ハルフォード
こつ、こつ、こつ、
光の射さない石造りの廊下に革靴の音が響く。ここに収容される罪人の危険度に合わせた頑丈な扉の向こうから聞こえる金切り声が段々とはっきり聞こえてくる。
「だから知らないってば! 魅了魔法? そんなの使ってない! あのブレスレットだって妖精が変装したおばあさんからお祭りの日に買ったけど、そんな危険なものじゃないってばぁ! 何回も言ってるでしょ、わたしそんなつもりなかった……普通に好きになってもらっただけで……っ!」
僕がやって来た事に気付いた扉脇の兵士達が敬礼をする。それに片手を軽く上げて答えると、声を出さぬまま部屋の中へと入った。
衝立の向こうにいる者達にはこちらの姿は見えない。僕の意を察したカイルが、ある程度権限を持たせている捜査官達を衝立の裏に呼び寄せて代わりに小声で進捗を聞き始めた。気が利く、さすが将来僕の弟になるだけはあるな。例の事件の最中も、側近の中で一番演技が上手かったしこれからも僕とアイリスのために色々協力してもらおう。
「供述は変わっておりません。言っていることは支離滅裂で、子供の空想と区別が付かない。内容は我々の理解の範疇を越えていますが、狂っているにしては破綻しておらず話が一貫している」
渡された調書にざっと目を通すが目新しい記述はない。自分は妖精の祝福を授かった貴重な存在として平民ながら国立の魔術学園に入った、ここまでは事実である。
その学園にいる間に「妖精の愛し子」に覚醒し、そのために僕を含めた高位の貴族の婚約者候補になって各々と愛を深めるはずだった、だからそうした。相手の魂の波長に合わせて、練った魔力を注ぐと人の心を魅了できる魔道具は偶然手に入れた、使い方は何故か知っていた。本人曰く「前世」の「ゲーム」で見たそうだ。
主張は一貫してそこから変わらず、捜査は相変わらず進んでいないようだ。
存在自体が禁忌である魅了の力を持った魔道具を誰が与えたのか、魅了に関わる魂の波長の存在、その研究目的でさえ知る事すら許されないはずの使用方法をどうやって知ったのか。この大がかりな舞台装置を使って王太子を誘惑させようとした愚か者がいると国は考えていた。
僕や側近達の居場所を常にどんな方法で把握していたのかすらも判明しておらず、内通者がいる可能性も高かったため調査はごく限られた人数で行われてきた。それも先日終わったため、苦痛ばかりの囮捜査ももう終わりだ。長期間付き合ってもらった幼なじみ兼側近達には上司としてしっかりと労いをしてやらないと。
この事件で使用された魔道具は人ならざるものが関わった事が確認されている貴重な品で、その入手経路は今でも不明。おそらく膨大な手間と時間をかけないと得られないような情報まで持っており、操っていた誰か、または何かの存在を示唆されている。それにしては実行犯の質が悪すぎる、とこの件に携わる者達は皆一様に首を傾げているが。僕にとってのこの事件は解決したが、これからもここに関しての調査は続けられるだろう。
あの魅了の力を持つ魔道具を使用するのに何かの適性が必要だったのでは、だからネロイを使わざるを得なかったのかもしれない。そう推測されているが、あまりにも危険なため魅了の魔道具の実験許可は下りていない、それ故仮定でしかないが。
衝立の向こうからは調書と変わらない、依然空想の中に生きているかのような聞くに耐えない妄言が垂れ流されている。
「僕が話を聞こう」
「あ……ハルフォード様?! ハルフォード様、ここから助けてください! 皆おかしいんです! 突然こんな場所に連れてこられて、私もう何もわからなくて……!」
わざと姿を見せると、手錠で拘束されていたネロイが勢い良く鉄格子にすがりついた。両手をつなぐ鎖が格子にぶつかり、ガチャンと不愉快な音を立てる。
「カイル」
「かしこまりました」
鉄格子の隙間から伸ばされた腕が届くことのない距離だが、罪人ごときが触れようと手を向ける時点で決して許される行動ではない。護衛を兼ねてこの場にいる自分の側近の名を呼ぶと、僕が求めた通りに佩いていた短剣を鞘ごと振り上げネロイの手の甲を強く叩いた。
「いだぁいっ! 痛……え、何で……カイ君? どうして、いたい、痛いよ……」
「お前に声を出す許可を出していない。質問にだけ答えろ」
卑しい罪人が、調査のためと言えど王族と不必要な言葉を交わさないようにカイルが間に入る。地下牢には相応しくない、シンプルなデザインだが質の良い椅子がすぐさま運び込まれて僕はそこにゆったりと腰掛けた。
