくほほ笑んだ。その視線が彼女の大きな瞳から朱をさした赤い唇へと動く。
「・・・リビア」
優しく囁くと、ディランはゆっくりと顔を近づけていった。
一瞬のような、永遠のような時間。
すべての時が止まっているように思えた――ディランとリビアの二人には。
何が何だかリビアには分からなかった。いきなりディランが視界いっぱいに広がり、次の瞬間には唇に何かが触れる感触があった。それは柔らかく、暖かい。
雷が落ちたかのような衝撃にリビアは体が動かなかった。
そっと唇を離し、ディランはリビアを優しく見つめた。驚きの瞳が徐々に涙で溢れてくる。頬に手をあてると、リビアはすり寄ってきた。こぼれた涙の滴を親指で拭う。そして、リビアは再び瞳を閉じた。
「リビア・・・・」
彼女の名を口にする。これほど幸福感を覚えたことは今までなかったかもしれない。
次の曲が始まるまで、ディランとリビアは二人きりの時間を十分に味わった。
空が白みかけている。もうすぐ夜が明ける。
隣で規則正しい寝息を聞きながら、ディランは静かに起き上がった。
めくれた上掛け布団をそっと彼女の肩にかけてやる。栗色の髪が窓から差し込む光に輝いているようだった。
「・・・すまない。リビア・・・」
身支度を整える間も、ディランの頭の中では昨夜のことを悔やんでいた。
ただ、彼女を部屋まで送り届けるだけだった。そうしなければならなかった。自分と彼女のためにも。
(あのとき、キスなんてしなければ良かったのか・・・?)
ダンスホールでの長い口づけ。次の曲が始まっても、身体の火照りは消えなかった。
彼女を部屋へ送る途中。彼女がそっと呟いた言葉。
「・・・行っちゃうんでしょ?」
消え入るようなか細い声に、ディランは思わずその身体を抱きしめていた。そして、そのまま―――
「・・・すまない」
小さく謝り、ディランはリビアの額に口付けを落とす。彼女が眠りにつくまで、ずっと起きていた。「行かないで」と泣く彼女をずっと抱きしめていた。その感触が今も残っている。
扉をそっと開ける。彼女が起き出す気配はなかった。
「・・・じゃあな、リビア」
ゆっくりと扉は閉まられた。
自室の扉を開け、すぐにディランはいつもの旅装束に着替えた。ショルダーガードとマントは、フォードとの戦いで無くしていたが、またどこかで手に入れる予定だった。愛用のバンダナを装着する。
「あのバンダナ、私があげたものでしょう?」
事の後、彼の腕を枕にリビアはそう言った。
「すぐに分かったよ。ディラン、大切に持っててくれたんだって」
「それはお前もだろ?」
彼の言葉に、リビアは頷いた。
「初恋の人からのプレゼントだよ?ずっと持っていたいよ・・・」
(・・・くそっ・・・)
鏡の中の自分に毒つく。
(・・・リビアを抱くんじゃなかった・・・)
胸が痛い。立て掛けてあった、ボロボロの長剣を手にする。鞘にまでヒビが入っていた。もうそろそろこれも替え時らしい。
ぎぃ・・・
扉が開いた。ゆっくりと首を回す。ディランの思っていた通り、そこにはルークが立っていた。腕を組み、似合わない神妙な顔でディランを見つめている。
「・・・行くのかよ」
「・・・ああ」
腰に剣を収めた。金袋と少しの食糧の入った荷物を掴む。
「リビアは?!」
「寝てる。だから、今のう―――」
「お前っ・・・・!!」
ルークはディランの胸倉を掴んだ。まっすぐな瞳に見つめられ、ディランは思わず顔をそむける。
「・・・あいつのこと、頼んだぞ?お前にしか頼めないからな」
「自分の女くらい、自分で守りやがれっ!!」
吐き捨てるように言い、ルークはディランを離した。胸が痛い。
「なんだよ!傭兵って・・・一体なんだんだよ?!好きな女を守らなくて、何を守るってんだよ?!」
ルークはガンっと拳を壁にぶつけた。そこから、一筋の血が流れる。涙のようだった。
「・・・・分からない。分からないから、俺は<剣士>であり<傭兵>なのかもしれない」
「意味わかんねーよ!!」
語気を荒げるルークの気持ちもディランには分かっていた。そして、自分自身の本心も。
(抱くんじゃなかった・・・・)
一歩が踏み出せないでいる。彼女と離れたくないと切に思っている。しかし、行かなければならない。
(どこへ・・・・?俺はどこへ行こうとしてるんだ・・・?)
こんなこと考えたこともなかった気がする。ただ命令通りに戦い、命令通りに仕事をした。それができれば報酬がもらえる。しかし、それをしたいのではない。
「・・・ディラン。考え直せよ」
「・・・お前は・・・お前には夢はあるのか?」
「え?」
いきなり質問され、ルークは正直驚いた。ディランを見る。その顔は苦悶で歪んでいた。
「・・・夢かぁ?前にも言わなかったか?オレはお前になりたい。お前みたいに強くて、自由で―――」
ルークは口をつぐんだ。昔からそうだった。ディランはいつの間にかいなくなる。誰にも相談なしで、全て一人で考え行動していた。『自由』とは少し違うのかもしれない。あるのは・・・・。
「・・・変ってねぇよな。昔から」
苦笑交じりに言うと、ルークはディランを正面から見つめた。
「何か・・・分かりかけてるんだろ?それを見つけない限り、あいつにも顔がたたねぇって?」
「・・・ああ」
小さく頷く。長い前髪が揺れた。
「ならっ!」
ルークは扉を開け放った。そしてディランの胸倉をつかむと、そこまで引っ張っていく。
「それなら、さっさと行っちまえ!うだうだ悩んでるんじゃねぇ!このネクラ野郎がっ!!」
ばきっ
左の頬に、痛みが走った。殴られた本人よりも、ルークのほうが痛いかも知れない。心の中は。
「・・・リビアを頼む」
「・・・ああ。分かってる」
片手を上げて出て行く男の後ろ姿はいつまでも大きく、そのまま朝日に溶けてしまうような錯覚に陥った。
ルークは、そのまま呆然と男が去った後を見つめていた。後方でむせび泣きが聞こえてくるまで―――。
とうとう次回で最後です。
最後までお付き合いくださいませ。