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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
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096 的中

 まだ倉庫番の火酒を配る声は遠くから響いていた。

「サア飲め、もっと飲め、どんどん飲め」

 その声を背中に受けながら北へ向かう途中、泥酔した兵卒たちを何度も追い越した。担った銃を投げ出してしまう者、回らぬ舌で何事かを叫ぶ者、足がもつれて地上に仆れる者、そして、其処にも此処にも動けなくなった者が寝ている。飯盒だけを携えた半睡状態の兵卒が、やおら顔をあげて

「マツヤマ!」

 と、叫んだ。日本の本国にある捕虜収容所の所在地の名だという。


 あの倉庫番は、こうなることを予測しなかったのか。それとも、もう充分に働いた兵卒たちにロシア軍から最後の褒美を与えているつもりなのか。ロシア軍の不体裁を日本軍に見せつけることになるのを考えもしなかったのか。いやいや、彼は単に親切なだけのロシア人なのだろう。そして、路肩でも黄梁畑でも逃走を諦めたロシア兵が蹲り、あるいは横たわっていた。


 沿道には机を広げた清国人がいて、逃げ行くロシア兵に水を与えている。私も一杯貰い受けると、強烈なアルコール臭がした。清国には燐寸で火を点けることが出来るという強烈な焼酎があると聞いたことがあるが、まさにそれだ。こんな酒を飲めば、たちまち歩けなくなるだろう。


 同僚医官のシャンツェルは、こういう形で清国人がロシア兵に復讐しているのだと言った。清国の民衆は驚くべき団結力を培っている。数年前の義和団事変では、徒手空拳の大群が銃砲で武装した西欧の軍隊に立ち向かったではないか。その団結は、いまや目に見えにくい形で発揮されつつあるらしい。各所で電信や電話が不通となっているとも聞かされた。それもまた清国人の仕業だとするなら、まさにロシア人の自業自得というほかなかろう。彼らの怨恨の情を育んだのは、われらロシア人なのだ。


 ひたすら歩くうちに日が暮れた。小休止して点呼を取ることもしなかったので病院付の兵卒たちが何人残っているかもわからぬ。日没後の残光も消え失せて真の夜闇が訪れるに至って、われらは疎林のある砂山を越して停止した。だいぶ砲声は遠ざかり、微かに聞き取れる程度になっている。街道近くの小山の上に、石壁を繞らせた屋敷があった。覗いて見ると、各部屋は先着したロシア兵たちが占拠しており、われらは戸の壊れている穀倉に潜り込んで一夜を明かすことにした。


 見知っている兵卒たちの顔が、みな痩せ衰え、かつまた黄褐色の埃で覆われているせいで、まるで異邦人のように見えた。両肩は力なく垂れ下がり、一挙手、一投足ですら大儀そうにしている。水を飲もうと思っても、水筒の中に入っているのは火酒だった。井戸の水は飲めたものではない。日本軍に利用させまいとして、先に逃げて行った兵卒たちが糞尿を投げ込んでいるからだ。われらは、ようやくにして水瓶に残された汲み置きの水を見つけ、それを煮沸して飲んだ。


 かつて担当した患者だった将校が、私を訪ねてきた。

「そちらは、どんな状況ですか」

 ひたすら歩くばかりだと、私は正直に答えた。

「本日、奉天市街全域を日本軍が占拠しました。あ、少しお待ちください、そう1905年2月24日のことです。明日には総大将のオオヤマが奉天に入城し、きっと日本人は記念日として永く記憶に留めることでしょう」

 私は衝撃を受けた。かねて日本人は2月25日に奉天で謝肉祭を催すとして招待状を投げ文で発していたが、まさに予言的中となったのだ。彼らの暦では3月10日が祝祭の日となり、また、近い将来には記念日と制定されることだろう。その祝祭によって日本軍の追撃の足が止まるとも思えぬので、とにかく速く退却すべきだと、その将校には言われた。

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