ネロイは未だに何も理解できていないようで、痛む手を押さえた格好で目と口を開けたまま固まっている。
「望んだ夢の中は楽しかったか?」
「……え?」
質問の内容も、現状も未だに何も分かっていないらしい。バカと話すのはこれだから嫌なんだよな。理解が遅い。
「僕達は最初君の事を避けていたんだよね。婚約者のいる王太子やその側近にふしだらに言い寄って寝盗るとんでもない女だって、アイリスが、夢にすごく怯えてたから」
「……姉さんはそんな下品な言葉を使っていません」
「ああ、そうそうごめんね。アイリスは単純に、僕から婚約破棄されて不幸になるのを怖がっていただけ。可愛いよね、夢に怯えちゃって。アイリスの話を聞いた僕が勝手に、その夢の中に出てきたネロイって女にそんな感想を持ったって話。でも外れてないでしょう? 避けて行動していたはずの僕達に自分から擦り寄って来たんだから」
脚を組んだ僕は薄く笑う。今まで演技で向けていた笑顔とは違うそれにネロイが目を見開いて小さく声を漏らした。
「妖精の祝福を持つ事を生かして、人より少し優秀な平民の学生として大人しく学んでいれば幸せになれたのに。勉強じゃなくて男漁りがしたいのかと思って結婚を斡旋してやれば断るし」
「それって……19歳も年上のおじさんと結婚させられそうになった話?! ひどい、ハルフォード様が関わってたの?!」
刹那、鉄格子の間を貫いたカイルの剣の鞘の石突きがネロイの肩を打ち、ぎゃあっと悲鳴を上げて女は石床の上に転がった。
痛みにのたうつネロイを見下ろしたカイルが冷たい視線を向けている。この男も、大好きな姉を目の敵にして事あるごとに問題を起こしていたこの女には怒りが溜まっていたのだろうか。どこか私怨を感じてしまう。
「どうしたの?! カイ君、私だよ! 私っ……ネロイだよぉ、どうしちゃった……ひぃっ!!!」
「次に許可無く口を開いた場合は鞘から抜く、分かったら黙れ。話が進まない」
「ひっ、ひぃっ、ヒッ……」
目の前の鉄格子を剣の柄で殴られて、耳をつんざくよう衝撃が響く。涙と悲鳴を何とか飲み込んだネロイはガクガクと唇を震わせながら必死に声を抑えていたが、その様子は酷く滑稽だった。静かになるのをイライラしながら待っていた僕は改めて言葉を続ける。
「どうして……本当に、どうしてアイリスはこんな女を怖がってたんだろう……何一つアイリスより優れてる所なんて無いのに……ああ、いや、アイリスと比べる事自体が失礼か」
「そもそも姉さんの夢の中に出てくるらしいネロイ嬢と性格や能力が全く違いますし」
「例えアイリスが言っていたような『頑張り屋で応援したくなるような健気で天真爛漫で優しい少女』であっても僕がアイリス以外に目を向ける訳無いじゃないか」
それを否定しないカイルと、僕のやりとりにネロイが目を見開いて固まった。声を出して殴られたのが余程きいているらしく、唇は「どうして」とかすかに動いているが音にはなっていない。
「アイリスはずっと不安がってたんだよ、小さな頃からずっと。夢の中に出てくる女に僕を奪われるって、可哀想なくらいに怯えてしまって……僕がどんなに愛を伝えても心の底からは信じてくれなかった。お前のせいで。怯える姿も警戒心の高いウサギみたいで可愛かったんだけど、大切な人には心から安心して笑って欲しかったからさ」
「夢の中とは違う、とこの女と距離を置いて見せても姉上のおつらそうな様子が変わらなかった時はどうしようかと思いました」
「それも全部、ネロイ、君が自分で常識と礼儀を守らずに恥知らずな行動を取り続けたからだよ。せっかくアイリスが忠告してくれたのに無駄にして。今の状況は君が自分で選んだ結果だ。……言い訳があるのか?」
何か言いたそうな目で泣き始めたネロイを見ていると、どんな話をするのか気になって戯れに許可を出してみた。
口を開いて、閉じて。辛抱強く待った後に、つっかえつっかえ、漏れそうな嗚咽を堪えて喉から絞り出されたのは涙が滲んだ声だった。
「わたし……わたし、ずっとだまされてたの? ハルフォード様とカイ君と、アレクもビルもみんな、わたしの事、好きだって思ってたのに……」
「え、……今更? 今?! 今やっとそこを理解したの? ……はは、あはは!!」
思いもよらぬ答えすぎて、僕は我慢できずに笑い出してしまった。すごい、突拍子もない事を言われると人ってこんなに笑っちゃうんだ。お腹を抱えて大声で笑ったのなんて子供の時ぶりじゃないだろうか。
「ん、くふふ……分かってはいたけど本当に愚かだねぇ。そうだよ……騙してたって事になるのかな」
