第3章
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「ルカによる福音書 23:34〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。」
陳學平は、日曜日の朝の説教原稿にその一節を書き込んだ。イエスが十字架上で語った言葉だ。彼はペンを置き、窓の外を見た。山の稜線が朝靄に包まれている。
教会の会議室で行われる役員会まであと一時間。學平は新しい伝道プログラムの提案資料を見直していた。地域の人々に教会の門戸を開き、信仰に触れる機会を提供する計画だ。明輝が去った後、教会を再建するために必要なことだと彼は考えていた。
「學平牧師、おはようございます」
会議室のドアが開き、古参の役員、李長老が入ってきた。彼の後ろには琪琪の姿もあった。
「おはようございます。今日は重要な議題があります」學平は微笑みながら言った。
会議が始まると、學平は丁寧に新しい伝道プログラムの詳細を説明した。地域での認知度向上、新来者を迎えるための準備、そして予算案について。しかし、説明が終わる前に、琪琪が手を上げた。
「質問があります。この計画は素晴らしいですが、現実的でしょうか?私たちの教会はまだ内部の問題で揺れています。新しい人を迎え入れる前に、まず自分たちの問題を解決すべきではないでしょうか」
その言葉に、会議室内の空気が急に重くなった。
「琪琪さん、確かに教会には課題がありますが、それと伝道活動は並行して進められると思います」學平は穏やかに答えた。
「並行?」琪琪の声が少し高くなった。「先生は説教でも言いましたよね。『地に落ちた麦が死ななければ、実を結ばない』と。私たちの教会はまず死んで、生まれ変わる必要があるのでは?」
會議室に重い沈黙が流れた。
「琪琪さん」李長老が静かな声で言った。「學平牧師は私たちのために必死に働いています。少し言い方を」
「構いません」學平は手を上げた。「琪琪さんの気持ちはよく分かります。ですが、教会が生まれ変わるには、新しい命も必要です。今、私たちは閉じこもるのではなく、開いていく時なのではないでしょうか」
「開く?」琪琪は立ち上がった。彼女の目は涙で潤んでいた。「明輝牧師は私たちを裏切りました。そして今、あなたは何も変わっていないように振る舞おうとしている。私は...これ以上耐えられません!」
彼女は資料を掴むと、それを床に投げつけた。紙が会議室の床に散らばる。驚きの声が上がる。
「琪琪!」何人かの役員が叫んだ。
「この教会には嘘しかない!」琪琪は叫び、ドアに向かって歩き出した。振り返り、學平を見つめる。「私はもう、あなたを信じません」
ドアが大きな音を立てて閉まった。残された役員たちは言葉を失い、學平の顔を見つめていた。
「申し訳ありません」學平はようやく口を開いた。「私の力不足です」
「いいえ、牧師先生」古くからの会員である王姉妹が言った。「彼女は傷ついているだけです。時間が必要なのよ」
会議は緊張した空気の中で続いた。結局、伝道プログラムは修正を加えた上で承認された。しかし、學平の胸には重い石が置かれたようだった。
会議の後、學平は教会の小さな庭に出た。そこで許智恩が一人座っているのを見つけた。
「智恩さん、こんにちは」
「あ、牧師先生」彼女は少し驚いた顔をした。「ちょうど考え事をしていたところです」
「何か悩みごと?」
智恩はためらいながら言った。「実は...琪琪姉さんから連絡があって。彼女は他の教会に移ろうと思っていると。そして、私にも一緒に行かないかと誘われています」
學平の胸が締め付けられた。しかし、彼は平静を装った。
「そうですか。それは...あなたの選択です。強制はできません」
「でも、私、迷っています」智恩は庭の花を見つめながら言った。「この教会で私は信仰を深めてきました。でも、琪琪姉さんの言うことにも納得できる部分があって...」
