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1話 隠居のススメ

ガッ!と鈍い音が薄暗く汚い部屋に響き渡る。

ぼやけていた儂の頭には強い衝撃が走った。


――


暖かな日差しが世界を照らし、穏やかな空気が日常を支える。

ここ魔法都市「フォルエルング」は今日もいつもと変わらず人々の夢と希望で包まれている。

はずだった…


「ぐぇっ!…いっ、イッタイのじゃッ!!」

儂は椅子を蹴飛ばしながら、勢いよく立ち上がる。

椅子は、高く乱雑に積まれた本を道連れにして、ガダンッと盛大に倒れた。


「いったぁ…何があたっ…はっ、はぁっ、はっくしゅん!!」

ズキズキ痛む、くすんだ灰色の頭を優しくさする。

儂は憎たらしい犯人を探そうとした。

しかし、一斉に舞った埃が儂に襲いかかる。

無防備な儂は、防げなかったのじゃ…


「うぅ…儂、何か悪いことしたかの?」

痛みか、くしゃみのせいか涙が出てくるのじゃ…

だが、立ち止まっても何も始まらぬ。

気を取り直して、物で溢れているのに、どこか寂しい部屋をぐるりと見渡した。


「…ん、なんじゃこれ?」

机の下に異質なオーラの本があった。

儂はゆっくりと本を手に取る。

表紙には読めない文字が大きく書かれておった。


「ほぉ、異界の書じゃ」

異界の書。

それは異世界から流れ着いてきた本じゃ。

そんなものが、儂の頭に落ちてきおったか。


「これは…運がいいのかの?」

じゃが、これはこれ、それはそれじゃ。

儂はアネメル教の聖書よりは大きく、魔法図鑑よりかは小さい本の角を恐る恐る確認した。


「おぉ、これは…」

儂は思わず、サッと本を傾けてしまった。

…恐ろしすぎるのじゃ。


「どうなさいました?」

後ろから鈴の音のような声がする。

儂は声のした方へと、くるりと体を向けた。


「べっ、別に、なんでもないぞ!?」

あたかも先の件はなかったように振る舞った。

振り向いた先には、スズが少し浮きながら儂を見ておった。


「本当は泣かされたのでしょう?その恐ろしい角に」

彼女は少し微笑みながら、儂に聞いた。


「っ!儂にも威厳があるのじゃ!」

やはり、苦しかったか…

でも、威厳は大事なのじゃ。

ましては、儂は王立魔法研究機構の所長を務めているのじゃぞ。

だから、そんなダサいこと言えないのじゃ!


「威厳が大事なら、まずはこの部屋からどうにかしたらどうですか?城の最も良い場所にあるというのに…部屋は散らかり、カーテンをしているから光も入らない。あまりにも汚すぎて私は足を床につけれません」


「ぐぅ…」

…ぐうの音しか出ない。

しかし、儂なら余裕じゃが、精霊はもう音を上げるのか。

ふっ、貧弱ものじゃな。


「私じゃなくとも、同じことを考えますよ」

彼女は、儂の思考を読み取ったような返答をした。


「人間もお主もまだまだじゃな。早く儂のいる高みに登ってくるがよい」

儂は胸を張って、ドヤ顔で言った。


「その言葉が、既に威厳がないのですよ?あとルアナ、あなた臭いです」


「ふえ?…儂みたいな美少女は臭くないに決まっておる!」

そんなこと、あるわけないじゃろう。

そう、この純蓮潔白、完璧美少女である儂が臭いじゃと?

そんなバカな話あってたまるか!?


「冗談はやめてください。ここから投げ出しますよ?」

彼女は、冷たく真顔で儂に言い放つ。


「あ、ごめんなのじゃ…」

これ以上は触れてはいない。

儂は目に見えている地雷は踏まない主義じゃからな!


「よっと」

儂は、パチンッと指を鳴らす。

その瞬間、散らばっていた本は綺麗に積まれ、部屋中に住み着く埃や散らばったゴミが一箇所に集められる。


「本はしまわないのですか?あと、集めたゴミはちゃんと捨ててください」

本当に痛いところをついてくるのじゃ。

じゃが、怒らすのは怖いからの。

ここは正直になるのじゃ。


「ゴミはわかったのじゃ。だが、本はムリじゃな!」


「何故?」


「元の位置を忘れたからじゃ!」

儂は誇らしい顔で言い放った。


「はいはい。わかりました」

彼女は呆れた声で答えた。

そして、彼女は指をくるっと回す。

次の瞬間、本の塔は次々と解体され、本棚へと収納されていく。


「そんな、ご無体なぁー」

儂はつい音を上げてしもうた。

だが、解体工事は止まらない。

遂に最後の1冊までもが本棚へと吸い込まれていった。


「ゴミはどうするのですか?」

…圧がすごいのじゃ。

だから、儂はゴミを浮かせて、それをぐっと一つに小さくまとめた。

そして、慣れた手つきでゴミをこの場から消した。


「…一体どこに送りつけたのですか?」

彼女は薄々勘付いていたが、聞いてきた。

だから、儂も素直に答える。


「教皇の枕の下じゃ」

儂はアネメル教の教皇は嫌いじゃからな。

だが、儂みたいな可愛い美少女からの贈り物じゃ。

むしろ喜ぶに違いない。

うん…うん?