「なんで……? どうしてこんな酷いこと……」
「酷い? 虚言を吐いて被害者を装いアイリスを悪役に仕立て上げていたお前の方がよっぽど酷いだろう。虐められていたように装っていたのに僕達が気付かなかったとでも? 君がもう少し善良な心を持っていたらこんな目にあっていなかったのにね。それか、もう少し頭が良かったら、『役者』にしてやっても良かったんだけど。残念だよ」
カイルや他の側近みたいに、アイリスの悪夢の通りに「一度バカな女に騙されて裏切ってしまうけれど真実の愛で目覚める王子」の演目の「バカな女」役を。
カイルが何とも言えない目で僕を睨んでいる。まるで「絶対残念に思ってないだろう」って言われているようだ。人聞きの悪い。
「……関わってこなければ放っておいてやったんだよ? 僕だって、演技とはいえアイリスを傷付けるのはとても心が痛かった。本当はあんな事したくなかったんだけどね。でも根性の曲がったこの女に協力を仰ぐ事は出来なかったし、ならアイリスの不安を払拭するにはこの手しかなかったのはカイルも分かるだろう?」
最初は、せっかく優しいアイリスが忠告してくれたのに、酷い言葉を返していた時点で殺してやろうかと思ってたんだけどね。石に躓くのが怖いなら最初から取り除いておけば良いだろう? でもアイリスが万が一ネロイの死を知ったら悲しんでしまうし、死を隠したままではアイリスは一生ネロイが現れて僕の愛を奪われるんじゃ無いかと怯えて生きる事になる。そんなのはダメだ。
アイリスの心にあるのは僕だけで良い。だからこうするしかなかったんだ。
ああ、でもアイリス可愛かったなぁ。不安で泣きそうな顔も、ネロイと居る僕を見る悲しそうな瞳も、僕が心変わりしたと思って絶望してた表情も顔中舐めまわしたいくらいに愛おしかった。
僕のために流れた涙だと思うと瓶に入れて持ち帰りたいくらいだったよ。さすがにそれは思いとどまったけど。
アイリスを泣かせようとは思ってないけど、僕達の愛の障害を取り除く過程で不可抗力で泣かせてしまったのはしょうがないよね。当然もう二度と傷付けるつもりは無いから、あの美しい涙は僕の心の中と……こっそり録画した映像魔道具の中だけに大切な思い出としてしまってある。
「僕がどんなに愛を誓っても、お前が言い寄ってくるせいでアイリスはずっと最後の所で僕を信用してくれなかったんだよ。だからアイリスを苦しめる悪夢を一度この現実で終わらせてあげる事にしたんだ」
アイリスは小さい頃からずっとずっと、「訪れる未来」だと言う夢の話に苦しめられていた。なんて可哀想なアイリス。僕が何度愛を囁いても、絶対にそんな事しないと誓っても瞳の奥には常に不安が揺れていて。僕は自分の無力さにいつも歯痒い思いをしていた。
学園に入る頃には最後の扉もやっと開きそうになっていたのに、この女が現れた事で全部無駄になった。だからアイリスが話していた「ゲーム」とやらの物語通りに、一度幕を下ろす事にしたのだ。
悪夢が終わった後なら僕の言葉も届くだろうと思って。カイルは最後まで「殿下が姉上の泣き顔を見たいとかそんな不埒なお心は一切ありませんね? 本当ですよね?」とうるさかったけど。
ああ、これでやっとアイリスに僕の愛を偏見なしに受け取ってもらえる。真実の愛で正気を取り戻した設定だから、今まで控えていたような溺愛をしても許されるよね?
実際ネロイには原理の不明な怪しい能力があって、それが魅了魔法と判断された。本人が心底善良な人物だったら「まるで物語の主人公のように誰からも好かれる人」とでも思われるだけかもしれなかったが、まぁあり得ない話だな。
何故か僕達の行動を把握していて行く先に現れるという謎についての情報漏洩の調査も兼ねていたとは言え、囮捜査についてはアイリス以外に種明かしをするとしても醜聞となったし、規模を大きくしすぎだと陛下にはお叱りを受けてしまった。
でもギリギリまで騙してたおかげで禁忌に触れる魔道具を完璧な状態で回収できて王宮魔術師は大喜びしてたし、僕の演技に騙されて正式な次期王妃を冷遇しようとしていた不穏分子の洗い出しも出来たんだから国としても得たものの方が大きかったんだから良いんじゃないかな。
ひとつひとつ説明してやって、ようやく理解したらしいネロイは「嘘だ」「うそ」「やめて」そう呟きながら頭を抱えて石床にうずくまった。
「だから、聞いただろう? 望んで見た夢は楽しかったか?」
「いやぁああああ!!!」
全て偽りだとようやく知って、泣き叫ぶ顔を見るのは少しだけ愉快だった。