097 号外
深夜、主計官の助手が奉天市街地で発行された新聞の最後の号外を配った。
――1905年2月24日号外 本日、奉天旧市街へ向けての日本軍の突撃は撃退せられ、わが軍は敗兵を追撃しつつあり。敵の損害は甚大にして、わが軍は戦力を維持しあり、かつ士気もまた旺盛なり……
主計官助手は「包み紙に使えます」と配布の趣旨を述べたが、いやいや、この真実は一つも書かれていない号外は、後日、必ずや貴重な記念品となるだろう。そう思った私は丁寧に折り畳んで内懐に仕舞って持ち帰り、いまも自室で保管してある。
この号外を刷ったあと、直ぐに印刷所は閉鎖された。その頃、記事を書いた記者たちは、とっくに逃げ始めていたということだ。そして数時間後、命からがら逃げる道すがら、半壊した穀倉の酷寒の中で読んでいるわけだ。実に味わい深い。
寒気と緊張とで、ほとんど一睡も出来ぬまま空が僅かに明るくなってきた。もう進まねばならぬ。まずは輜重車を先行させ、自力で歩ける者は後続する。私は歩けるので、出発まで少しだけ猶予があった。先発した連中が立ち去ったあと屋敷の母屋へ移ると、窓から夜明けの薄明かりが射し込んできた。ついつい眠りに落ちた私は、同僚医官シャンツェルに揺り起こされた。
「日本騎兵が迫ってきているぞ」
遠からぬ地点から銃声が響いた。医長は乗馬して小高い丘の上に上がって四辺を見回し、私もまた丘に駆け上がった。
地平線から今しも昇り上がる赤い太陽が大地を照らしはじめると、平地の上を馳せる軽騎兵の姿を映し出した。槍も胸甲も持たず、ただ銃だけを携えた軽装は日本軍の騎兵に相違ない。数は3騎ほどで、まずは偵察ということか。
「あれに見られたからには、やがて本隊が追って来るだろう」
という医長は、ただちに輜重車の後を追えと命じた。
歩き始めて30分もせぬ内に、進路の前方に見える一本杉の上で榴霰弾が破裂した。追撃の騎兵が来る前に砲撃が来たのだ。もはや車輌は隊列を意識することなく各個に馳走しはじめ、行き会った砲兵の砲車と弾薬車とが離れ離れとなった。
「落ち着け、この腰抜けどもめが」
砲兵の下士官が怒鳴った。応急的に反撃することが出来なくなったからだ。しかし、車輌は各所で転覆し、あるいは付き添っていた兵卒の頭に衝突し、繋索が切れた輓馬は狂奔しはじめた。
歩兵は榴霰弾の破裂に応じて一斉に地に伏したが、しかし凍り付いた地面を掘り下げることは容易でないので、腹這いのまま散兵線を形成した。
「早く行け、いよいよ日本軍が来るぞ」
歩兵の分隊長は、医長に向かって叫んだ。無言のまま、医長は馬で輜重車の後を追い、われわれもそれに続いた。
昇ってきた朝日は、強い斜光線を地面に投げかけた。その太陽に顔を向けながら歩兵たちは阻止線をつくった。この掩護を得て、われわれは街道を北進し、先行させた輜重車に追いついたが、わが病院の縦列は味方によって行く手を阻まれていた。砲兵が街道を横切るように砲列を布いていたのだ。
「輜重車が通れるだけの幅を寄せては貰えぬか」
医長は砲兵の将校と掛け合ったが、中佐の階級章を付けた隊長らしき指揮官が出てきて
「否」
と、応えた。そして、やむなく輜重車を路外に迂回させ、小一時間掛けても半分しか通過できなかった。
「おい、なにをモタモタしてやがる」
先刻、掩護してくれた歩兵が追いついてきたのだった。指揮官に事情を話すと
「そういうとき、俺たちなら、こうやる」
一列横隊に展開させた小隊に中佐へ向けて小銃を構えさせた。
「陣地を転換せよ」
中佐は背後の小山を指さした。直ちに砲車は放列を脱しはじめる。それによって、われらの輜重車は通行することが出来た。




