085 小丘
わが病院はプチロフ式と呼ばれる速射砲を備えた陣地の後方に位置していた。入院中の砲兵中尉によれば1900年に採用された新型火砲であり、脚に仕込んだ撥条が撃発の衝撃を緩和することで速やかに次弾装填が可能なのだという。
日本軍にとって、この速射砲を据えた小丘は目障りなようで、屡々11インチの巨弾を降らせた。着弾すれば無量の土塊を高く空中に吹き上がらせ、次いで大きな火柱が立ち上った。その様子が病院から双眼鏡で見える程度に、戦闘線は近くまで迫ってきている。私は速射砲を備えた小丘陵のことをプチロフ陣地と呼ぶことにした。
昼間はプチロフ陣地に巨弾が降り、夜間は日本兵が陣地へ向けて突撃したが、ベトンの砲郭に守られた陣地は朝になっても健在だった。山腹は日本兵の屍体で覆われていたが、日本軍は犠牲を厭わずプチロフ陣地を奪うと決めているらしく、翌る日も同様の砲撃と夜襲があった。
激しい戦闘が繰り広げられているに拘わらず、搬送される傷者は少なかった。あまりの寒さのために重傷者は搬送する前に絶命してしまうのだ。軽傷であれば塹壕に留まって戦うことを選ぶ者が多い。塹壕から出れば砲撃に対して無防備にならざるを得ず、出た途端に巨弾が降ってくるということが恐ろしいからだ。歩けぬほどの重傷者を担送するとなれば危険は何倍も増す。ゆえに野戦病院へ送られてくる傷者は少ないのだ。
慣れるというのは恐ろしいものだ。数日前まで私は11インチの砲声を聞く度に緊張を強いられていたが、いまでは殆ど耳に入らぬかのように聞き流している。わが病院は動かずにいるが周囲の状況は激しく動いた。どうも夜襲を仕掛ける日本軍は、毎夜、部隊を入れ替えているらしい。
プチロフ陣地は、全戦闘線の中央に位置する。その傍らを夜間に日本軍が通過しつつ、その一部が陣地に突撃しているようだ。残りの大部分は遠く西方に向けて行進しているとのことだ。要するに、日本軍は東方から西方へ攻撃の重点を移そうとしているらしい。だとすれば、プチロフ陣地に対する執拗な攻撃は、わがロシア軍の眼を欺くための牽制やもしれぬ。
風説は百出した。あるいは言う、沙可堡停車場は依然としてロシア軍の手中にあり、撃退した日本軍から17門の火砲を鹵獲した。わが軍の左翼に位置するリネウィッチ軍は敗走する日本軍を追撃しつつ遼陽に向かっていると。また或る人は言う、日本軍は既に両翼を深く前進せしめて攻勢鈎形を採っていると。
当初、ノギ軍は東方に出現したと言われていたが、どうやらそれは一部のみであったらしい。旅順を陥落させたほどの大軍は、その大部分が西方から奉天市街の背後を遮断しようとしているとの噂もあった。そのことと関係するかは判らないが、奉天の遙か北方に位置する新開河で鉄道橋が爆破されたとの噂もあった。かつて兵科将校らが口を揃えて「不可能だ」と言った、日本騎兵の潜入作戦が現実のこととなったのだろうか。
文明の進歩は戦争の様相を一変させたというが、敵の手の内が見えぬのは20世紀を迎えても同じだ。否、手の内を見透かされるようでは戦争など出来ぬと言うべきやもしれぬ。




