えんりょしているのではありません
悪いことは立て続けに起こるものだ。
(あーもう、最悪)
……といっても私の不注意なんだけどね。周りを見ずに突っ走った私は車と接触して、右腕を骨折してしまった。右利きなのでものすごい不便だが、大した怪我もせずよかったと思うべきか。自分でも何だが、私のちいさい体、あの衝撃をよく耐えたな。大事をとって一日休んだ後、私は重い足取りで大学へ登校した。
「高崎先輩……!」
「……やぁ」
偶然にも金髪犬と出会ってしまった。いつも誰かしら囲まれている彼だが、珍しく一人だった。右手を吊っている私を見て、吉田が驚いた顔をした。よう、疫病神。貴様と会ってからロクなことがないぜ。
「どうしたんすか、その腕」
「事故って怪我した」
「そんな、大丈夫なんですか!?」
私の肩をがしっと掴む吉田。いたい、いたいって!頼む、けが人を掴んでくれるな。何を考えているんだ。てか手の力強いな、コイツ。
「──っつ、大丈夫だから」
「わ、すみません! ……大丈夫なんすか本当に、」
しつこいなー。金髪犬よ、この状況を大丈夫に見えるのか。正直、お前が掴んだ肩以外は痛くないわ。内心うっとうしいな、と思っていたが続けられた言葉に私は一瞬止まった。
「小説書くときとか」
「吉田くんちょっとこっちこようか」
私は笑顔で吉田の手を引っ張り誘導した。こいつ何言いやがる。人通りの多いこんな場所で話す内容ではない。……やっぱり、あのとき書いていたのは小説だとばれていたのか。私はとほほ、とこっそり肩を落とした。
「先輩、こんな人気ひとけのないところに引っ張ってきて、どうしようと……」
できるだけ人が通らないような場所へ連れていくと、金髪犬はそわそわしていた。心なしか頬も赤いような気がする。……どうしたんだ? お前は告白前の乙女か。私は取って食ったりなんかしないぞ。
「あの、おとといの小説のことなんだけど……」
知られてしまったのではしょうがない。これ以上広まらないように口止めをしなければ。私が意を決して口を開いたとき、
「……分かっています」
金髪犬は腕を組みうんうんと神妙な顔でうなづいていた。あー、私の言いたいこと分かったのかな。いつも鈍感な吉田が珍しい。失礼なことを思っていた私だが、
「俺が先輩の右手になるっす!!」
「は?」
吉田の発想は私の斜め上をいっていた。なんでだ、どうしてそうなった。
「やっぱり不便っすよね、小説書くときとか。俺、お手伝いしますよ」
「いや、そういうのは……」
お手伝いって何するつもり?そういうのはいいから、頼む。もうそっとしておいてくれないかな。私の願いは残念ながら吉田には届かず、さらにとんでもない爆弾を投下した。
「俺がパソコンに打ち込むので、先輩は書く内容を朗読してください」
「──!?」
朗読とかなんの羞恥プレイだ、それ。吉田、お前私の書いてた作品見たよね?私の書く小説はドロドロのヤンデレ小説だ。爆死させたいのか、私を。腕を骨折している私に更なる精神的ダメージを与えるつもりなのか貴様は。それに時間がかかるがスマホでも投稿できるので、小説投稿に関しては別にそこまで困っていない。
むしろ困っているのは今の状況だ。何かしようとしないでくれ。何を心配しているのかわからないが、現在一番困っているのは金髪犬の存在だ。
「先輩の書いた小説、読んだっす。俺にはない考えっつーか、なんかこう……俺の想像を超えていた作品でした!!」
そうでしょうとも!! 『俺もそういうの好きっす!』とか暴露されても困る。もし言われたら今後吉田との距離は万が一にも縮むことはないだろう。ヤンデレ3次元はお断りだ。吉田がどんなに爽やかイケメンでもな。『ただしイケメンに限る』なんて便利な言葉も、次元が上がれば触れてはいけないフィールドだってある。
「先輩のその、嗜好? っつーの? ああいうのが好きだって初めて知りました」
「いや、まぁでも」
「俺、頑張るっす!!」
話す吉田は止まらない。頼む話を聞いて!そして頑張るって何。何を頑張るんだ?私の混乱をよそに金髪犬はキラキラした顔で拳をぐっと握った。
「先輩」
「は、はい」
さっきまでの朗らかさがなくなり、真剣な顔で呼ぶその姿に思わず敬語になった。そのまま彼はひざまづくと、私の手の甲へとキスをした。
「靴にキスはちょっとアレっすけど、このくらいだったらいつでもしますよ!!」
靴にキスって? ……まさか。私はあるフレーズを思いだす。『ひざまづいて私の靴にキスしなさい』──この前私が書いていた小説の一文だ。そう考えに至ると、私の体温は一気に上がった気がした。そしてなお無駄にいい笑顔の吉田に無性に腹が立ち、思わず彼を渾身の力で蹴った。
「いたっ!! 何するんですか、先輩!!」
「…………」
私は痛がる吉田を一瞥するとその場を後にする。気づいたら早歩きになっていた。信じられない、信じられない……! いや、靴にキスされても困るけど。ひざまづいて私の手の甲へキスするときの仕草は、現実ではほとんどありえないのに様になっていた。さすがイケメンというべきか。
吉田が触れた手の甲をぎゅっと握る。
ときめいてなんかいない。これはただの不整脈だ。秘密がばれたから動揺しているだけ──。私は火照る顔を冷ましながら自分にそう言い聞かせた。