「どんな教会も完璧ではありません」學平はゆっくりと言った。「私たちはみな、壊れた器です。しかし神様は、そんな私たちを通して働かれる。それが恵みというものです」
智恩は黙って頷いた。二人の間に静かな理解が流れた。
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次の日曜日、學平は早朝から教会に来ていた。今日は新しい伝道プログラム後、初めての礼拝だ。彼は緊張しながらも、新しい顔ぶれを期待していた。
礼拝が始まる前、教会の玄関で彼は見知らぬ男性を見つけた。四十代半ばくらいか、疲れた表情をしている。
「初めまして、ようこそいらっしゃいました」學平は手を差し出した。
「ああ、はい。林です」男性は少しぎこちなく手を握った。「この辺りに引っ越してきたばかりで...教会の看板を見かけたものですから」
「林さん、今日はぜひゆっくりしていってください」
學平は内心で小さな喜びを感じた。新しい伝道プログラムの成果だ。
礼拝が始まり、會衆は以前より少なかったが、新しい顔ぶれも数人見られた。學平は準備した説教を落ち着いて語った。「私たちが隣人を愛するとき、神の愛がこの世界に現れる」というシンプルなメッセージだった。
しかし説教の途中、突然後ろの席から騒がしい声が聞こえた。
「やめろ!触るな!」
學平は説教を中断し、声の方を見た。林さんが隣に座っていた男性と口論になっているようだった。
「すみません、すみません」林さんは叫んでいた。「彼らが私を見ている!全員が私を監視している!」
會衆がざわめき始めた。學平は講壇から降り、急いで近づいた。
「林さん、大丈夫ですか?」
「来るな!」林さんは後ずさりした。「お前らも彼らの仲間だろう!」
それから突然、彼は隣の男性に飛びかかった。二人は床に倒れ込み、もみ合いになった。會衆から悲鳴が上がる。
「誰か!助けて!」學平は叫び、数人の男性信者が駆けつけた。彼らは必死に二人を引き離そうとした。
混乱の中、學平はふと礼拝堂の入り口を見た。そこには林美玲が立っていた。明輝の妻だ。彼女は冷静に状況を見つめていた。
ようやく藤田さんは落ち着き、教会の一室に案内された。學平は彼と話し、医療機関への連絡を提案した。藤田さんには精神的な問題があるようだった。
礼拝は何とか再開されたが、會衆の表情は不安に満ちていた。學平は残りのメッセージを短くまとめ、祈りで閉じた。
礼拝後、美玲が學平に近づいてきた。
「久しぶりです、學平牧師」彼女の声は以前より冷たかった。
「美玲さん...戻ってきてくれたんですね」
「戻ってきた?」彼女は小さく笑った。「この教会は私と明輝が建て上げたものです。私が戻るのは当然でしょう」
その言い方に學平は少し驚いた。以前の美玲は柔らかく、謙虚な人だった。
「今日の出来事、残念でした」美玲は続けた。「明輝の時代なら、こんなことは起きなかったでしょうね」
學平は言葉に詰まった。反論したい気持ちと、彼女の痛みを理解しようとする気持ちが入り混じる。
「美玲さん、教会は今、変化の時を迎えています。あなたの力も必要です」
「ええ、分かっています」彼女はうなずいた。「だからこそ、私は明輝の問題を解決するために動いています。彼は過ちを犯しましたが、一人の牧師として才能があることは変わりません」
學平の心に不安が広がった。「明輝牧師を...擁護するということですか?」
「擁護ではなく、回復です」美玲の目は強い決意を示していた。「この教会は私たちの教会です。そして明輝は、必ず戻ってくる」
その言葉を残して、美玲は颯爽と歩き去った。學平はその後ろ姿を見つめながら、これからの試練が今までよりも厳しいものになるかもしれないと感じていた。
教会の外で、智恩が琪琪と話しているのが見えた。二人の表情は真剣だった。教会内部の分裂が始まっている。
「神様」學平は心の中で祈った。「この船を導いてください。嵐の中で、私たちを見捨てないでください」




