『あーん』、されました
梅雨の合間の晴れた日のことだった。
骨折した私の腕も治るところで、明後日にはギブスがとれる。この不自由な生活ともおさらばだ。ずっとじめじめした天気が続いており、久々に青空が見えたので私の気分もいつもより晴れやかだった。そんないい気分に浸っていたのもつかの間。私のもとへ奴はやってきた。
「たーかざっき先輩っ!!」
「うわぁぁぁぁぁ!!」
2限が終わった後、食堂へ移動していたときだった。突然、後ろから肩をトンっと叩かれて私は文字どうり飛び上がった。心臓が飛び出してきそうだ。思い切り叫んでしまったので周囲の目が私に集まる。私はいたたまれなくて目を逸らした。
「そんなびっくりしなくてもいいじゃないっすかぁ~。大げさだなぁ」
「…………吉田くん」
吉田てめぇ! やっぱり貴様の仕業か!! 超びっくりしたじゃないか!! 私はキッと吉田を睨みつけた。私が睨んでも怖くはないって分かっているけど、これくらいはさせてほしい。じっと見ていると、吉田はあからさまにうろたえて、視線がおよぐ。そして手を口元におしあてて「ヤバい……」とか何とか言っていた。声が小さかったからよく聞こえなかったけど。
「用がないならもう行くけど」
「用ならあるっす!! 高崎先輩は今から食堂ですか?」
「そうだけど」
「一緒にご飯たべませんか?」
「はぁ……」
また一緒に食堂で食べるのか。視線がうるさいんだよなー、吉田も、周りも。できれば遠慮したい。
「やっぱり、今日はコンビニでご飯買ってくる。食堂の気分じゃないから。だから」
「その必要はないっす!!」
やんわり断ろうとする私に対して、吉田が無駄に良い笑顔でこうのたまわった。
「俺、今日お弁当作ってきたので一緒に食べましょう!!」
「…………は?」
嬉しそうに包みを抱え上げてにっこり笑ってそう言った。弁当を、作ってきた、だと? ……吉田は何を目指しているんだろう。私には謎だった。
「ここらへんでいいっすかね」
結局、吉田の勢いに流されてしまった。連れてこられたのは大学内のとあるベンチだ。ちょうどいい日かげで、外で暑いはずなのに心地よい。あまり人通りの多い場所ではなかったのでなんとか許容範囲だ。
「じゃーん! どうっすか? 今日早めに起きて作ってきたんすよ!」
「…………」
ぱかっと重箱のふたを開けると、唐揚げにハンバーグといったお弁当の定番メニューや、煮物や卵焼きなど色とりどりのおかずが綺麗に並べられていた。たこさんウィンナーや人参が星型に切られていたり、細かな芸が見受けられる。
なにこの女子みたいな弁当。吉田、君本当になんなの。
「……すごいね(色んな意味で)」
「ホントっすか!? やったぁ!!」
よっしゃあ!! と全身で喜びを表す吉田に、私は思わずくすり、と笑ってしまった。なんか大型犬みたいで微笑まし──!?
(いやいやいやいやいやいやいや)
私何考えた!? 吉田がほほえま……いや、何でもない。きっと白昼夢でもみていたんだろう。うん、そうだ。それに私は生粋の猫派だ。従順系よりツンっとしていてそっけない方が攻略しがいのあるっていうのは今は関係ないか。
「先輩、食べられないものはないっすか?」
「大丈夫だよ、ありがとう……?」
私は重箱から取ってくれたおかずたちを受け取ろうとしたのだが、吉田は差し出したポーズのまま止まった。
「先輩、骨折してたっすね」
「そうだね」
今さら何の確認だろう。原因の少しは君が関わっているんだけどね?
「俺、失念していました」
「……は?」
なぜか突然しゅん、とした金髪犬を見て私は嫌な予感がした。
「利き手が使えなかったらうまく食べれませんよね。──はいっあーん!!」
「…………あん?」
金髪犬はあろうことか唐揚げを割りばしでとると、私へと差し出してきた。ヨシダ、シキュウセツメイヲヨウキュウスル。
「先輩、早くはやくっ!」
「む、むぐっ」
ぽかん、と口を開けた私に唐揚げを押し付ける吉田。思わず食べてしまった一口サイズの唐揚げは、噛むとじゅわっとジューシーな仕上がりだった。
「どうですか?」
「むぐむぐむぐ…………おいしい」
「よかった!!」
素直な感想を言うと、吉田はさらに喜んだ。いや、本当においしいよ? おいしいんだけどね?
「吉田くん」
「何っすか? 次は何がいいですか?」
「ちょ、ちょっと待って」
「……?」
私が待ったをかけると吉田は首をこてん、とかしげ不思議そうな顔をした。
「いま、何でその、あ、あ、あ、あー、あ」
「『あーん』、すか?」
「……どうして、それを?」
『あーん』とか、恥ずかしげもなくいいやがったぞこいつ。
「だって先輩、右手が不自由で食べづらそうじゃないですか!」
「いやだからってね」
そんな理由であ、『あーん』とかされたらたまらない。
「そこまでしなくて大丈夫だから。吉田くんも食べれないでしょ」
「でも」
「大丈夫だから」
金髪犬は不服そうだったが、お皿を渡してくれた。
「食べづらかったらいつでも言ってくださいね!!」
「…………うん」
『あーん』のほうが食べづらいから。精神衛生上非常によろしくないから。声をかけることは二度とないと思う。
吉田の弁当はみんな美味しかった。私がもぐもぐと食べているのをニコニコしながら見ている金髪犬がちょっとうざったかっただけでおおむね平和だった。
「先輩の小説のことなんすけど」
「ぐっぶふ」
「大丈夫っすか!?」
吉田からもらったお茶を飲んでいたときだった。後輩の前でお茶を吹き出すという失態はおかさなかったが、私はむせかけた。吉田が慌てて私の背中をさすった。
「ゆっくり飲まないと危ないっすよー」
「…………」
原因作ったのはあなたですけどね。急に何なんだ。
「先輩はネタ作りってどうしているのかなって思って」
「…………ネタ?」
「実は、俺の姉貴が漫画家なんすよ。それで、俺も街なんかに連れ出されてるんですけど、先輩はどうしてるのかと」
へぇ、吉田のお姉さんは漫画家なんだ。だから私が小説書いているのを見ても引かなかったのかな。
「別になにもしていないけど」
「そうなんっすか!じゃあ今度一緒に行きませんか?」
「……は?」
え、一緒にって、
「実は姉貴からネタを提供しろと言われてるんすけど、肝心の姉貴は別の仕事で手が空いていないです。一人で行っても味気ないし、小説書いている先輩ならって思ったんっす!」
「え、えと」
「お願いします!先輩!!」
「ちょ、吉田くん!」
頭を下げる吉田に私は慌てた。大学以外で吉田と会いたくない。でも──。
「……うん、いいよ」
「先輩!ありがとうございます!!」
がばっと両手をにぎる吉田は目をキラキラ輝かせている。私は顔が引きつらないように精一杯頑張った。