↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法が止まっても授業は終わらない ~五十二歳の辺境教官、落ちこぼれ五人に「全員で帰る手順」を教える~  作者: 他力本願寺


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
62/64

第62話 王都の心臓を切る

主中継核切離し図の三本の結合環欄には、破断準備済みの印が並んだ。最後の承認欄だけが、オスカー・ルイスの前で白かった。


 試行暦、第百十二日。


 都市魔導庁の地下深く、王都の魔力系統を統括する『主中継核』の制御室は、けたたましい警告音と赤い明滅に包まれていた。


 西区、北区をはじめとする周辺系統が、局地空白や地盤の変位によって次々と『保護停止』へと移行した。その結果、残された都市の中央系統が、失われた魔力圧を補おうとして自動補償機能を最大に働かせ、本来の規格を遥かに超える勢いで地脈から外部魔力を吸い上げ始めていた。


「第二、第四基幹枝で補償暴走を確認! このままでは主中継核の受容限界を突破し、連鎖的な物理崩壊を引き起こします!」


 制御盤に張り付いた技師が叫ぶ。


 問題は設備の負荷だけではない。この王都の心臓部が放つ異常な高密度の残留魔力は、深層での餌不足から逃れてきた《鉱殻喰い》の巨大な群れにとって、これ以上ない極上の『誘引源』となっていた。


 このまま放っておけば、王都の中心である人口密集地へ、無数の喰魔種が雪崩れ込んでくる。


 オスカー・ルイスは、制御室の机に広げられた、所管印付きの『主中継核切離し図』を見下ろしていた。


 以前、グレンに提示した最終手段の一枚。都市核を市街網から物理的に分離し、誘引点を人口密集地から外すための手順書だ。


 だが、これを実行に移すためには、五つの実行条件を全て満たさなければならない。


『二以上の基幹枝での補償暴走』


『外縁までの住民退避完了』


『三生命線(給水・治癒・消火)の手動切替確認』


『外縁管理誘導区の閉鎖』


『独立監督者による全条件の復唱』。


 その全てが揃って初めて、オスカーは自分の名で署名をすることができる。


*


 同じ頃、王都暫定教育・記録指揮所。


 グレン・ハルバートは、各現場から集まってくる情報の処理に忙殺されていた。


 北門のリーゼからは『外縁退避路の確保および住民の退避完了』の報告。環境局のセラからは『誘導区へ勾配を移すために必要な幅の確認』。設備局主任からは『結合環を破断した場合、王都の高出力同期網は数年再建不能となる』という冷酷な被害見積もり。


 グレンはそれらを綴じ板にまとめながら、壁の時計を睨んでいた。


 現場から届く四つの条件のうち、一つだけがまだ届いていない。


「……南区の、給水手動切替の完了報告がまだです」


 通信補助員が焦ったように言う。遠話網が断続的に途切れており、中央給水所からの第一報が遅れているのだ。


「推測で『完了』扱いにしてもいいのでは? 担当はあの第二期生のアニカです。彼女なら確実にやっているはずです。早く条件を満たさないと、王都が――」


「ダメだ。推測で枠を埋めるな」


 グレンは補助員の誘惑をぴしゃりと跳ね除けた。


 旧坑道の調査でも、彼は未確認の記録を事実として扱わなかった。現場からの署名入りの紙がない限り、どれほど焦ろうとも条件成立の印は押さない。


 数分後。泥だらけになった紙伝令のデーン・コールが、息を切らせて指揮所に飛び込んできた。


「南区、第三水門の手動切替完了! 給水所当直主任の署名、その下にアニカ補助員の確認印入りです!」


 デーンが掲げた泥だらけの赤縄札には、確かに当直主任の署名と、アニカの確認印、完了時刻が記されていた。


 グレンはそれを受け取り、ようやく最後の現場条件に確認印を入れた。


 彼は遠話器の直通回線を開き、地下のオスカーへと呼びかけた。


『ルイス長官。……独立監督者の復唱を除く四つの実行条件について、署名入りの確認書類が揃った』


「ハルバート教官か。被害予測を」


 グレンは息を吸い込んだ。


 彼がここで「切離しを決行しろ」と英雄ぶって命じれば、自分の教育計画の正当性を証明できるかもしれない。だが、行政の最高責任者の決裁権を奪うことは、現場の越権行為だ。


