第46話 三秒の灯りを手放す
フィオナより明らかに魔力の多い見習いが、彼女よりも揺れない三秒の灯りを点けた。
九十日試行の第三週中盤。都市設備局の奥に位置する術式校正室は、焦げた匂いと微かな魔力の残滓で満ちていた。
ここでは、都市の魔導設備が止まった非常時において、現場の作業員たちが最低限の業務を遂行するための『低消費術式』の検証が行われていた。
求められている用途は三つ。暗闇で計器の弁番号を確認するための『遮光灯』。予備のランプに火を移すための『着火』。そして、凍結した手動弁の機構を動かすための『留め金加熱』だ。
フィオナ・セイルは、その指導役として校正室に立っていた。
「ダメだ、また破裂した!」
設備局の若い見習い魔術師が、舌打ちをして手を振った。彼の掌の上に生み出された光の球は、わずか一秒でパンッと音を立てて弾け、不規則な火花を散らして消えてしまった。
高魔力を持つ見習いたちにとって、自分の魔力を『極小の一定出力』に絞り込み、それを数秒間だけ維持し続けるという制御は、全力で大魔法を放つよりも遥かに困難な作業だった。出力が強すぎれば破裂し、絞りすぎれば一瞬で霧散する。
「魔力を押し出そうとしないでください。息を吐ききるように、ただ漏らすだけです」
フィオナが手本を見せる。彼女の杖の先から、熱を持たない柔らかな光の球が現れ、正確に三秒間、一切のブレなく周囲を照らして静かに消えた。
見習いたちから感嘆の息が漏れる。フィオナの胸の奥に、密かな優越感が広がった。
(やっぱり、私にしかできないんだ)
魔力量が絶望的に少ないという自分の欠点。しかし、だからこそこの極小の出力を誰よりも安定させられる。あの統一試験の暗闇で仲間を導いた『特別な私だけの魔法』。
何度やらせても失敗を繰り返す見習いたちを見かねて、フィオナは口を開いた。
「クレイン主任。やはり、これは低魔力の人間でなければ無理です。彼らの出力では、どうしてもブレが生じて暴走の危険が……」
「そうだな。魔術師の個人の技量や素質に依存するなら、それは公共の手順にはならない」
設備局主任魔術師、トビアス・クレインが歩み寄り、失敗した見習いの手元を覗き込んだ。
「絞りきれないなら、出口を物理的に狭めればいいだけだ」
トビアスは工具箱から、ごくありふれた真鍮製のリングを取り出した。現代の設備配管などで使われる、一定以上の圧力を通さないための『物理制限器』だ。
彼はそれを見習いの術環にカチャリと物理的に組み込み、固定した。
「もう一度やってみろ。今度は絞ろうとするな。普段通りに魔力を流し込め」
「は、はい」
見習いが再び術を起動する。
彼の中に満ちる豊かな魔力が一気に流れ込もうとしたが、術環に組み込まれた物理制限器が、設定値を超えた魔力を強制的に遮り、熱として空気中へ逃がした。
結果。見習いの掌の上に、極めて安定した光の球が現れた。
フィオナは息を呑んだ。
計器が示す出力の波形は、許容誤差の範囲内で、フィオナが全神経を集中させて作り出した手本の光よりも、さらに真っ直ぐで安定した線を描いていた。
「……よし。制限器を使えば、高魔力者でも一定の低出力が担保できる。これなら実用化できるぞ」
トビアスが満足げに頷き、周囲の専門魔術師たちも記録紙に認証のサインを書き込んでいく。
フィオナは、足元が崩れ落ちるような喪失感に襲われた。
自分だけの価値。自分という存在を特別にしてくれていた、唯一の魔法。それが、真鍮製の安い物理制限器という現代技術の前に、いとも簡単に代替され、奪われてしまったのだ。
彼女は唇を噛み締め、俯いた。
「……悔しいか」
視察に訪れていたグレン・ハルバートが、フィオナの背後に立っていた。
彼はフィオナを慰めなかった。
「お前しか点けられない火なら、それはただの手品だ。だが、制限器という道具を足すことで、お前以外の他人が、お前と同じ火を点けられるようになった。……それは、お前の技術が『授業』になったということだ」
グレンの言葉が、フィオナの胸に真っ直ぐに突き刺さる。
自分が特別でありたいという誘惑。誰にもできない魔法を独占したいという自負。それを囲い込んだままでは、王都の設備を動かすことはできない。
「……はい」
フィオナは顔を上げ、自らの未練を断ち切った。
彼女はトビアスから認証用の公開票を受け取り、そこに術式の構成、失敗する条件、そしてトビアスが追加した制限器の寸法を、一つ残らず正確に書き込んで自らの署名を行った。
そして、この術式が万能ではないことを示すため、限界の線をはっきりと太字で書き記す。
『本手順は規格L1とする。用途は照明、着火、局所加熱に限定』
『警告。本規格の出力では、水生成、治癒、魔導ポンプの主駆動、および大火力には使えない』
『本規格は都市同期網を用いない。ただし、使用者の体内魔力が完全に失われた地点では、点灯、着火、局所加熱のいずれも行えない』
できないことを明確にすることで、現場の作業員が過信して事故を起こすのを防ぐ。それが、公共の規格として技術を渡す責任だった。
「あの、セイル技術員」
公開票を書き終えたフィオナに、別の若い見習いが声をかけてきた。
彼はフィオナの書いた術式構成図を指差した。
「この術式の三番目の結びですが……制限器を通す前提なら、ここの逆位相の工程を省略できるんじゃないでしょうか。そうすれば、呪文をさらに一行短くして、発動を一瞬早くできると思います」
それは、フィオナが考え抜いて作り上げたオリジナルの手順を、他人が書き換えようとする提案だった。
少し前のフィオナなら、「私のやり方が一番安全だ」と突っぱねていたかもしれない。だが、彼女はもう自分の原文を守ることに執着しなかった。
彼女は見習いの提案した省略経路を頭の中で計算し、問題がないことを確認すると、あっさりと自分の公開票に斜線を引いた。
「本当ですね。あなたの言う通りです」
フィオナは改訂理由を見習いの名前と共に添え、公開票を上書きした。
自分個人の価値を手放し、他人に改良されることを許した瞬間。彼女の小さな魔法は、個人の技から、誰もが直して使える技へ変わったのだ。
「もう一度、点けてみてください」
フィオナの指示で、見習いが改良された手順と制限器を用いて術を起動する。
一瞬早く発現した安定した灯りが、正確に三秒間周囲を照らし、そしてふっと消えた。
最後の一本の火を点けられる、特別な自分。
その独占感を失った胸の奥には、確かな悔しさが残っている。
だが、フィオナはその悔しさごと飲み込んで、晴れやかに笑った。
「規格内です。……さあ、次は誰に教えますか?」