まあ、よい。


「…早く体と服を洗ってください」


「あっ、はい」

儂はもう一度指を、パチンッと鳴らす。

すると、儂の体と服は瞬時に綺麗になった。

やはり、魔法は便利じゃ。


「話を戻します。ルアナ、その異界の書はどうしたのですか?もしかして、盗んできたのですか…?犯罪ですよ」

部屋がある程度綺麗になったので、スズが話を戻す。


「もちろん、違うぞ!」

儂を疑うなんて、なんて失礼な奴じゃ!


「ええ、知っていますよ。それで、本の中身は確認したのですか?」

むっ…儂をからかうなんて、なんて失礼な奴じゃ。


「これからじゃよ」

そうして、儂はその異界の書を胸の前で大きく掲げ、儂だけのスキルを使う。


「〈ライブラリ〉!」

次の瞬間、世界が一変する。

薄暗い部屋から、明るく暖かい空間へと変わった。

そこは、本棚がずらっと並ぶ儂の世界じゃ。


「…本当に壮大ですね」

スズは打って変わり、尊敬の眼差しを向けていた。

儂は、異界の書に翻訳をかける。


「ふむふむ…この異界の書は『隠居のススメ』というらしいのじゃ。ふむ、隠居?つまり、田舎での暮らし方が書いているだけじゃな。ん?隠居の10ヵ条?」

儂は異界の書、もとい隠居のススメをペラペラとめくって眺めてみる。

その中で、隠居の10ヵ条という気になる箇所に当たった。


「それはなんですか?」


「えっーとじゃなあ――」


隠居の10ヵ条

1.隠居は怠けではない。

2.仕事に使われるな。仕事を使え。

3.自然に触れよ。だが、甘く見るな。

4.歩みは緩やかに、心は自由に。

5.速さに流されるな。だが、便利さは活かせ。

6.自分で動け。必要なときは頼れ。

7.小さな日々を積み重ねよ。

8.ときに離れよ。だが、帰る場所を持て。

9.何気ない出会いを大切にせよ。

10.力に頼りすぎるな。必要なときだけ使え。


「――だそうじゃ…」


「なるほど。不思議なことが書いてありますね。異界の人は変わった生き方をしているのですね」

スズはあまり興味がなさそうじゃな。

じゃが、儂の中で何かが動いた。

言葉にできない違和感に惹かれるがまま、ページを少し多めにとってめくる。


「『仕事に使われるな。仕事は惰性でも強制でもない。本当の仕事は自ら動くのだ』か…」

ふと、自分の仕事を振り返る。

儂の仕事は、ここで開発された魔法の承認。

最初は興味深い魔法が多く、実に楽しかったのじゃ。

じゃが、時代が経つにつれ、質の悪い魔法が増えていった。

しかも、数が呆れるほどに多い。

まさに、質より量。

しかし、いくら質が悪かろうと蔑ろしてはいけないのじゃ。

儂は、全てしっかりと確認しなければならなかったのじゃ。

つまり…


「儂は、儂のためにでなく、他人のために仕事に追われてたのか…」

最近は魔法の研究もしていない。

この魔法都市、いやこの部屋からも出ていない。

最後に寝たのはいつじゃ?

ご飯を食べたのは?

賭け事をしたのは?

全く覚え出せないのじゃ…

じゃが、まともな生活をしておらぬことだけがわかった。

…儂は知らぬ間に仕事に使役されていたわけじゃ。

それを異世界の書に気付かされるとはな。

しかし、辛いといって投げ出してはならぬ。

儂は王立魔法研究機構の所長なのじゃから。


「他には…『隠居では自分のために仕事をしろ。何故って?他人のためにする仕事なんてどうせ君がいなくても回る。くだらない仕事に追われる君は使い捨てのボロ雑巾に過ぎない。なら、君自身が輝くピースになれる場所の方がいいだろう?』じゃと…」

儂をボロ雑巾扱いじゃと?

しかし、儂は大きな衝撃を受けた。

所長として公の場に出たのは随分と前のことじゃ。

魔法の承認も、もう儂じゃなくても良いじゃろう。

つまり、儂はいなくても研究機関は回るのか…


「『隠居は君が物語を作るのだ。さあ、ちんたら悩むなら君のいる陳腐な世界から飛び出してみろ。それが隠居への第一歩だ!』…!!!ふっ、ふふっ、ふっはははは!」

儂の中で何かがふっ切れる音がした。

そうか、ここから抜け出してもいいのか!

そう思うと、頭がすっきりし、心が軽くなったのじゃ…!