『切らない場合の損失。主中継核の暴走による都市全域の同時崩壊。および人口密集地への喰魔種群の侵入による甚大な人的被害。……切る場合の損失。主中継核と結合環の喪失。王都の高出力同期網は数年再建不能となり、配給・医療・産業は数年単位の低能力運転を強いられる』


 グレンは、英雄として命令するのではなく、感情を挟まず『選択肢と代償』だけを読み上げた。


『決断を、長官』


 通信が切れた。


 地下の制御室で、オスカーはペンを握りしめ、白い承認欄を見つめていた。


 都市の心臓を、自らの手で止める。


 王都の給水、衛生、そして平時の生活基盤を守り抜くこと。それがオスカー・ルイスという男の信念であり、だからこそ彼はグレンの非常時訓練に合理的な反対を突きつけてきた。


 今、彼は自らの手で、その自分が守りたかった平時能力そのものを『数年間、壊す』という決断を下さなければならない。


「……長官」


 沈黙に耐えかねた技師が声をかける。


 オスカーは目を閉じ、そして、ゆっくりと目を開いた。


 全てを無傷で守る魔法はない。守れない場所を残しながらでも、都市を生き延びさせるのが彼の責任だ。


「独立監督者。実行条件の復唱を」


「はっ。二以上の基幹枝で補償暴走確認、外縁までの住民退避完了、三生命線の手動切替確認、誘導区閉鎖確認。……全実行条件、成立」


 オスカーはペンを紙に走らせた。


「都市魔導庁長官、オスカー・ルイスの名において。……主中継核の切離しを、最終承認する。実行しろ」


 その声と共に、待機していた重装の技師たちが、主中継核と都市の枝系統を繋ぐ三本の太い『結合環』へと巨大な物理破断工具を振り下ろした。


 ガァンッ! と鼓膜を劈くような破壊音が地下室に響き渡り、火花が散る。


 魔力による遠隔操作ではない。人の手による、二度と元には戻せない完全な物理的切断。


 三本の結合環が断ち切られた瞬間、王都全域に巡らされていた高出力の同期網が沈黙し、市街網側へ戻っていた高魔力勾配も一気に下がった。


 分離された蓄積核の残留魔力は、あらかじめ開放していた空の保守水路を通り、約二十分をかけて北外縁の管理誘導区へ逃がされていく。誘引中心は、人口密集地の真下から、住民退避と閉鎖を終えた外縁へずれた。


 人口密集地へ向かっていた《鉱殻喰い》の群れも、その新しい魔力勾配に引かれ、北外縁の管理誘導区へと向きを変えていく。


 オスカーの決断によって、大魔法で群れを一掃するような爆発も、即座の環境回復も起きなかった。ただ、市街地から外縁へ群れを逸らし、致命的な被害を回避したのだ。


 だが、その代償は重い。


 王都の広域灯は完全に落ちた。夜の闇を払っていた美しい街灯も、便利な昇降機も、すべてが動かない。数年単位の低能力運転の時代が、確定した。


 王都は、深い闇に包まれていた。


 しかし、その闇は完全な虚無ではなかった。


 暗闇となった術式校正室では、フィオナとロウが交代で灯す小さな『規格L1』の灯りが、手動弁の番号を確実に照らしていた。


 南倉庫から治癒院へ向かう道では、デーンたち紙伝令が手燈を揺らしながら、文字の書かれた『赤縄札』を握りしめて走っていた。


 そして、北大路の避難線の外側では。


「三十二、三十三……こっちの家族は全員揃ってるね! 次はそっちの組!」


 広域灯が消えた暗闇の中で、リーゼの指示を受けた住民班の班長たちが、自らの声で『人数を数える声』を響かせていた。


 最後の結合環が割れた。


 王都の灯は消えた。


 だが、北大路の人数を数える声は、決して消えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。