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敗戦1905  作者: 大豪寺凱
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084 巨砲

奉天会戦編が始まります。作中で示される月日は、すべてユリウス暦によります。日本で使用されるグレゴリオ暦とは、およそ半月ズレますので、あらかじめ御承知おきください。

例としてグレゴリオ暦1905年2月21日は、ユリウス暦1905年2月8日です。

 その日は早朝から真冬とは思えぬほど暖かな陽射しで、薄霜は解け、鳩は飛び回り、これまで聞いたことが無かった東洋の小鳥たちの囀りが盛んに聞こえる。まだ2月の上旬ゆえ春の訪れには早すぎるが、そよ吹く風は南から吹いていた。


 私の眼前の光景とは裏腹に今朝から全正面に亘って砲声が起こっている。噂によれば2月12日に新たな会戦が始まるとされていたが、久々に砲声を聞いた日は9日だったと記憶する。危険に対して敏感な鳥たちが盛んに活動しているのだから、わが病院の周辺は安全なのだろう。


 日没とともに鳥たちの囀りも、遠雷の如き砲声も止んだ。その夜は当直だったが傷者は搬送されて来なかった。窓越しに夜空を眺めると、薄霧の向こうに円月鎌の如き月が淡い黄色の光を放っており、いくつか星も見えた。この夜空の下で固く凍結した道路の上を歩兵が行進し、砲車が通り過ぎ、輜重縦列が続々と走り去り、車輪の軋む音は絶え間なく続いた。それらの人馬が西から東へ向かっていたところからすると、戦いの重点は遙か東側に位置するらしい。


 夜が明けると天候は一転して吹雪となった。気中に渦巻く雪片は恰も白い悪魔の襲来かと思われた。激しい雪が降り止んで青空が広がると、骨まで凍り付くような寒さに包まれた。その間も砲声は依然として鳴り響いていた。ふと気づいたのは、着弾の火炎があがる様子が、これまでとは違っていることだ。


 着弾の火炎が見えてから、爆発の轟音が届くまでの時間を指折り数えておけば大凡の距離がわかると、入院中の砲兵中尉から教わった。その推定される距離に比して、火炎は莫迦に大きく見えるのだ。そして黄褐色の土を空高く巻き上げたかと思えば、その下に大きな火柱を打ち上げた。その様子を病床の中尉に聞かせると、

「例の11インチって奴か!」

 と言って、慄いた。


 旅順要塞の攻城砲として用いられた巨砲が奉天正面に移設されているのだろうということだった。その威力で胸壁、鹿砦、狼井などは言うに及ばず、分厚いベトンで固めた砲郭さえも破壊し尽くすほどの火力だという。

「おいそれと移設できるものではないのに」

 中尉によれば、その巨砲は信じ難い努力の末に運ばれてきたはずだそうだ。


 恐ろしい巨砲の弾着は、数分間あるいは1時間も間を開けて降ってきた。一発撃つ毎に、たいへんな手間と労力を掛けているはずだと中尉は言った。


 その巨砲は、徒歩なら2時間かかる程度の距離まで榴弾を放り投げるという。古代の投石器にしても、戦争に飛び道具を用いてきた歴史があり、塀越しに、あるいは小丘陵を飛び越えて、物陰から攻撃することはあったにせよ、20世紀の現在、とうてい相手の姿を見ることが出来ぬ遠い彼方へ、地図で見当を付けて巨弾を撃ち込むなどという恐ろしい時代が到来したのだ。

「おそらく、どこか高所で着弾を観測しているでしょう」

 双眼鏡と野戦電話を持たせて丘の上に何名か派遣すれば、ちゃんと当たっているかどうかを確認できるのだという。


「いや、それにしてもだ」

 と、私は思わず口に出した。砲兵は、自分には見えない相手を撃っていることに違いない。その行為によって齎される惨劇を見ることも無い。それは良心の呵責なしに砲弾を放つということではあるまいか。

「科学は、恐ろしいものを生み出したものだな」

 その恐ろしい戦争に、自分自身が荷担していることも忘れて、そう思ったのは確かだ。そのあと、けして他人事では無く、あの巨弾が私の頭上に降ってくることもあり得るのだと気づいて身震いがした。

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