第47話 怪物を預けられる町
「王都を守るため、うちの畑の下へ怪物を送れと言うのか」
北外縁区の石工長ミラドは、提示された地下誘導槽の設計図を裏返して机に叩きつけた。
九十日試行の第三週末。王都の北外縁区に設けられた住民協議会の場は、重く険悪な空気に包まれていた。
都市魔導庁と王立魔力環境局は、先日北試験採石場で実証した『低出力の魔力光による喰魔種の線誘導』を実用化するため、ここ北外縁区の使われていない湿冷空洞を、最初の常設誘導槽の候補地として提示していた。
だが、その説明を聞いた住民たちの反応は、当然のごとく冷ややかだった。
「あんたらの理屈は分かったよ。街中から怪物どもを遠ざけたいんだろう」
ミラドは腕を組み、都市魔導庁長官オスカー・ルイスを睨みつけた。
「だが、なんで俺たちの足元なんだ。奴らをここに集めて、地下水に毒が混じったらどうする。畑が枯れたら誰が責任を取る。怪物が集まるって噂が立てば、この辺りの地価は暴落するぞ。それに、一回収容して終わりじゃないんだろう? その後、何年も続く監視と管理の負担は、全部この外縁区が背負い込むことになるのか?」
彼らは、魔法の理屈が分からないから反対している無知な群衆ではない。
生活の基盤、財産、そして未来の安全。それらを不当に脅かされることに対する、生活者としての極めて具体的で正当な防衛権の行使だった。
「ミラドさんの言い分は分かる。しかし、これは王都全体の安全のため……」
同席していたグレンが、非常事態の全体利益を盾にして説得を試みようと口を開いた。
「控えよ、ハルバート教官」
オスカーの低く鋭い声が、グレンの言葉を遮った。
「彼らの生活を犠牲にした上での『全体』などない。利益は市街地の人間が享受し、危険と負担だけが外縁区の住民に押し付けられる。ミラド氏の指摘するその不均衡は、行政として到底見過ごせるものではない」
オスカーは、住民の主張が正当であることを、長官という立場で真っ向から認めた。
ミラドが少しだけ虚を突かれた顔をする。その横で、環境局のセラ・オルテが一歩前に出た。
「環境局としても、この誘導槽に『危険はない』と偽って売り込むつもりはありません。現時点で我々が持っているのは一個体の誘導試験記録のみであり、群れを長期収容した場合の安全性は、科学的に証明されていません」
セラは不確実性を隠さなかった。万能の解決策など存在しないのだ。
「……なら、どうする気だ」とミラドが問う。
オスカーは裏返された地図を表に戻し、ペンを取った。
そして、北外縁区に一つだけ巨大な丸が描かれていた常設誘導槽の計画に、バツ印を引いて撤回した。
「常設一か所案は白紙に戻す。代案として、北外縁区内の旧排水坑、石切場跡、空倉庫下に『三つの一時収容区』を分散して設ける」
オスカーは北外縁区の三候補地に、それぞれ小さな丸を描き込んだ。
「これを、期間ごとに交代使用する。負担を一つの地域に固定しないためだ。――この日、六現場限定試行案の五つ目は、ようやく『北外縁・三か所交代誘導区』という正式名を得た」
さらにオスカーは、別の誓約書を書き上げ、ミラドの前へ押し出した。
「そして、誘導区を稼働させる条件として、以下の四点を都市魔導庁が保証する。第一に、稼働予定時刻と期間の事前告知。第二に、住民代表が危険と判断した場合の『即時停止権』の付与。第三に、環境局とは独立した第三者機関による魔力密度(M・C値)の定点測定。第四に、農地や生活水へ被害が出た場合の補償基準と審査手続の事前告示だ」
住民に「止める権利」を与える。それは行政にとって、計画がいつでも頓挫しかねない強烈な足枷となる。
さらに、誘導先を三か所に分散させることで、喰魔種が目的地に到達するまでの誘導時間は平均して『八分』長くなり、途中で逸れるリスクも増す。三か所分の施設整備と監視の人件費により、建設・維持の費用も跳ね上がる。
それでも、オスカーは効率や安上がりな解決よりも、地域間の「負担の分散」を選び取った。
「……本気か、長官。俺たちに、役所の機械を止めるボタンを持たせるってのか」
「あなた方の足元を使う以上、その権利はあなた方にある」
オスカーの偽りない言葉に、ミラドはしばらく沈黙し、やがて太い息を吐き出して誓約書を受け取った。危険のない場所は作れない。だが、騙し討ちで危険を押し付けられるよりは、戦える条件だった。
協議が終わり、夜の都市魔導庁・暫定運用室。
オスカーの机の上には、六現場試行の対象範囲が記された王都の全体地図が広げられていた。
中央給水圧調整所、街道治癒院、北門、術式校正室、今決まった三か所交代誘導区、そして東河岸の非常配水中継所。
地図上には、試行が行われている六つの現場に青い印が点在している。
「……これで、王都のすべてを守れるわけではない」
オスカーは呟き、ペンを置いた。
行政が動かせる人員と予算には限界がある。六現場での限定試行を行うだけで、都市の平時業務を支える人手と時間は、すでに限界へ近づいていた。
オスカーの視線が、地図の西側に落ちる。
そこには、局地整合度(C値)を見る都市内六観測点の一つである『西区観測点』が存在している。だが、そこは単に魔力環境を『観測』するためだけの場所だ。もし今、そこで魔力が止まったとして、手動弁の切り替えを担当する人員も、住民を安全な場所へ誘導する計画も、優先的に配水する順番も、何一つ訓練されていない。
彼らには、そこまで手を広げる予算も時間もなかった。
地図上の広大な『西生活区』。そこに無情に押された赤いスタンプの二文字は、行政の限界を示す『対象外』だった。