儂の体はまるで羽が生えたようじゃった。


「…ルアナ大丈夫ですか?」

スズはいきなり笑い出した儂を心配してくる。

大丈夫に決まっている。

むしろ、こんなにも心がワクワクしておるのじゃ!


「もちろん大丈夫じゃ!」

高揚感を抑えられぬ。


「スズ!」

つい口がニヤけるのじゃ。


「儂は隠居するのじゃ!」

自分のために生きる…!

心がこんなに大きく踊るなんていつぶりじゃろう?

隠居がこんなに素晴らしいものじゃ!


「ですが、お仕事はどうするのですか?」


「それは大丈夫じゃよ。あの老ぼれどもに任せれば良いのじゃ。どうせ、ハゲた頭に1本髪を生やす魔法とか小石を3mm浮かす魔法とかしかこないぞ?」

もちろん心配するのもわかる。

じゃが、大丈夫じゃろう!

きっと、なんとかなるじゃろうて。

そうと決まれば、あとは早い。


「〈ライブラリ〉ブック!」

儂がそう唱えると、本が儂のもとに飛んでくる。


「何をやるのですか?」


「儂の分身を作ろうと思ってな」


「分身ですか」


「そうじゃ。見ればわかるぞ」


彼女の質問に軽く答えながら、儂は飛んできた本を読み取り、魔法を発動させる。

その瞬間、儂の手のひらにぬいぐるみが作られた。


「可愛らしいですね。そして、ここからルアナの魔力が感じます。これであなたがこの部屋からも出ても、魔力探知で気づかれることはありませんね。そして、工夫も加えたのでしょう?」

ふふ、そりゃ、儂がモデルじゃからな!

まあ、流石は精霊じゃ。

ここまでわかるとはな。


「お主の言う通りじゃよ。儂に通信が行くようにもしておいた。これで、何かあっても安心じゃ…これで遊ぶんじゃないぞ?」

儂は〈ライブラリ〉の使用を停止する。

隠居のススメも収納できたしの。

次の瞬間、世界は一気に薄暗くなった。

だが、気持ちはこの部屋よりも明るかった。

冷たく大きく感じた部屋が、どこか懐かしく暖かい気がしたのじゃ。


「さあ、ぬいルアナ。儂の代わり頼んだぞ!」

儂はぬいぐるみを机に置き、優しく撫でる。

そして、儂は軽い足取りで窓際に行く。

そのまま、重くかかったカーテンに手をかけた。


「ルアナ待ってください!」

焦るスズの声が聞こえたが、儂の動きは止まらないのじゃ!

儂はカーテンを大きく振り払った。

一瞬の出来事じゃった。


「あ"ぁぁっ!目ぇ!」

偉大なる太陽が儂へ降り注ぐ。

久しぶりの太陽は強かったのじゃ。

一瞬で、儂は浄化されそうになったのじゃ…

太陽、恐ろしすぎるのじゃ。

だが、不幸は終わらない。

カーテンにいた埃が一斉に儂に襲いかかってきた。

太陽のせいで悶えている儂に、防ぐ術などないに決まっておるのじゃ!


「はっ、はっっくしょん!!」

儂はまた盛大にくしゃみをする。

何なんじゃあ、コイツら。


「だから言いましたのに…」

彼女は呆れた表情でこっちを向く。


「それで、大切なものは持ちましたか?」

心配そうに彼女は儂に聞いてくる。

ふっ、お主は儂の母親かっ。

…だが、ここを離れたら、当分の間スズと会えなくなるのは寂しいものじゃな。


「大丈夫じゃ。全部異空間にしまっておる。うぅー、よいっしょぉっ!」

そう答えながら、儂は固くなった窓を全力で開ける。

途中、開かないと心配したが、流石は儂じゃ。

ちゃんと開けれるのじゃよ。

儂は誇らしげな顔を浮かばせる。

そして、異空間からマントと帽子を取り出す。

儂は、窓に身を乗り出した。


「最高じゃな…!」

涼しくて気持ちいい風が髪を優しく靡かせる。

眼前には美しい街が広がっていた。


「五老人への連絡はどうするのですか?」

風に誘われ、スズのメイド服が揺れる。


「おっと、忘れておったわ。スズ、お主に任せるぞ!」

すっかり忘れておった。

しかし、ここまで来たから引き返せないのじゃ。


「しょうがないですね。では、所長を通さなくとも魔法の承認ができることを伝えますね」


「ありがとじゃ、スズ!…では、いってくるな!」

どんよりと沈んだ気持ちは消えた。

その代わり、儂の心は快晴のように澄み切っておった。


「はい。いってらっしゃいませ」

彼女は深々と礼をしながら、儂を丁寧に送り出す。


「とうっ!」

儂は、窓から勢いよく飛び出す。


さあ、何が待っておるのじゃろうか。

そうして、儂は光の向こうへ転移をしたのじゃった。

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