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九月

 この日床屋はいつものように午後ではなく、朝早くから参城しておりました。しかも、散髪ではありません。髪を立派に結うためです。


「髪を編み込まれるとは珍しいですね、王様」

「ああ、多少整えるだけなら侍女に任せているのだが、本日はそうもいかなくてな」

「何か、大事なご公務でも?」


 と、途端に王様は口篭り、長い耳を伏せました。床屋は口元に笑みをたたえたまま、僅かに目を細めました。


「……本日は、どちらに? 早朝からご準備なさっているということは、遠方なのでしょう?」

「西の国だ」


 どこか冷ややかな床屋の問いに、渋い顔で王様が答えました。今日ばかりは、床屋の聡さが苦々しくて仕方ありません。床屋は平然として「左様ですか」と答えると、仕上げに小さな銀のピンを王様の髪に差しました。


「王様、完成いたしました。いかがでしょうか?」


 薔薇模様の手鏡を受け取ると王様は、正面の大きな鏡と合わせて後ろ髪を確認しました。

 あごの高さに切りそろえられている髪は結うには不都合に思われましたが、床屋はとても上手にそれを編み、美しく細やかに仕上げておりました。長いお耳も巧みに隠されております。どんなに煌びやかな髪飾りをつけたとて、どんなに華美な櫛を挿したとて、この髪型には敵わないでしょう。

 王様は満足して頷くと、手鏡を床屋に返しました。


「さすがだな、床屋。礼を申そう」

「それで、王様。本日はどのような御用で西の国まで?」


 重ねての質問に、王様はぐっと言葉に詰まりました。声音こそ柔らかいものの、床屋の言葉は少しひんやりしていました。見れば鏡の中では床屋が、アイスブルーの瞳で、射るように王様を見つめています。


 隠したって、なんにもなりません。いずれは、床屋にも知れるのです。


 王様はようやく観念すると、床屋の視線から逃げることなく、鏡越しにそれを受け止めました。そうしてぼそりと白状しました。


「西の国の姫にお会いしてくる。――先月、姿絵を姫君にお贈りした」


 ぐしゃぐしゃぐしゃっ!と編んだばかりの髪が乱暴に乱されて、王様はぎょっとしてその目を大きく見開きました。


「なっ!?」


 王様の髪をしっちゃかめっちゃかにすると床屋は仕事道具も放ったままで、ずかずかとテラスを後にしました。その後姿を大臣が追いかけようとしましたが、それを王様が留めました。


「よい。僕が行く」


 王様は小走りにテラスを出ると、床屋の後を追いました。




 まだ朝日も昇りきらない大回廊を、床屋は靴音高く大股で歩いていました。その広い背中に追いついても、王様は掛ける言葉が見つからずにいました。大理石の廊下に映る影も、もしゃもしゃと乱れた髪形をしています。

 と、いつまでも後を付いて来る小さな足音に、ついに床屋が足を止めました。王様はどきりと息を呑んで、けれど何も言えないまま、いかりあがった床屋の肩を見上げました。


「……私に、そんな髪を結わせないでください」


 振り向かないまま、床屋が低く、呟きました。


「私の夢は叶わない。身分の違う貴方とは添い遂げることは出来ないし、同性だから後宮入りすることもない。けれどせめてこの指は、……貴方が優しいと言ってくださったこの指だけは、しあわせな気持ちを編ませてください」


 ひとつ、ふたつ、鼓動が時間を刻んだ後で。

 床屋はやっぱり振り向きもせず、まっすぐ、王様から遠ざかっていきました。王様はその背中を、瞬きも忘れて見つめていました。

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